死亡フラグという言葉がある。
吹雪の舞う雪山のペンションで殺人事件が起こった時に「殺人鬼と一緒にいられるか!」と、一人だけ別行動をしたり、戦場へ向かう兵士が「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」と、恋人の写真が入ったペンダントを眺めたりするような行動である。
これらの行動は呪いにも似た強制力で、対象者を高確率で昇天させる。その確立たるや、擬似連四回目で発生した激熱リーチ以上だ。
他にも、たとえば未来を知っている相手から悲しげな目で見られたり、あまつさえ声をかけようとしたら逃走された場合も、これに当たると言えよう。
つまり、今俺がヤバい。すごくヤバい。
どれくらいヤバいのかというと、塩と砂糖を混ぜたら水になると思っている子供の頭くらいヤバい。頭悪すぎるだろ、常識的に考えて。
ちなみにその子供とは、誰であろう小学生の時の俺のことだ。
あの頃は俺も若かった。無知な子供とは怖いものだ。外見年齢だけはその頃と同じだけどね。や、だって今の俺は子供化してるし。
「違う。そんなことはどうでもいい」
どうして俺の思考は、こうすぐに脱線してしまうのか。死亡フラグが立ったのかもしれないんだから、もうちょっと真面目に考えろ俺。未だに「どうせ何かあっても俺は死なないだろう」とか思ってないか? そんな甘い考えだと、この世界では本当に死ぬぞ。レヌール城での痛みと恐怖を忘れるな。
そもそも、あの大人リュカはなんで逃げるように去っていったのか。せめて一言くらい助言とかしてくれよ。死亡フラグだけ残していきやがって、あの野郎。
もし本当に死亡フラグ成立なら、俺が今からどれだけ足掻いても無駄なのか? 大人リュカのあの行動だけで、すでに俺の未来は確定してるのか?
「うぼぁーー!!」
頭を抱えてベッドの上を転げ回る。
どないせー、ちゅーねん。あぁ、胃が痛くなってきた。ストレスで胃に穴が開きそうだ。サンチョに言えば胃薬をもらえるだろうか? 見た目六歳の子供が胃薬を飲む光景って、どれだけシュールなんだ。
「うがーー! やってらんねーーーー!!」
「ユート、どうしたの? ずっと元気ないみたいだけど……」
俺の魂の慟哭が聞こえたのか、リュカが心配してやって来た。足元にはゲレゲレの姿もある。俺はベッドから体を起こすとリュカに向き直った。
「考え事してるんだ。気にしないでくれ」
「そうなの?」
「そうなんだよ。というか、リュカについて悩んでる。胃に穴が開きそうなほどに」
「え……僕? 僕のせいなの……?」
厳密に言えば、未来のリュカの行動についてだが。
「よくわからないけど、ごめんねユート……」
「あー、いや、その……」
リュカの瞳に涙が貯まってくる。今にも泣きそうな顔で謝るリュカに、俺の良心がちくりと痛んだ。
ぽりぽりと頬を掻きながら、どうしたものかと考えてみる。このままベッドで唸っていても、いい考えは浮かびそうにない。それに、何か対策を立てようにも現状では俺にできることは限られている。ラインハットに着くまでは、原作が破綻しないように極力干渉を避けようとも決めたしなぁ。
本当は、もうしばらく家でごろ寝しながら悩んでいたいが仕方ない。ここは外にでも出てみるか。
「リュカ。気分転換に外に行くか?」
「……うん!」
ん、いい返事だ。今にも泣きそうだった顔が、もう笑顔になっている。
「がうがう!」
ゲレゲレ、お前には聞いてねぇ。意味もなく誇らしげに返事するな。
「今日はなにをするの?」
「そうだなぁ……」
何をしよう。ゲレゲレもいることだし、芸でも仕込むか? それとも、リュカと二人で木の枝使って剣の訓練でもしようか。パパスは今日もサンタローズ洞窟に出かけていて、いつ戻るのか分からないし。
俺はここ数日は大人リュカとの件がショックで、ずっと部屋に引きこもっていた。たまには外に出ないと、体がカビてしまう。リュカは俺にべったりだから、俺が家にいると同じく外に出ようとしないし、そもそも俺は居候の身。子供の体とはいえ、部屋でじっとしているだけだとパパスやサンチョの目が痛い。子供は風の子、元気の子。家で腐ってないで、子供らしく外へ遊びに行かなければ。ま、とりあえずどこで何をするのかは、外に出てから考えよう。
「リュカと遊びに行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、坊ちゃん達」
サンチョに挨拶をして、家の外へ。俺の後にはリュカとゲレゲレが続く。
扉を閉める際に、
「あのまな板はどこにやったのかなぁ……」
というサンチョの呟きが聞こえたような気がした。
◇
サンタローズ村は、今日も晴れ。
村には畑が多いので、少し歩いただけでも土の匂いが鼻腔をくすぐる。リュカにとっては当たり前の、俺にとっては懐かしい田舎の匂いだ。あと、なんといっても空気が美味い。現実世界のコンビニで、瓶にでも詰めて売りに出したいくらいだ。大気汚染で汚れた俺の住み慣れた都会とは違い、この世界の空気はどこまでも澄み渡っている。たかが空気、されど空気。空気がやたら美味いと感じるのも、この世界ならではだろう。
今までに俺は何度か海外へと旅行をしたことがある。その時にも似たような経験があった。飛行機を降りて空港を出て、異郷の地を踏んで最初に感じたのは空気と土の匂いの違いだった。日本とは明らかに違うのがはっきりと分かるのだ。ましてや、今俺が立つこの場所は異国でなくて異世界である。元の世界との違いを顕著に感じるのは、当たり前といえば当たり前のことなのかもしれない。
「ね、ね! ユート、どこに行こうか?」
「そうさなぁ……」
数日ぶりに俺と外に出れたのが嬉しいのか、リュカのテンションが無駄に高い。反対に、休日に無理矢理外に連れ出されたダメ親父の心境のような俺。リュカとは反比例してテンションが減少していく。外に出たばかりだが、もう家に戻りたくなってきた。たった数日間家にこもっていただけなのだが、元来のものぐさ魂が再燃してしまったようだ。
「僕はユートの行きたいとこでいいよ」
「俺の行きたい場所?」
うーむ。行きたい場所か。この村、狭いし何もないんだよなぁ。洞窟行くのは禁止だし、広場で鬼ごっこするもの疲れるから面倒だし。他にどこかあったかな。行きたい場所、行きたい場所……。
「酒場へ行こう」
「酒場にようじなの? ユート、アルカパにいた時も行ってなかった?」
「気にするな、リュカ。酒場に行くと決めたからには行くんだ」
そうだ、酒場へ行こう。俺は京阪電車に乗って京都にでも出かけるような気軽さで、村の酒場へと向かった。
目的はもちろん、バニーさんの乳だ。俺としたことがうっかりしていた。この村には、酒場という名の理想郷が残されていたじゃないか。酒場があるということは、つまりそこにはバニーさんがいる。酒場とバニーさんは切っても切れない関係。
精通のきていないこのお子様な体では、自家発電すらまだ無理であるが、それでも胸の奥から湧き上がるエロスの泉は尽きることがないのだ。
リュカが「なんで酒場なの?」的な表情で俺を見ているが気にしない。飽くなき情熱を内に秘め、己が信じた道をただ邁進するのみ。おっぱい天国が俺を待っている。
まずは宿屋に入り、目指すは地下にある酒場だ。
「おや、パパスさんのところの坊主達じゃないか。いらっしゃい」
宿の主人に笑顔で手を振って通り過ぎる。パパスのおかげで、村の中はどこに行こうと顔パスだ。あとは階段を下りれば、そこには……。
「ん?」
「あれ?」
「がう?」
順番に、俺、リュカ、ゲレゲレと三者三様の声。どの声にも驚きの色が混じっている。
酒場に入った俺達の目に飛び込んできたのは、BARカウンターの上に行儀悪く座り、足をぶらつかせている少女の姿だった。
何が気に入らないのか、口を尖らせて下を向いている。その後ろでは、マスターが何事もないように立っていた。
「おや、グラスがないと思ったらこんなところにあったぞ。最近こういうことが多いなぁ」
ぼやきながら、マスターがカウンター下からグラスを取って布で磨く。そう、まるで少女のことなど全く目に入らないかのように。
「あれは……」
俺はカウンターに座る女の子を凝視した。長い耳が特徴的な、不思議な雰囲気を身に纏った子だ。特に不思議なのが体が半分透けて見える点だ。何あれ? 光学迷彩? どこの潜入工作員なの?
「リュカ。お前にもあの子見えるか?」
「うん、見えるよ? でも、どうして女の子がいるんだろうね。ここって、おさけをのむところだから子供だけで入ったらいけないんだって、ビアンカも言ってたよね。へんだよねー」
「そうだね、変だね……」
違う、そういうことを言っているんじゃないぞ、リュカ。そんな天然な答えを期待してるんじゃないんだ俺は。
「お? パパスさんのところの子か。まぁ、酒は出せないがゆっくりしていってくれ」
リュカと共に階段の前で突っ立っていたら、マスターに声をかけられた。
「あ、どうも」
社交辞令的に言葉を返しておく。本来はバニーさんが目当てだったのだが、この酒場にはバニーさんはいないようだ。テーブルに客らしき戦士風の男の姿はあるが、野郎のことはどうでもいい。なんという酒場だろう。もう二度と来るものか。
それにしても、違和感のある光景だ。視線は、どうしてもカウンターの上の少女へ向かってしまう。リュカも同様のようだ。
「あら?」
俺達の視線に気付いたのか、女の子が顔を上げた。
「まあっ! もしかして、あなた達には私が見えるの!?」
少女の言葉に、俺とリュカは黙って頷く。
「がう!」
ついでにゲレゲレも返事をした。ゲレゲレにもはっきり見えているようだ。
「よかった! やっと私に気がついてくれる人を見つけたわ!」
「ねぇ、君はだれなの?」
というリュカの問いに、
「私が何者か、ですって? 待って、ここじゃ落ち着かないわ。たしかこの村には、地下室のある家があったわね……。その地下室に行ってて! 私もすぐに行くから……」
慌てるように答えた少女は、酒場を出ていってしまった。
「どこの子かなぁ? あんな子、この村にいたっけ?」
「いや、いないな」
「そうだよね。僕、はじめて見たもん」
「俺も初めて見たよ」
「でも、どうしてお店の人はだれもあの子に気付かなかったんだろう? ずっとカウンターの上にすわってたのにね」
だってあの子は、人間じゃなくて妖精さんですもの。大人には見えないんです。
「リュカには、あの子の姿がはっきり見えたのか?」
「うん。ユートも見えたでしょ?」
「まぁ、一応は……」
半透明だったけど。
これはあれか。俺は外見は子供で、中身が大人という中途半端な存在だから妖精の姿が中途半端に見えたのか? 微妙な気分だ。
それにしても、俺としたことがうかつだった。妖精の国関連のイベントは、酒場に行かないと起こらないことをすっかり忘れていた。
「地下室のある家って、もしかして僕の家かな?」
「あー、たぶんそうなんじゃないかな」
「それなら、早く行かないと! あの子を待たせちゃうよ、ユート!」
「ああ、分かった分かった」
俺はリュカに急かされるように酒場を後にした。
本当はバニーさんを見に来たというのに。未練は残るが、この酒場にはバニーさんがいないのだから、諦めるしかない。
「ただいま戻りました」
「ただいま、サンチョ」
「おや、お帰りなさいませ」
家に戻ると、いつものようにサンチョが出迎えてくれた。
「そうだ、聞いてくださいよユート坊ちゃん。実は、無くしたと思っていたまな板がタンスの中から見つかったんですよ。どこかにイタズラ者がいるんですかねえ……」
サンチョが、疑わしそうに俺を見ている。
「お、俺じゃないですよ?」
「ふふ、冗談ですよ」
と、いたずらっぽく笑うサンチョだった。脅かさないでください。
「ユート、早く早く! おいてっちゃうよ!」
地下室へと続く階段の前で、リュカが俺を呼んでいる。その足元に待機しているゲレゲレは何が楽しいのか、激しく尻尾を振っていた。散歩の延長とでも考えているのだろうか、あの獣っ子は。
みんなもっとのんびり行けばいいのに、慌しいことだなぁ。……こういう思考は、俺が年寄り臭いから出るのだろうか?
「すぐ行くよー」
投げやりに返事を返しながら、のそのそと階段へと向かう。
「ユート! 急いで急いで!」
「あー、はいはい」
俺はリュカの後に続くと、地下室へと降りた。
◇
地下室に降りて最初に感じたのは、寒さだった。じめじめした湿気と冷気は、まるで洞窟の中を思わせる。
辺りには壷や樽が並んでいるが、食料でも貯蔵しているのだろうか? 全体的に薄暗く、申し訳程度にともされているロウソクの明かりだけが頼りだ。
「来てくれたのね! 私はエルフのベラ」
地下室の奥にいた、長耳の少女が声を上げた。そうか、この子はエルフだったのか。妖精とエルフって別物かと思っていたが、同じだったんだな。耳が長いから、なんとなくエルフっぽいとは思ってたんだけどね。
しかし、エルフ娘とはいいね。ファンタジーの醍醐味だね。ドラクエ万歳です。
「ユート、えるふって何?」
リュカがこそこそと、小声で聞いてきた。
「エルフってのは、ほら、あれだよ。耳が長くて、人間とは別の種族で……」
「僕たちとはちがうの? しゅぞくって何?」
「えーと……」
俺の苦心を他所に、ベラと名乗ったエルフの少女の話は続く。
「実は、私たちの国が大変なのっ! それで人間界に助けを求めて来たのだけど、誰も私に気がついてくれなくて……。気がついてほしくて、色々イタズラもしたわ。そこへあなた達が現れたってわけ。……ねぇ、私の話聞いてる?」
「ねぇ、しゅぞくって何? 僕よくわかんないよ」
「いや、ほらな。たとえばゲレゲレは人間とは違うだろ? これが種族の違いってやつなんだよ」
「つまり……ベラも猫さんみたいなもの? ゲレゲレも耳が長いよ?」
「がう?」
足元で丸まっていたゲレゲレが、自分の名前に反応して顔を上げた。が、自分が呼ばれたのではないと気付くと、すぐにまた顔を伏せる。
「違うって。だからゲレゲレとは違ってエルフだって」
「エルフっていう猫さん?」
「エルフと猫は別物だっつーの。猫から離れろ。猫の他にも、魔物とか動物とか色々いるだろ」
「えーと、えーと。……ベラは魔物なの?」
「私は誇り高きエルフの一族よ! 失礼ね、魔物なんかじゃないわ!」
あ、ベラさん聞いてたんですか。怒らないでください、すんません。
「シッ! ちょっと待って。誰か来たみたいだわ……」
ベラが口元に指を当てて、静かにするように促した。俺とリュカは素直に指示に従う。
しばらく、地下室に静寂が流れた。耳を澄ますと、かつかつという足音が反響しているのが聞こえる。音は次第に大きくなってきていて、上から誰かが降りてくるのが分かった。
「話し声がしたので誰かいるのかと思ったが、お前達か……」
やって来たのは、パパスだった。辺りをぐるりと眺め、
「ここはとても寒い。遊ぶのはほどほどにして、風邪をひかぬうちに上がって来るのだぞ」
それだけ言うと、再び上へと戻っていった。
「お父さん、ベラに気付かなかったみたいだね」
「そうだな。見えてないんだろうな」
「やっぱり他の人には、私は見えないみたいね……」
目の前にいたのに無視されたベラの口調は、悔しさを滲ませている。
「ともかく、私達の国に来てくださる? そして詳しい話は、ポワンさまから聞いて!」
言い終わるや否や、ベラの姿が俺達の目の前から消えるようにいなくなった。魔法の一種だろうか?
「あれ? ベラはどこに行っちゃったの?」
リュカがきょろきょろと辺りを見回している。ややあって、地下室の天井から淡い光が溢れ出して来た。目の前が光に包まれていく。
「うわ、わ、わ! な、何これ!?」
「ファンタジックな光景だな」
驚くリュカとは対照的に、あくまでも俺は冷静だ。綺麗だとは思うが、某有名遊園地のイリュージョンとかでは、もっとド派手なのもあるしなぁ。
「がう! ガルルルル!」
ゲレゲレ、うるさい。警戒して吠えるのはやめなさい。
やがて光はゆっくりと収束し、形を成していく。円形の足場のようなものが、連なるようにして天へと向かっていた。
「えっと、これって……」
「階段、だな」
別世界へと繋がる、光の階段がそこにはあった。