──プロローグ──
青春の幻影が、逃げても逃げても追ってくる。嗚呼、五月雨は緑色。
「ピキーッ!」
緑色……ではなく、青色のナマモノが俺に向かって吠える。ぷるぷると体を器用に揺らしながら、逃げる俺を執拗に追い立てる。
そいつはゼリーみたいな体で、ボール大の大きさ。尖った頭が印象的だ。真ん丸な目に、どことなく愛嬌を感じさせる笑い顔。
この姿、どこかで見たことがあります。一目見てピンときた。きましたよ。そうです、間違いなくスライムです。スライムって言っても、洋ゲーに出てくるようなアメーバ状のじゃありません。和製RPGに出てくる方であります。そう、国民的RPGに出てくるアレ。
ドラゴンクエスト、通称ドラクエ。そのドラクエの代表格であるモンスター。みんなに大人気のマスコットキャラ。でも、元々はスライムじゃなくてドラキーの方がマスコットだったんだよな。いつの間にか、既成事実としてマスコットの座を奪われてしまった。憐れなり、ドラキー。まぁ、ドラキーはひとまず置いておこう。
問題はスライム。今現在、俺を目の敵のように追いかけている青いナマモノの件だ。スライムといえば、レベル1でも余裕で勝てる伝統の雑魚でもある。そのはずなんだが、実際に追いかけられてみると違う。
違いの分かる男、俺。上質を知る男、俺。雑魚は雑魚でもスライムはモンスター。つまりこいつは魔物。ろくに喧嘩の経験さえない一般人である俺は、戦闘なんてもっての他だ。更に言えば魔物に追いかけられる経験は初めてでもある。
つまり結論から言うと、怖い。すっごい怖い。ものっそい怖い。野生の獣ならぬ魔物に殺意を向けられて追いかけられると、さすがに威圧感がある。所詮は雑魚モンスターとか言ってられないんです、うん。
「ピキーーッ!」
あ、また吠えてる。ピキーじゃないよ、本当に。日本語喋れよ馬鹿野郎。
試しに足を止めて話合ってみようか? 人類皆兄弟。案外、話せば分かってくれるかもしれない。
「ピキィイイイッ!!」
……却下。
これだけ興奮してたら、話どころじゃないわな。ピキーしか喋ってない相手にコミュニケーションが通用するとは思えん。そもそも、こいつは人類じゃなかった。せめて「ぷるぷる。僕、悪いスライムじゃないよぅ」とか言うやつならよかったのに。それなら楽だったのに。
そんなことを考えながら俺は走る。燦々と降り注ぐ日差しの中、必死に草原を駆け抜ける。追いつかれたら間違いなく理不尽な目に合うだろう。これは生存への逃走だ。人としての、自由と尊厳を勝ち取るための闘争だ。俺は決して負ける訳にはいかないのだ!
なんか死にかけてる割には結構余裕あるな、俺。急展開すぎて半分夢見心地だからだろうか?
……それはともかく、誰か一体何がどうなっているのか教えてくれ。頼むから。
俺は一体何をしているのだ? 何でこんなことになったのだ? スライムに追いかけられる稀有な経験なんぞしたくはなかった。
目が覚めたらドラクエ世界で、みたいなアレか? 憑依とかトリップとか、そんな感じのやつか? せめて事前に説明をしてくれよ。もしくは心の準備する時間とか、その辺の融通は利かないのか? 頼むよ、本当に。何でいきなりスライム相手に全力疾走しなけりゃならんのですか。このままだといずれは追いつかれて死んでしまう。そんな予感がひしひしとする。悪い予感はよく当たるのが世の理。
死んだ後は王様に「おお、死んでしまうとは何事か」とか言われるのか? それともどこぞの教会で目覚めるのか? どちらにしろ、一度死んで確かめてみる気は全くない。俺はマゾではないのだ。
「ピキーーーーッ!!」
うるせぇ。
「ピキーーーーッッ!!」
「うるせぇーーッ! ちくしょおおおッ!! 馬鹿野郎ォオオオッ!!」
対抗して怒鳴り返してみる。もちろん足は緩めない。俺はひたすら走るだけだ。明日に向かってひた走る。目的地の見えないゴールに向かって……。
「ピッキーーーーッッ!」
うるせぇ。
◇
俺は目の前で力なく横たわる、二匹の青いナマモノを順番につま先で軽く蹴ってみた。でかいグミを蹴ったような感触が伝わってくる。こう、擬音入れるなら「ぶよん」って感じか。
あっけなく転がるナマモノ二匹。まるで波打ち際に漂流したクラゲのようだ。
「おわッ!?」
驚いて、思わず声を上げてしまった。ナマモノ……もとい、スライム達の体が突然砂のように崩れ去ったからだ。
後に残されたのは、キラキラと光る硬貨が数枚。これが噂に聞くドラクエ世界の貨幣。ゴールドというやつだろう。俺はスライムを倒してゴールドを獲得したらしい。どういう原理かは知らないが、死んだスライムは消えてゴールドに変わったという寸法だ。
なんたるファンタジー。さすがはドラクエ。半端じゃねぇぜ。とりあえずゴールドは懐に失敬しておいた。別にもらってもいいよね? 構わないよね?
「……あ、そういや忘れてた」
俺は後ろへと振り返った。そこには、紫のターバンを頭に巻いた子供が目を回して倒れていた。
──時間は少し遡る。
俺はスライムから必死こいて逃げた。どれくらい走ったか分からないくらい逃げて、息も上がって、そろそろもう限界間近。いや、もう無理。ギブですギブ。ロープ! ロープ! 本当に無理なんです。勘弁してください。と、心の中が泣き言で溢れ返っているくらい走った時のこと。突然、目の前に人影らしきものが見えたのだ。
「こ、これぞ天啓!? どこのどなたか存じませんが、助けてくださいッ!」
安堵しつつ、その人影に向かって走り寄る。足を止めて、まじまじと人影を見つめる俺。だが、何やら様子がおかしい。そこにいたのは、スライムにフルボッコにされている一人の子供だったのだ。
「ピキーッ!?」
子供をフルボッコにしていたスライム……こいつはスライムBと命名しよう……が俺に気付いて動きを止めた。その瞬間、子供は糸が切れた操り人形のように地面へと倒れた。どうやら気を失ったようだ。
「ピキーッ!!」
威嚇しながら、スライムBはじりじりと俺へと近寄ってくる。完全に敵だと認識されてしまったようだ。隙を見せればすぐにでも襲い掛ってくるだろう。
「ピッキーーッ!!」
今度は背後から声が聞こえてきた。最初に対面したスライム……こいつはスライムAと命名……が追いついてきたらしい。
前門の虎、後門の狼ならぬ、前門のスライムと後門のスライム。四面楚歌とか、絶体絶命とか、そんな風に言い換えてもいい。
つまりはピンチ。このままでは死ぬ。助けて神様、ヘルプです。と、神頼みしても、きっと誰も助けてくれない。ならば、自分で何とかするしかない。
でも、どうやって? 考えろ、考えろ。思考の停止は知性の敗北だ。灰色の脳細胞をフル起動させるんだ俺。お前はやればできる子だ。死中に活あり。ピンチの中こそ、チャンスあり。何とか逆転の一手を打つべし! 自分を信じて、直感に全てを懸けろ! さすれば勝機は自ずから見えて……。見えて……。
「全ッ然、見えてこねぇッ!!」
俺は頭を抱えてへたりこんだ。ぶっちゃけ無理です。無理なもんは無理です。俺はどこぞの戦場を駆け巡る兵士でも、凄腕パイロットでもない。ただの一般人がいきなり一発逆転の手とか打てるわけがない。
もうどうなってもいいやー。半ば、悟りにも似た諦めの境地で俺は屈んだまま目を閉じた。
「ピギャッ!?」
「プギーッ!?」
頭上で、呻き声が二つ聞こえた。ついでに、ゴムマリ同士がぶつかったような鈍い衝突音も。あと、何故だか分からないが「痛恨の一撃」という単語が唐突に頭に浮かんだ。
「な、何事だ……!?」
恐る恐る目を開け、立ち上がる。眼下には、力なく横たわる二匹の青いナマモノの姿。
「うーん……?」
しばし呆然として考える。
「あ、そうか」
すぐに俺は答えまで辿り着いた。このスライム二匹は、俺へと向かって前後から同時に飛び掛ってきたらしい。だが、悲しいかな魔物の浅はかさ。俺がそのまま立っていれば問題なかったのだろうが、元来挟撃とは射線上に味方が重ならないようにするもの。突然屈んだ俺の頭上で、興奮したスライム達は見事正面衝突。結果、自爆したって有様だ。
「馬鹿だ、こいつら……」
溜め息一つ。何にせよ、俺は窮地を脱したようだった。
◇
気絶した子供を抱きかかえてみる。ふと、軽い違和感を覚えた。やけに重いような気がしたからだ。俺って、こんなに力がなかったっけか?
「おーい、大丈夫かー?」
呼びかけながら、軽く子供の頬を叩く。焦点が合っていなかった虚ろな目が、徐々に輝きを取り戻してきた。黒髪に、黒い瞳。年の頃は五歳か六歳と言ったところか。子供ながら、なかなか整った顔立ちだ。将来はイケメンと呼ばれる存在になりそうだ。
べ、別に悔しくなんてないんだからねッ!? 本当ですよ、うん。……それよりも、頭に巻いた紫色のターバンが目立つなぁ。まるで羊飼いみたいな格好の子だ。どこかで見たような気がするんだけどなぁ。うーん、思い出せん。喉の奥に引っかかった魚の小骨みたいな感触だ。取れそうで取れない、あのもどかしさ。こう、頭までは出掛かっているんだが……。
ほどなくして、子供の意識は無事に戻った。
「ん……。あれ……? お父……さん?」
「おぉ。起きたか? 俺は残念ながらお父さんではないぞ」
「え? あれ? あれれ?」
気絶したショックで少し混乱しているようだ。脳震盪でも起こしたのだろうか。一応、診立てでは大怪我ではなさそうなんが。
「立てるか?」
「う、うん……」
俺は子供を立たせると、背中の埃を払ってやった。
「もう大丈夫みたいだな」
「うん、僕はだいじょうぶ。えっと、君がたすけてくれたの?」
「まぁ、そうなるのかな?」
「そっか、ありがとう! 君ってつよいんだね!」
「え? あ、うん。もちろんさ。ハハハハ……。そ、それよりどうして襲われてたんだ?」
「うん……。ちょっと外へ出て遊んでたら、いきなり三匹もスライムが出てきたんだ。二匹までは何とかたおしたんだけど、さいごの一匹にやられてしまって……」
うわぁー。俺が必死こいて逃げていたスライムを二匹まで自力で倒してたのか。末恐ろしい子供だ。そして、俺情けねぇー。
「でも、君のおかげでたすかったよ! 本当にありがとう!」
子供の笑顔が眩しい。頭抱えて屈んでたら、スライムは勝手に自爆して死にました。実は俺、何もしてませんとはとても言えない。
「あ、そうだ。僕の名前はリュカ。君の名前は?」
「リュカ? どっかで聞いたことあるような……?」
「何か言った?」
「あ、悪い。名前だったな。俺は、田之上祐人」
「タノウエ……ユート? ながい名前だなぁ。よびにくいから、ユートでいい?」
「まぁ、構わんよ」
「よろしくね、ユート!」
にこっと笑うリュカ。蕩けるような笑顔だ。俺が男でなければ、惚れていたかもしれん。だが、俺はノーマルだ。ショタの気も、もちろんない。よって、問題は何もない。
嘘です。実はちょっぴりドキドキしました。
「リュカァアアアアアッ!!」
どこからか突然響いてくる、低く渋い声。俺とリュカの目の前に、疾風の如く一人の逞しい男が現れた。
「あ、お父さん?」
「大丈夫かリュカ!? 突然いなくなったから心配したぞ! まだまだ表の一人歩きは危険だ。あまり遠くへと行かないようにと、あれほど言ったのにお前というやつは……」
唖然とする俺を他所に、リュカの父親らしき男は早口に捲くし立てた。
「僕はだいじょうぶだよ。魔物におそわれたけど、そこにいるユートにたすけてもらったんだ」
「お、おお? そうか。どなたかは存じませんが……うん?」
リュカの父親が俺へと向き直った。意思の強そうな眼差しの、頑強そうな壮年の戦士だ。どことなく顔つきがリュカと似ている。やはり親子だからだろう。
俺と視線が交わった瞬間、何やら訝しげな表情に変わる。その瞳には、僅かに困惑が見て取れた。
俺の姿が珍しいのだろうか? も、もしや息子を誑かす不審者と思われたのか!? 俺は怪しくないですよ!?
内心冷や汗を流していた俺に、リュカの父親が話を続けた。
「君が、リュカを助けてくれたのか。見たところ、リュカと同じくらいの年のようだが……。その年で大したものだ。いやいや、このパパス、感心したぞ!」
「は、はぁ……」
え? ちょっと、待て。待ってくれ。今何て言った? パパス? ドラクエに出てきた、あの主人公の父親のパパス? つまり、リュカはパパスの子供で、ここはドラクエⅤの世界か? そうなのか? なるほどなー。パパスなんていう有名人に会えるとは驚きだ。そういやよくよく見ると、皮でできた腰巻姿がワイルドだな。蓄えられた口ひげも風格がある。さすがはパパス。グランバニアの王様だけはある……って、違う!
「リュカと同じくらいの年だって!?」
「うむ。息子のリュカは今六歳だから、君もそれくらいじゃないのか?」
「お父さん、君じゃなくてユートって名前なんだよ!」
「おや、それは失礼をした。ユート君。改めてお礼を言わせてもらおう」
「ハハ……ハ……」
乾いた笑い声が、口から自然と漏れてくる。さっき感じた違和感は、これだったのか。
田之上祐人、二十八歳。バリバリの日本人。元、アパート住まいの貧乏フリーター。何の因果か、気が付くとそこはドラクエⅤの世界。そして、体は六歳児並になっていましたとさ。ハッハッハー! こいつはすげぇや! 笑えねぇ……。
かくして、俺の大冒険が始まったのだった。まる。てな感じです。
これからどーなるの、俺……?