エトルリアの王都、アクレイア。盛んに人々が行き来し、行商が客寄せの声を張り上げる中を、クレインとケインは高貴オーラを振りまきながら歩いていた。あからさまな貴族の坊ちゃんオーラに、人々は「こっち来んな」というような顔をして離れていく。
ゼフィール王は重臣五十人を斬首して、その首を鑑賞しながら人肉料理に舌鼓を打ったり、金箔を塗った敵将の髑髏を盃にして酒を飲んだり、「お味方の戦勝、目出度い限りですな」と言った宰相バレンタインを足蹴りにして「貴様は何もしていないだろうが」と罵ったり、国中の女をかき集めて作った後宮をさらに拡張したり、ついでに妹を食った――という噂が流れ始めていた。
「おい、最後のちょっと待て」
クレインは思わず突っ込んだ。噂話に尾ひれが付くのはよくあることだが、最後のは酷すぎる。
情報源のブゥドル伯は、不思議そうな顔をしていた。そう言えば、こいつは実際に妹を食っちまった変態だった。貴族社会において近親婚は珍しくはないが、実妹を食う奴は流石にやり過ぎだろう。だが、ブゥドル伯は軽蔑の視線を、むしろ快感とばかりに受け止めていた。
ブゥドル伯、ケイン。十八歳の金髪、平凡な顔をした男であった。
伯爵家嫡男の双子の弟として生まれ、本来なら忌み子として生まれてすぐに殺されるところだったが、あまりに不憫なため隠し子として生きていたところ、父と兄が流行り病で死んだため本家に呼び戻されたのである。そこで出会った妹。家族として見ることができなくて……という展開であった。それなんてえろげ。
「しかし、ブラミモンド公がサカを攻略するか」
「サカの騎兵は精強。ベルンがこれを取り込めば……」
「ナーシェン軍団がさらに強化されるわけか。厄介極まりない」
ベルンが強くなると言うよりも、ナーシェンが強くなることを嫌がっているクレインである。ナーシェンのことになると視界が狭くなるクレインだった。
歩いている内に、アクレイアの王宮に到着する。
クレインは尻が痛くなるのが嫌だったため馬車を用いなかった。だが、格式というものは、やはり大事なのだ。
「リグレ公爵家当主クレインだ。陛下の思し召しにより参内仕った」
「どこぞの商人の倅が、我らを謀っているわけではないだろうな」
疑いの視線は正当なものであった。家紋が付いた馬車で王宮に乗り付ければ、このようなことにはならないはずなのだ。見るとケインが呆れ顔を浮かべている。心外だった。クレインのガラスのハートがブロークンである。
「なんだ、その目は」
「クレイン様って、どこか抜けてますよね」
「変態よりはマシだ」
「ははっ、そうは言いながらも、実はクラリーネ様に懸想していたりとか……」
結局王宮に通されるまで、さらに三十分が費やされることになった。
【第8章・第6話】
大広間は、早々たる顔ぶれで埋まっていた。国王モルドレッド、右方に王子ミルディン、少し下がって宰相ロアーツ、大軍将ダグラス、騎士軍将パーシバル、魔道軍将セシリア。そこから諸侯たちが序列に従って続いていく。
クレインは、セシリアの向かい側であった。ニコリと微笑んで手を振ってくるセシリアに、クレインの顔面が放熱版と化す。穴があったら入りたい状態のクレインに、三軍将派の諸侯たちは生暖かく見守っていた。
ゴホン、と咳払いするロアーツ。宰相派の諸侯たちがクレイン、セシリアをチラ見しながらわざわざ聞こえるように陰口を叩く。「仲がよろしくて結構ですな」などという皮肉なので、咎められはしなかったが、あからさまに空気が悪くなった。それを止める者はこの中にはいない。
「各々、静粛にせよ。御前である」
一言、ロアーツが呟くと、すべての音が消え失せる。
衣擦れの音ひとつしない静寂の中、モルドレッド王が肘掛けに置いていた腕を、胸の前で組んだ。
「諸君。まずは大儀である。再昨、サカ地方に赴いていた大使ベルトラン子爵より報告が入った。ロアーツ、皆に説明せよ」
「では僭越ながら……ベルン方の主将はブラミモンド公。副将を三竜将ブルーニャとし、神速の勢いで攻め入ったとのこと。すでに前線を突破し、ブルガルの手前まで寄せたそうだ。モンケの息子六人が討ち死に、ジュテ族は瓦解寸前。ブルガルの城壁を頼りに籠城しておるが、さて後何日持つものか」
「質問がひとつあります。発言を許されたい」
「許可しよう」
「ブルガルの戦は、力攻めでしょうか。それとも火攻め、あるいは……」
ロアーツ派の諸侯が伺いを立てる。言い終えるまでに、ダグラスが割り込んだ。
「十中八九、内部崩壊だろう。いかにもブラミモンド公らしいやり方ではないか」
「左様。ブルガルは多民族都市。内通者を出すのは容易である。だが、ダグラス殿。私は貴殿の発言を許可した覚えはない。軍人上がりが出過ぎるでないぞ」
「よい。そのように締め付けては軍議にならんだろう」
ダグラスの発言を封じようとするロアーツを、モルドレッドが止めた。
「余は諸君らの忌憚なき意見を求む。此度は発言に許可はなく、序列もないと心得よ」
「しかし、それでは」
「くどい。形式通りにやれば、何時までも終わらぬ」
小さな一喝だった。
発言を許可されたのに、気まずい雰囲気になり、余計に発言し難くなった。
そんな中、口を開いたのは焦点の合わない目で窓の外を眺めていた貴公子であった。
「五日ですか。では、援軍は間に合いませんね」
ミルディン王子。俊英とたたえられ、時代の国王としての期待を一身に浴びせられている青年。音楽詩歌にうつつを抜かしている暗愚という悪評もあるが、本人を見れば、その評判がどれだけ的を射ていないかよくわかる。
「援軍派兵の検討ではないとするなら、そろそろ父上が我らを招集した目的をお聞きしなければなりません」
「うむ、そろそろ話さなければならないな」
モルドレッドが重苦しく頷く。その表情は変わっていなかったが、息子の成長に喜んでいるようだった。
場が、少しだけ和やかになり――。
「イリア地方への派兵を検討して貰いたい」
再び凍り付いた。
――――
近衛部隊の隊舎で、イリア方面部隊に抜擢された魔道軍将が、クレインの両手を取って屈託のない笑顔を見せていた。
「また一緒ね。前回は散々だったけど、今回は頼りにしているから」
「え、はぁ、そうですね」
防御が薄いんじゃないかと突っ込みを入れたくなる態度に、クレインは戸惑うことしかできなかった。
横で見ていたケインが含み笑いをこぼし「なんだ、クレイン様もちゃんとお相手がいるんじゃないですか。これですか、これ」と小指を立てて「ご安心下さい、ちゃんとクラリーネ様にもチクっておきますから」と洒落にならないことをほざき出した。
「いや、ちょ、おま」
「貴方は、たしかブゥドル伯爵だったかしら」
「ケインであります。若輩者ですので、お引き回しのほどよろしくお願いします」
ケインは跪いてセシリアの手の甲に接吻をすると「では、私は領内に戻って長弓兵の編成にかかります」とクレインに伝えて去っていった。
「……調子のいい奴め」
セシリアは「面白い人ね」と含み笑いを漏らしていたが、すぐに真顔になって「まさか、このようなことになるとは」と憂いを帯びた顔をする。元々、才能はあっても戦場には似つかわしくない女性だった。戦火にさらされる民草のことを考えると、胸が詰まる思いになるのだろう。
「しかし、モルドレッド王も大胆なことをなさる。いや、悪くはないのですが」
イリア地方への派兵など、想像すらしなかった。援軍などという生やさしいものではない。
ベルンがサカを取るなら、こっちはイリアを取る。そう言っているようなものだった。
「しかし、これは……」
敵がベルンだけなら、これほど効果的なものはない。だが――。
「援軍のすべてが三軍将派で固められているのが問題ですね。大将はミルディン王子、副将がセシリア殿、寄騎に私を含む諸侯ですから。ダグラス殿を王宮に置くという譲歩は引き出せましたが、パーシバル将軍はサカとの国境に配置されている。これでは、宰相派に国を乗っ取られてしまいます」
「もう、半分以上乗っ取られているけれど」
「それは事実ですが……」
「何事も悪く考えがちになるの、クレインの悪い癖よ」
クレインはハッとして、セシリアの方を振り返った。
クラっとした。この男殺しめ。天然か。天然なのか!
……多分、ロケットおっぱいは何も考えていない。