オスティア、フェレ、ラウス。リキア地方で大きい力を持っている諸侯をあげれば、この三つになるだろう。オスティアは経済力とすぐれた重装歩兵を持ち、ラウスは良馬の産地であり、優れた騎兵を持っている。
では、フェレは?
領地、産業、人口、どれを取っても『そこそこ』としか答えられない。兵士が鬼のように強いとか、そんな事実はどこにもない。ならば、何故フェレがオスティアやラウスと並びたり得るのか。
それは、トップが有能すぎるからである。
政治、軍略、商才。あらゆる才能に恵まれている超人。それが、フェレ侯爵である。
しかし、フェレ侯は運に見放されている一族であった。
【第8章・第5話】
フェレ侯爵、公子ロイが領地に帰参することが許されたのは、交渉開始から半年後のことだった。ゼフィール王のサカ地方への宣戦布告よりも前から、ロイはオスティアを脱出しようとしていたのである。
「不幸中の幸いだったな。父上が病気で倒れられてからも、粘り続けていた甲斐があった。ゼフィール王の宣戦布告から交渉を開始していたら、フェレが制圧されてから、ようやく帰参が許されていたかもしれない」
馬上で呟くロイ。その傍で、ウォルトは首を縦に振っていた。意味はわからないが、とりあえず頷いておいたというような態度である。
ウォルトは、ロイの乳母兄弟である。だが、それだけだ。母から弓の手ほどきを受けているが、君主の教育を受けたわけでもなく、政治的な話をされても理解できるわけがない。
「ベルンがサカとイリアを平定して、それで終わればいい。だが、間違いなくその次はリキアだ。病床の父上では、この流れに抗しきることはできないだろう。さて、どうしたものか」
ベルンが攻めてくる。それを聞いて、ウォルトは小便を漏しそうになった。ガクブル震えていると、ロイが「武者震いか」とほざき出して、さらに泣きそうになる。
「やめましょうよ。装備の質も、断然こちらが劣ってますし、今のままでは勝てません」
「たしかに、こればかりはどうにもならないな。エトルリアかオスティアから、どうにかして資金を供出させるか。貸与という題目で出させればいい。あとで白紙にすればいいだけの話だ」
ロイは勝手に頷き、やたらと眩しい目差しをウォルトに注ぐ。
「よく言ってくれた、ウォルト。君の助言がなければ、僕がこのことに戦争が始まるまで気付けなかっただろう」
「い、いえ、そう言うわけではなくってですね、ベルンには勝てませんって言いたいわけで。ほら、補給だって今のままでは続きませんよ。戦時になれば、増税しないと賄えませんよ?」
「そうだな。フェレは税の徴収が緩やかだ。今の内から備蓄するか、買い集めておかなければならないな。流石はウォルト。僕が忘れていたことを、次々と指摘してくれる」
「あ、あの……」
「それにしても、僕はいい家臣に恵まれているよ。老練なマーカス、猛将アレン、知勇兼備のランス、そして僕の右腕たるウォルト。これなら、ベルンと戦い抜けそうな気がする」
「…………」
ウォルトは滝のような汗を流し、首を横に振った。だから、ベルンには勝てませんて。さっさと降伏しましょうよ。半泣きでそう言うと、ロイは「ウォルトは諸侯に裏切りが出ると言うのか! いや、まさか……」と考え出す。
「……うぅ、もうそれでいいっす」
ウォルトはロイの右斜め後方でうな垂れた。
――――
弓の腕は、色眼鏡を付けて見ても平凡。そこらの狩人を捕まえた方が、戦力になるだろう。それでもなお、ロイはウォルトを評価していた。弓使いだからなのか、視野の広さはロイなどでは到底及ばないほどである。
そのウォルトが、後ろに下がった。ロイは背後を振り返る。
「――――ッ!」
弓矢が、ロイを狙っていた。その射線上に、ウォルトは立っていた。悲壮感に満ちた表情をしている。身を挺してロイを守ろうとしているのだ。
幸い、矢は命中しなかった。ランスが投じた手槍で、弓手は貫かれて絶命した。
「ロイ様! ご無事で!」
「大事ない。しかし、これは」
「山賊です。我らを商隊と勘違いして、襲い掛かってきたのでしょう」
ロイは周囲を見回した。オスティアからの帰郷のため、護衛の二十騎が今の全兵力である。ヘクトルから護衛にボールスという男を付けられそうになったが、それはウォルトからの進言を入れて断っていた。
重装歩兵を引き連れれば、それだけ帰参が遅れることになる。しかし、それよりもボールスに与えられた役目を考えれば、受け入れることはできなかった。護衛は建前で、真実は監視なのだ。
「て、ててて、敵の数は!?」
「少なく見積もっても、五十だな」
「そんなの、勝てっこないです!」
悲鳴を上げるウォルトに、アレンが不敵な笑みを見せた。ロイも、小さく笑みを浮かべる。
「たしかに、勝てっこないな。ロイ様、先鋒はぜひとも私めにお任せを」
「山賊がたかが五十。僕たちの敵ではない。アレン、大将首を持ち帰れ」
アレンを先頭に騎馬が突撃する。ウォルトがやけくそ気味に矢を放った。
その矢が、騎乗していた敵のひとりに命中する。その懐から、赤い表紙の本が転がった。
「魔道士か! でかしたぞ、ウォルト!」
「い、いや……どう言うことですか?」
「食い詰めて山賊になる魔道士もいると聞いたことがあるが、まさか真実だったとはな。しかし、それを一目で見抜いて射貫いてしまうとは、流石はウォルトだ」
「そんな! 偶然ですよ!」
もし、魔道士の存在に気付けなければ、大きな被害が出ていただろう。
ロイは謙遜するウォルトを見て、誇らしい気持ちになった。
――――
エリウッドは、病床に横たわりながら、マーカスの報告を聞いていた。
「サカは、落ちるか」
「最低でも二月ほどで陥落するでしょう。戦後処理が一息付くまでおよそ半年にございます」
「速いな」
小さく呟き、エリウッドは目蓋を閉じた。胸が苦しかった。身体は病魔に冒されている。戦場に立つことは、もうできない。デュランダルを片手で握っていた腕は痩せ細っている。だが、まだ頭は動いていた。剣を握ることだけが戦いではないのだ。
「兵力、装備、補給、すべてが足らん。だが、私は戦おうと思う」
「私を含め、家臣たちは、どんなご命令であろうとも従う所存でございます」
表情を変えずに言うマーカスに、エリウッドは何の反応も返さなかった。
ただ、小声で、こう言った。
「手始めに、ラウスを潰すか」
マーカスは、何の反応も返さない。
使用人が扉を叩くまで、沈黙が五分ほど続いた。マーカスが取り次ぎ、束になった書状を受け取ってエリウッドの傍まで戻る。国内だけでなく、他国の諸侯からもフェレの対応を窺う内容が多かった。フェレ侯爵の動きが、他方から注目されている証拠だった。
「ブラミモンド夫人からのお手紙ですな」
「ほぅ、リリーナからか」
「ロイ様宛ての物もございますが」
「燃やしておけ」
マーカスは無表情のまま頷き、書状を懐に収めた。後で焼いたことにするのだろう。おそらく、書状はロイの手に渡る。だが、エリウッドは何も言わなかった。
ロイの前で見せる、温厚な父親の顔はどこにもない。
そこにあるのは、無数の豪族から領土を守り続けた、表裏比興の者の顔だった。