【第8章・第4話】
ジュテ族を核とするサカ兵およそ800。敵兵2000人を前にしても動じない精兵である。夜襲、奇襲によって補給路を攻撃されているのに、危機感を覚えないほどの逞しさは、心臓に毛が生えているのか、ただ鈍いだけなのか。
なに、古今より少数で大軍を打ち破った例などいくらでもある。鼻息荒く敵陣を見据えるモンケであった。
末端の兵士たちはベルン諸侯の首にかけられた報奨金に目が眩み、戦友を出し抜くために目を光らせている。「俺、この戦が終わったら女の奴隷を買うんだ」と戦友に笑いかけるサカの剣士。ナチュラルな笑顔でとんでもないことを口走る連中だった。これがサカの実情である。みんな死ねばいいのに。
さて、寡兵をもって籠城策など取るつもりもないモンケは、野戦で雌雄を決する覚悟で打って出た。
「敵は梟雄ナーシェン。だが、我らの敵ではない。全軍、かかれぃ!」
そしてサカ軍が突撃を開始する。功に目がくらんだ兵士たちは士気こそ高かったが隊列を気にせず、また満足に腹が膨れているわけでもないので動きに精細を欠いていた。
ベルン兵は複数人で一人を迎え撃つ待ちの体勢。焦らずじりじりと前進する。
練度の差はすぐに露呈した。サカの精兵(笑)である。
「くっ、こんなはずはない! 誰かおらんのか!」
苛立ちに矢を膝で叩き折ろうとしたモンケに、涼しげな声がかけられる。
「父上、私が」
「おお、カブル。お前が行ってくれるのか!」
モンケの長男だった。彼は配下の手から弓を奪うや、矢を番えながら敵中に侵入する。馬体を両股で挟み込んで巧みにベルン兵士をすりぬけていくカブルに、敵軍の一角が崩れそうになった。流石は我が息子よ、とモンケも鼻が高――。
「ふんもっふ!」
「ぐぬっ、き、貴様……! ふぎゃ!」
「いい漢……もとい、敵将、この豪槍のブラッドが討ち取ったりぃぃ――!」
「カブルぅぅぅぅぅぅ――!」
ぐさり、とぶっとい槍がモンケの息子を貫いていた。ぐったりと事切れている息子の姿に、モンケは我を忘れて絶叫する。
悲しみに茫然自失していたモンケに、涼しげな声がかけられる。
「父上、兄上の仇は私が取ります!」
「おお、クドカ。お前が行ってくれるのか!」
モンケの次男だった。彼は配下から剣を奪うや、雄叫びを上げながら敵軍深くに切り込んだ。あまりにも見事ですばやい手綱裁きに、味方から歓声が上がる。流石は我が息子よ、とモンケも――。
「………………」
キルソードのクリティカルヒット。
「ぐふっ、くっ、卑怯者めが……」
クドカの背中に短剣が突き刺さっていた。不気味な黒衣の男がモンケの息子から離れると、どさりとクドカが落馬する。すでに事切れていた。アサシンにやられたのだ。モンケは我を忘れて絶叫する。
「クぅドカァァァァァァ――!」
「父上! 兄上の無念、私に晴らさせて下さい!」
「トリオルか! いや、しかし……」
流石に三度目となると逡巡し始めるモンケだったが、彼の三男は返答を待たずに配下から剣を奪った。長男カブルを討ち取った騎士の姿はもう見えない。ならば――とトリオルは先ほどのアサシンに向かって行った。
「む。中々見事な若武者ですね。相手にとって不足はありません」
「どけい、小娘!」
「私を小娘呼ばわりとは、どうやら貴方は礼儀を知らないようだ。いいでしょう。こちらに見向きもしないなら馬上から引きずり下ろすまでです」
「むむむ……小癪な……」
三男、苦戦。馬上だと言うのに十代半ばの少女に剣技で押されている。しかし、少女が女であったことが災いした。戦場で長らく女を断っていた兵士たちは、数里先の少女スメルを嗅ぎ分けると言う(誇張有り)。「その女はおらの物だぁ!」と雄叫びを上げながら襲い掛かる精強なサカ兵(笑)だった。
「くっ、尋常の勝負に水を差すとは、武人の風上にも置けぬ者どもですね!」
「何を言うか。先に武人の矜持を傷付けたのは貴様らの方ではないか!」
そのアサシンは、とっくにどこかに消えている。仇を取れなかった無念を剣に込めるトリオル。周囲の兵士も三男の動きに合わせて槍を突き出し、弓を放った。ようやく胸を撫で下ろしたモンケ。流石は我が――。
「おいおい、ここだけ随分と賑やかだな。暴虐の闇よ、我が意に従い、彼の者をねじ伏せろ――ミィル」
突如、地面から飛び出した黒い塊がトリオルに覆い被さった。
「あれは、闇魔法か! くそっ、トリオル! トリオルぅぅぅぅ!」
「うっ……父上……」
身動きが取れなくなったところを斬り捨てられるトリオル。モンケは我を忘れて絶叫する。
「ふんっ。粋がっていた割には、随分と呆気ないものじゃないか」
せせら笑うのは、今度は十歳以下の少年だった。こんな子どもに精強なサカ軍(笑)の誇りを傷付けられたと言うのか。モンケは歯ぎしりした。そして、新たな涼しげな声が。
「父上、闇魔法など種がわかっていれば敵ではありません。あのような子どもに兄上が負けたとあっては、ジュテ族の名に傷が付きます。汚名を晴らすよう、どうか私にお命じ下さい」
「チャンか。いや、しかし……」
「私に何かあれば、妻と息子を頼みます」
「おっ、おい! 待てっ、行くな!」
四男チャン、父の制止に聞く耳を持たず、配下から弓を奪って前進する。そして矢で先ほどの少年に狙いを付けた。
それに気付いた少女が目を見開き、慌てて少年に声をかけようとするが、遅い。モンケは流石はわが――。
「ああもうっ! 世話が焼けるんだから! 煉獄の炎、エルファイアー!」
爆発。弓を番えた四男チャンは、目も眩むほどの巨大な炎に包まれ、肉片一つ残さず蒸発した。
「もう、勝手に部隊を抜け出さないでよね! ナーシェンに言いつけるわよ」
真っ赤な魔道書を脇に抱え、ちっちゃい胸を張る少女に、少年が狼狽していたりするのだが、そんなハートフル舞台裏などモンケの知る由ではない。わずか数分の間に長男から四男までが討ち死にしたのである。サカ軍は最初の勢いはしぼんでいき、いよいよ悲壮な空気に包まれていた。
「チャぁぁぁぁあンっ!」
我を忘れて絶叫するモンケ。そんなモンケに涼しげな声がかけられた。
「理魔道士ですな。ですが、ご心配には及びません。私の闇魔法は理魔法に勝るものでございますれば」
「いや、そろそろ撤退を……」
「ふむ、父上は弱気になっているようだ。しかし、私の活躍を見ればすぐに何時もの父上に戻られることでしょう」
六男マラル。六兄弟で唯一の闇魔道士である。
闇魔法ノスフェラートの魔道書を掲げ、詠唱を始めるマラル。末子でありながら、もっとも頭のデキがよかった息子である。限られた者にしか扱えない闇魔法まで会得した、兄弟の中でもどこか毛色の違う息子だった。その毅然とした姿に、弱気になっていたモンケも立ち直り、さすg――。
「………………」
ぶすり、と額に矢が突き刺さった。
「戦場での余所見は命取りになるぞ。それと、魔道士はあまり突出するな。お前たちに何かあれば、ナーシェン殿はどう思うのだろうな」
弓を放ったのは、戦場の中で説教を始める男。老人とは説教が趣味のようなものだが、これはひどい。
ハートフル舞台裏では少女と少年がしゅんとしているのだが、そんなことはモンケの知ったこっちゃない。
「……あれは、ダヤン。灰色の狼ダヤンか!?」
どこかから兵士の悲鳴が上がる。
サカの英雄、神騎兵ハノンの再来。その名声は戦場に現われただけで、味方の戦意がごっそりと抜け落ちるほどであった。
「撤退するぞ……」
心労で今にもぶっ倒れそうな顔をしながら、モンケはやっとそれを下知した。
「父上、それでは我らの矜持はどうなるのですか! 我らの地サカはどうなるのですか! 卑怯者のベルン兵が国土を蹂躙すると思うと、今にもはらわたが煮えくりかえりそうになります!」
「あっ、おい! ブラクル! ええい! あやつは放っておけ!」
勝手に敵軍に突っ込む五男に、モンケはもう何も言う気も起こらなかった。
モンケは後日、ブラクルが剣聖カレルに斬られたと人伝に聞くことになる。