後世に書かれた物語――騎士軍将パーシバルを主人公にした『騎士道』という小説では、ナーシェンは陰湿な独裁者のように描かれている。ナーシェンは家中で絶大な権力を振っており、家臣たちは主君の顔色をビクビクと窺っていた――というような書き方である。
ナーシェン悪人説を唱える者たちは、ナーシェンが「ブラミモンド家の持っていた爵位を家臣に与えなかった」ことを自説に上げている。これは事実であった。ブラミモンド家が保持している爵位は子爵が一つ、男爵が二つである。子爵を子息に与えるつもりだったとしても、これだけの爵位を余らせておいたのは、ナーシェンが権力を己以外の手に預けるつもりがなかったからだ――ということらしい。
ナーシェンが何を考えていたのか、後世の歴史家は大いに悩まされることになる。
エトルリアの貴族を寝返らせるために、爵位を余らせておいたという説もあれば、バルドスが偉大すぎたため家臣は遠慮して爵位を欲しがらなかったという説もある。何れにしろ、真相はわからない。ナーシェンが生涯で書き上げた書物は二百冊を超えるが、その中には自伝や回顧録のようなものが皆無だったからである。
『花の刑事』や『ソードマスター商売』、『バーニング孕ませ転校生』、『この青空にプロミスを―ご利用は計画的に』に目を通しても、ナーシェンの思想はまったく見えてこない。『車輪の国、向日葵の幼女』に少しだけ出てくる哲人思想であるが、これもナーシェンの思想を体現しているとは思えない。ジェミー夫人の残した日記に、「民主主義は最悪の政体だ。もっとも、これまでの政体よりはマシだがね。とチャーチルっぽく言ってみる」と書かれているからである。
それはともかく、ナーシェンが善人であれ悪人であれ、彼が独裁的であったのは間違いないだろう。好意的に見れば、それは時代が彼をそうさせたのだと言える。ブラミモンド家の栄光は、彼なくして為し得なかったのである。
ブラミモンド公爵1000 アルフレッド侯爵500
グレン400侯爵 ベルアー300伯爵 カザン伯爵300
総数2500。以上がベルン北部同盟の兵力である。本気でベルン王国に反旗を翻せる勢力だった。
ナーシェンの著書『異・恋姫†夢想ドキッ、乙女だらけの戦国時代(R18)』のヒロイン、織田信長は、元々は尾張の守護代だったが、巨大な財力で主家の斯波氏を上回ったという背景を持つキャラクターである。主人公のカズトが「そ、そうか。センゴク外伝桶狭間戦記にもそう書いてあったぞ!」と口走っているが、そんな感じである。
【第7章・第5話】
ペガサスナイトの少女――ティトは胡乱げな目をその青年に向けた。
女性騎士らしく髪は肩の辺りで切りそろえているが、その美貌はまったく損なわれることなく他者を魅了している。美人で評判のペガサス三姉妹の次女である。それも若くして傭兵団の隊長。若干キツイ目をした彼女は、男たちに怖がられているのだ。
美人すぎたり完璧すぎたりすると、男というものは劣等感に苛まれて尻込みするものである。
しかし、目の前の青年は怯んだ様子はなかった。
「私たちが何とかしなければ、確実にエトルリアは崩壊するのです。んっふ、困ったものです」
エトルリアの名門、リグレ家の当主クレインは、何が面白いのか軽薄な笑みを浮かべている。
笑顔で感情を隠しているのだろう。腐敗した貴族とは別物として考えた方がいい。
ティトは警戒心を緩めず、とりあえず話を進めることにした。
「それで、私たちと傭兵契約を結びたいとのことですが……」
「今回の雇用は、天馬騎士40人を予定している」
クレインは微笑みながら指を立てた。
「年間15万ゴールド。食事や住居、武器などの諸経費はこちらが負担する。ただし、契約期間は最低でも十年。違えれば違約金を取らせて貰う」
「………………」
ティトは即答しかねた。
この契約期間がくせ者だった。傭兵とは雇い主や国に忠誠を誓っているわけではない。大事なのは傭兵としての信用だけだが、それも命より重たいものではない。なので、雇い主が落ち目になると、さっさと見限ってしまえるのである。
契約期間とは裏切りを封殺するための手段であった。
ただ、イリアの傭兵が得た報酬は、その大半が故郷の家族に送られる。それでも極寒のイリアでは口に糊をするような生活しかできないのである。15万ゴールドの契約金は喉から手が出るほど欲しいものだった。
「ペガサスナイトの空からの情報は、もはや必須とも言えるだろう。だが……」
ティトはクレインの目を見つめる。
何時の間にか、真剣な顔をしていたクレインは、静かにティトを見返した。
「ティトだったね?」
「は……はい……」
ティトの胸がどくんと高鳴った。
考えても見て欲しい。エトルリア随一の美男子にまじまじと見られているのである。
「ティト。私には貴女が必要なんだ」
人は必要とされている時に喜びを感じる。幼い頃から上に立つ者としての指導を受けてきたクレインの哲学が言わしめた台詞だったが、ティトにはただの口説き文句にしか聞こえなかった。
クレインの軍制改革は、当人の思惑を外れて大きな成果を上げることになる。
騎兵を用いず、サカ地方の長弓を参考にして作ったロングボウ部隊と重騎士による戦闘法。そこに、遊兵としてペガサスナイトが加わることになる。
ロングボウ部隊はすべて平民で構成されていた。騎士ほど金がかからないため、兵力の増強も容易であった。
奇しくもそれは、百年戦争でイングランドを幾度も勝利に導いた『モード・アングレ』の再現だった。
――――
ナーシェサンドリアの表通りは、時間に関係なく賑わいを見せている。朝市の混雑具合などは競りなどの修羅場に慣れた商人たちですら圧倒されるほどだ。そして、その商品もエレブ大陸中から集められている。
朝の小休止とも言える時間帯。
ひとりの少女が、手提げ鞄を腕にかけて、市場をうろついていた。
「おっ、ソフィーヤちゃんじゃねえか! 今日も美人だねぇ!」
「あ……いえ……」
頭にハチマキを巻いた魚屋のオヤジに声をかけられ、ソフィーヤは困ったような顔をした。と言っても、表面上は無表情のままだったが、ナバタの長老曰く、長年付き合ってきた者ならこの表情の変化がわかるようになるらしい。
「アンタ! 他人の妻に色目使ってるんじゃないわよ!」
「イテェ! おかあちゃん、グーはやめてお願いだから!」
騒がしい魚屋夫婦を横目に、ソフィーヤは店先を眺めた。
ナーシェサンドリアは内陸にあるのに鮮魚が並んでいる。
ベルンは山岳国家でもある。険しい山の連なる北部は、この山のお陰で、冬になると大雪に見舞われるほどだ。その奥部では氷作りを仕事としている者たちがいる。この氷を使って、ベルンの東海岸で取れた魚の鮮度を落とさず市場に並べるのである。
「で、ソフィーヤちゃん。今日は何にするんだい?」
「あ……これを三匹……」
そう言って彼女が指さしたのは、氷を入れた箱に詰められたイカだった。
「そういや、アンタの旦那さんはこれの塩辛が好物なんだってねぇ」
反射的にソフィーヤは頷いてしまうが、これが好物なのは別に彼女の夫ではない。なのだが、何時の間にかナーシェサンドリアの商人たちからは、ソフィーヤは貴族様の若妻ということにされていたのである。
ソフィーヤは植物の大きな葉と氷で包まれた袋を受け取ると、ペコリと頭を下げて次の目的地に向かった。
「次は酒屋かねぇ。いいねぇ、若いって」
「旦那さんが羨ましい……って、おかあちゃんも十分に美人だぞ! それは俺が保証する!」
「お前さん……。どっか頭をぶつけたのかい?」
「せっかく褒めてやったのにこれだよ!」
ちなみにこの夫婦、ナーシェンが悪ガキだった頃からこの街で商売していたため、金髪の儒子とは知り合いだったりする。世間とは意外に狭いものである。
――――
ナーシェンは月を見ながら杯を煽った。
「大体これで、役者は出揃ったか」
打てるだけの手も打っている。エレブ歴1000年になるまでに、サカ地方とイリア地方を平定することになるのだから、軍拡も推し進めた。とは言え、この軍拡はゼフィール王からの命令があった。ブラミモンド家だけではなく、他の諸侯たちも兵力増強を計っている。
ゼフィール王と三竜将の直属の兵力が5000。これはナーシェンの予想を大きく上回っていた。農民を大量に徴兵したらしい。人数を増やすのはいいが、その装備や糧食を賄う力はナーシェンにはない。これが国主の底力である。
危機感を覚えたエトルリアやリキア地方も兵力の増強に勤しんでおり、今や大陸は戦争景気に沸いていた。貴族の持つ大量の財が民に放出されているわけである。この手の経済は反動が恐ろしいんだよな、と思ったナーシェンは今から食料庫への備蓄を増やしているが、経済学はトーシロも同然なので、ぶっちゃけどの程度役に立つものかわからなかった。
「これじゃ、頭が何時かパンクするな……」
ははは、と乾いた笑いを漏らす。ワーカーホリックのようなものである。
たまに家のことや世界のことなど、すべてを忘れて逃亡したいと思うことがある。
「戯れ言だけどな」
杯を一気のみする。脇に侍っていたソフィーヤが、酒瓶を傾けて酒を杯に注いだ。
「おう、すまんな」
「いえ……」
ジェミーやリリーナと夜を明かすことが多いナーシェンだったが、たまにソフィーヤを呼んで酒の相手をさせたりしている。家臣たちは彼女のことを愛人だと思っているようだが、ナーシェンはまだ彼女を抱いたわけではない。
会話はほとんどない。それが、無性に心地よかった。
何時か、自分は彼女を抱くのだろう。そういう確信はあった。
「ナーシェン様。あの……」
「何だ?」
「明日は……その……出歩かない方が……」
「危険でも予知したのか?」
「はい」
「そうか」
ソフィーヤの心細そうな目を見つめた。
「じゃ、外出することにしよう」
「……っ!」
ナーシェンは意地悪に笑ってみせる。
「二人で一緒にな。ジェミーたちにも内緒だ」
「……それは」
「危険がわかるなら、二人で立ち向かえばいい」
危険を不幸と捕えることに誤りがあるのだ。窮地にこそ活路ありと言う。ナーシェンに襲いかかった暗殺者が、裏切ってナーシェンに登用されれば、それは幸運と言えるだろう。その暗殺者が持っていた情報が貴重なものだったらなおさらだ。
ま、誰にも気付かれないようにジャファルでも護衛に付けとけば問題ないだろう。
「私には守るべきものが沢山ある。守りきれるまで、死ねんよ、私は」
「ナーシェン様……」
「もちろん、お前も大切なもののひとつだぞ」
ソフィーヤを抱き寄せる。彼女は「あっ…」と驚いたが、すぐに両目を閉じてナーシェンにしなだれかかった。
この温もりは、誰にも渡さない。
「月が綺麗だな」
「……はい」
ソフィーヤは目を閉じたまま、頷いた。
あとがき
修正中にワイヤレス通信が切断。エラーが発生。電子レンジでジャガイモをふかしていたからだろうか。
せっかく書いたあとがきが吹っ飛んだorz
Q&Aの回答も吹っ飛んだ。なので必要そうなものだけ書き直しておく。ごめん。
Q.覇者はどれぐらい出すんの?
A.蛇足程度にしようかな、と。アルに「息子よ!」と叫ぶナーシェンも見たいが…。
Q.覇者ではエトルリアの人口が100万人(ry
A.忘れて……お願いだから忘れて……。作者の最大の失敗に人口の問題がありまして、書き始めた時にファイアーエムブレムっぽさを出すなら万単位の兵力は必要ないだろうということで、こんな感じになってしまったという事情があります。それが諸悪の根源。今更どうにもならないのでこの設定で突き進みます。
Q.昔のあとがきが消えてるぅ~?
A.あとがきは黒歴史です。