ゲクランは歴史が好きだった。領地に訪れる吟遊詩人が語る、英雄たちの叙事詩が特に好きだった。武略や知略、それに憧れた。自分もいずれは歴史の表舞台に上がり、将来は英雄と呼ばれたい。そう思うようになった。
しかし、ゲクランは三男だった。側室の子である。
どんなに頑張っても、将来は兄の家臣。しかも、ゲクランは刀槍はあまり得意ではない。知略には自身があったが、若輩者ではいくら献策しても受け入れてくれない。それどころか、父からは「私に意見するのか」と殴られ、兄たちからは嘲笑を浴びせられた。
このままでは英雄たちの表舞台には昇れない。焦燥感がゲクランの胸を焼いた。
最近ではベルン王国のナーシェンがトラヒムを撃退し、一躍大陸に勇名を轟かせていると言うのに、自分はまだこんなところで燻っている。それが許せなかった。
そして――。
父は山賊退治の時に流れ矢を受けて死亡。母はそれを悲しんで、毒をあおって自殺。長兄は落馬の傷が原因で死亡。次兄は街を歩いている時に通り魔に惨殺されている。
不審すぎるため送り込まれた王国側の査察団は、ロアーツに取り入ることで抑えつけた。
ゲクランはまさしく、謀略の天才だった。
これを見た弟のエマヌエルは、兄に恐怖して臣従を誓った。刃向かう気力は残っていなかった。
【第7章・第3話】
ゲクランは焼け焦げた死体を見つめ、陶酔したような眼をそれに向けた。自分の策略が戦場を左右する。そう、これだ。これが自分の求めていたものなのだ。
「兄上。残敵の掃討が終わったようです」
「そうか。では、モンケ殿のところに向かうとしよう」
弟のエマヌエルの報告を聞いて、ゲクランは表情を引き締める。
二十代前半の若者だった。栗色の長髪を背中の中ほどまで伸ばしているが、それが嫌味になっていない。側室の母の美貌をそのまま受け継いだかのような貴公子だ。
本営にたどり着くと、集められた捕虜の女性たちが、潤んだ瞳をゲクランに向けている。仲間を失った悲しみか、これからのことを思って涙しているのか、それともゲクランの美貌に魅せられているのか。
「兄上は相変わらず女性に人気なようで」
エマヌエルが茶化してくる。悪い気はしないが、ゲクランは申し訳なくなった。
弟のエマヌエルは、凡庸な顔つきだった。凡愚とうたわれた父や、政略結婚だった母は、容姿に優れていなかった。両親の容姿をそのまま受け継いだ青年だった。だが、ゲクランに欠けている武勇を補ってくれる武将だった。
「モンケ殿。此度の勝利、おめでとうございます」
「おお、ゲクラン殿か。待っておったぞ!」
親しげに笑うモンケに、ゲクランはなごやかに笑い返しながらも警戒心を緩めなかった。
父と同じ臭いがする。謀略に生きるゲクランは、直感的にモンケの本質を見抜いていたのである。形勢が悪化すれば、こちらも巻き込んで犬死にするような手合いだ。
「貴公らの武器防具のお陰で、我らの損害はひとつもない。エトルリアには感謝してもしきれぬ」
「どういたしまして、と答えておきましょうか」
ロアーツの指示によって行っていたジュテ族の取り込み。そして、ジュテ族を使って邪魔な部族の排除。謀略を得意とするゲクランにとっては、歯ごたえのない仕事だった。簡単すぎた。
(何をしている……? ナーシェン、このままでは俺がサカを切り取るぞ?)
唯一危惧しているのは、サカの南に鎮座しているブラミモンド公爵のみである。
それが、静観している。『灰色の狼』ダヤンが動き出すよりも、こちらの方がよほど不気味だった。
「しかし、よろしいのか。エトルリアの方も、先の戦の傷が癒えておらぬと聞いておる。我らを支援する余裕があるとは思えないのだが」
「我らエトルリアも不安定な政治体型を持つサカに不安を抱いておりました。ジュテ族によるサカの統治は望むところでございます。それに、エトルリアは大国。一度の敗戦で負った傷ごとき、たちまちに癒えてしまいます」
「それは頼もしいな」
モンケの嬉しそうな物言いに、ゲクランは内心で「俗物め!」と罵っていたが、表面上は始終おだやかに対応した。
やがて、下がろうとするベルトラン兄弟に、モンケは捕虜の女性たちを指さして言った。
「お好きな者を連れて行かれよ。今回の勝利も、貴公らのお陰だからな」
「よろしいのですか!?」
嬉しそうな叫びを上げるエマヌエルに、ゲクランは苦笑した。
――――
ナーシェンは各地に放った諜報員たちからの報告を順番に聞いていた。諸侯の動向、軍事力、王宮の政治、ありとあらゆる情報がナーシェンのところに集まっている。
「……ふむ。サカの内乱については、エトルリア、ベルン両国ともに静観か」
報告を終えた諜報員たちが消え去り、幾分静かになった執務室でナーシェンは地図を広げた。
ジュテ族の支配領域に印を入れながら、これからの戦略を考える。両大国は不干渉を取っているが、水面下では様々な工作が行われているのだろう。ジュテ族の勢力拡大にエトルリアの援助が存在することは、まず間違いない。
「おい、誰かあるか」
「はい。何でしょうか」
「サラを呼べ」
執務室の入り口を固めていた兵士を呼びつけると、すぐさま命令を下した。
ゲイルが三軍将に就任したということは、ベルンもそろそろ大遠征を視野に入れ始めたということである。手始めにサカを支配下に置いて、続いてイリア地方を制圧。リキアを切り取ってから、エトルリアに侵攻する。この辺りはナーシェンの介入はあれど、原作と変わらないだろう。
しかし、サカへの支配力は、現時点ではエトルリアにアドバンテージがある。ベルンは出遅れていると言えるだろう。ロアーツの戦略眼が優秀なのではなく、ベルトラン子爵の鬼謀が冴え渡っていると言うべきか。
しかし、すでに罠は仕掛けられている。
「定石では、暴力というものは先に手を出した方が負けなのだがね」
ナーシェンはほくそ笑む。それはまさしく、謀将としての暗い笑みだった。
「ナーシェン様、失礼します」
部屋に入ってきたサラを見て、ナーシェンは思考を止める。
「『灰色の狼』ダヤンと連絡を取りたいのだが」