エレブ歴997年――。
竜騎士ゲイル、三竜将に就任。
当初は他国の人間ということであまり歓迎されなかったが、他になり手がいなかったことと、ゲイルの優れた能力に余計な口を挟む者はなかった。
と言うよりも、ゼフィールが強引に推し進めた。国家の中央集権化を目指すゼフィールに、諸侯をその座に就けるという選択肢はなかった。その点ゲイルはマードックに気に入られてはいるが、後ろ盾のようなものを持たないために都合がよかったのである。
「いやぁ、めでたい。本当に目出度いことですなぁ、ゲイル殿。いや、これからはゲイル将軍と呼ばなければなりませんか」
ゲイルの背中をグレゴリ侯爵が叩きまくっている。すでに出来上がっていた。
ナーシェンは壁の花と化しながら、ちびちびと酒を飲んでいた。
この男がはっちゃけないのは珍しい。周りの者が不気味なものを見るように様子を窺ってくるのが鬱陶しく思うナーシェンである。
「あのお兄ちゃんがなぁ……」
ナーシェサンドリアの喫茶店に入り浸っているゲイルである。真顔で従業員を身請けしたいと相談してきた時は、思わず格式などを度外視してぶん殴ってしまったが、そのゲイルがついに将軍になるわけだ。感慨深いものがある。
死亡フラグそのいち――回避。
感慨深げに憑依以来のイベントを振り返っていると、貴族の中に紛れ込んだ諜報員が、こっそりとナーシェンに耳打ちした。
「ジュテ族によりルル族が攻め込まれております」
「……ふぅん。ようやく動き出したか、エトルリアの愚物どもが」
「どうしますか?」
「泳がせておけ。ジュテ族ごとき、何時でも潰せる。それよりも優先することがあるだろう。今から『灰色の狼』とのパイプを作っておく。ジェミーにはそう言っておけ」
ジャファルの教育を受けた諜報員が、影に紛れて祝宴の会場から抜け出していく。
ナーシェンの脳裏には、サカ攻略の展開が図面に浮かんでいた。常に謀略について頭を巡らせておかなければ落ち着かない。これは病気と言えるかもしれない。
苦笑しながらゲイルを見やると、ナーシェンは酒瓶を片手に歩み寄った。
【第7章・第1話】
「レイ君、朝だよ。起きて」
甘ったるいシロップをふんだんにぶっかけたような声だった。酒を飲んでいたわけでもなく、また風邪でもないのに、頭がズキズキと痛み出した。これが、俺の母親か――とレイは頭痛のする頭を振りかぶりながら身体を起こす。
寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見回すと、とろけるような笑みを浮かべた母親の姿が。
「レイ君、おはよぉ」
「ああ、おはよ」
同年代の友人――魔法学校の同級生や見習いの従騎士たちが羨ましげな顔をするが、レイにはまったく理解できない。美人の母親にやっかみを覚えるのはわかる。だが、レイには「これがなぁ?」という気分にしかならない。
『そうかそうか。どうせなら幼馴染に起こして欲しいよなぁ、少年。で、朝立ちしているのを見られて『いやっ! レイ君の変態!』って叩かれたいんだろ』
『るせえよ、変態貴族』
師匠との会話を思い出して、レイはげんなりする。
父親は暗殺者。母親は天然若妻(巨乳)。複雑な家庭環境に溜息も吐きたくなる。
ちなみにこの母親、魔法学校の教師だったりする。教室が騒がしくなると「静かに! お願いだから静かにしてぇ!」と半泣きになる。その度に校舎裏でレイの拳が炸裂したりする。マザコンか、俺は。べ、別に母さんのためにやったんじゃねぇよ! ――とは本人の弁解。
「どうしたの、レイ君。溜息なんか吐いたりして?」
「着替えるんだよ」
「そうなの?」
そうなの、じゃねぇよ。ニコニコしながら息子の着替えを眺めるんじゃねぇ。
そんなこんなでレイは母親を部屋から追い出し、ローブを羽織って魔道書を小脇に抱えた。
師匠は朝早くから客を出迎えるための準備に追われているはずだ。多忙な師匠を見る度に、内心で「ざまあみろ」と思うのだが、その所為でレイの修行の時間が減るのは問題だ。
(また、何か手伝わされるんだろうな……)
弟子に政務を押しつける師匠。死ねばいいのに。
――――
騎士の新規登用、増員数は200。
ジェミーは頭の中で予算表を広げて、訓練にかかる費用や装備などを算出していた。文官が走り回り、「おい、鉄の槍の相場は!?」「知るか! 自分で探せ!」「リストならここにあるぞ。エトルリアのだけど」「意味ねぇよ!」などと言葉が交わされ、文字通り書簡が空を飛んでいる。
まさしく、修羅場だった。
ちなみに、ナーシェンはサカ地方の政略に追われてこの案件に関わっている暇はなかったりする。
「ジェミー様! 面接官のイアン様が逃亡しました!」
「はぁ? まだ50人目じゃない。400人は頑張って貰わないと!」
「そ、それが、『永遠はあるよ、ここにあるよ』と言って蒸発したそうです」
「仕方ないわね。じゃ、ディートハルトを引っ張ってきなさい」
「イエス、マム!」
おたおたと走り去る兵士の背中を見送らず、ジェミーは机の上にどんどんと増えていく書類を手に取って、さっと視線を走らせる。筆で修正を入れると担当の文官に投げつけた。
「ジェミー様! ブラッド様が面接場に乗り込んで暴れ回っています!」
「はぁ? 採用が決定するまでは、“あれ”は兵舎に閉じ込めておけって言っておいたでしょう」
「そ、それが、『気に入ったよ君の身体……そしてジュニアもな……』とノリノリで面接しているようで」
「隔離しなさい。むしろ抹殺しなさい。で、ディートハルトはまだなの?」
面接場の光景を思い浮かべてしまったジェミーは、顔をしかめながら兵士に問いかける。
その途中で執務室に入ってきた少年は、カレルの剣速よりも速く回れ右した。
レイであった。
が、それよりも速くジェミーの右手が少年の肩を押さえつけた。ドラゴン○ールの瞬間移動を超越した速度である。今ならジャファルにも勝てるような気がする。
「ちょうどよかったわ。手伝いなさい」
「な、何で俺が。俺は師匠を捜していただけだ」
「大丈夫よ。この机の書類を処理したら、居場所を教えてあげるから」
「ぐっ。ひ、卑怯だぞ!」
「聞こえなぁーい! ジェミーちゃんは何も聞こえなぁーい!」
「くっ、いい歳して『ちゃん付け』かよ」
「……………………さっさと働けよ。バラすぞ、クソガキ」
「……………………」
空気が凍り付いていた。慌ただしく動き回っていた文官や、給仕の侍女たちまで、一様にこちらを振り向き、光のごとき早さで目を逸らしている。
「あ、あはは……みんな、どうしたのかな?」
「「「………………」」」
「ジェミーさん、お呼びで……どうかしましたか?」
ディートハルトが黙りこくる一同を見て、怪訝そうに首を傾げていた。