最初は、多少は剣術の心得がある小娘。
そんな印象は、木刀を構えて対峙した瞬間に消え失せた。
「ガトチュ・セッケンスタイル!」とふざけていた剣士は、剣を静かに斜に置き、湖面のような落ち着いた顔をする。それまでのお遊びのような雰囲気は一変していた。
彼はカレルの弟子の中でも五指に入っており、自らの実力に奢ることなく剣の腕を磨き続けていた。三年前にナーシェンから剣術修行の許可を貰うと、オスティアの闘技場で二十人斬りを果たしている。その場でエトルリア貴族に仕官を要請されたが、彼はそれを蹴ってカレルのところに戻って来ていた。
「ふっ、流石は師範の姪御。血は争えぬと言うことか」
「……先ほどの剣はお遊びだったというのですか」
「奇剣に剣理は付いて来ない。あれが俺の実力と思われては困る」
木刀が振り下ろされる。
フィルは身体を右に逸らすと、相手の首元に剣を忍び込ませた。なのに、カンと甲高い木を叩いた音がして木刀が吹き飛ばされ、気付けば己の喉元に木刀が突きつけられていた。
「そこまで。フィル、君の剣は正直すぎる。虚を覚えることだ」
フィルはカレルの言葉にうな垂れる。
彼は余力を保ったまま剣を振り下ろし、フィルの攻撃を誘ってから剣を振り上げ、相手の隙を作ったのだった。これまで山賊などしか相手にしていなかったフィルにとって、騙し合いの剣術とは知識にないものだった。
【第6章・第6話】
ニノが屋敷に担ぎ込まれてから三日後、ライブの杖のためか、侍女の介護のためか、薬のためか、とにもかくにもニノが意識を取り戻した。ナーシェンは初対面の自分が向かっては向こうも心細かろうということでカレルを向かわせたのだが――。
「ひぃぇっ!」
思いっきり怖がられてしまったらしい。剣魔時代のカレルを知る者なら当然の反応なのだが、と言うか、あんたの旦那さんも同じ穴のムジナじゃねえかと問い詰めたくなる。
ナーシェンは練兵所で兵士たちを虐めていたバアトルを引っ張って、ニノの客間に向かった。
客間の扉に張り付いて部屋の中の様子を窺っていた竜騎士どもに闇魔法を食らわせ、ゴミのように蹴飛ばしながら部屋に入ると、ガクガクブルブルと震えている巨乳若妻の姿が。
「な、なんなの! こんなところに閉じ込めて、あたしをどうするつもり!」
「なぁ、バアトル殿。何でこんなに脅えてるんだ?」
「そうだな。あれはたしか十四年前のことだったか。カレル殿がその娘の傍にいたジャファル殿に、出会い頭に『抜け。さもなくば、この娘を斬る』と声をかけたのだ。そして、二人は殺し合いを始めたのだが、それを止めたのはたしかリン殿だったか。以後もカレル殿とジャファル殿が争う度にそこの娘が泣いておったな」
「………おっけー、把握した」
頭が割れそうだった。
ナーシェンはコホンと咳払いすると、意を決して声をかけた。
「あー、私はブラミモンド公爵ナーシェンだ。貴殿はわが領内の街道で行き倒れていたところを、このおっさん……ゴホン、バアトル殿が助けたということになる。カレルは俺の手下だが、もう人斬り稼業は辞めているらしいから安心してくれ。と言っても心は休まらんか」
「あなたが……ナーシェ……えっと、ナーシェン様なの?」
慌てて「様」付けしたのがおかしくて、ナーシェンは苦笑した。ナーシェンは自分の呼び方などに興味はないので、正直なところどうでもよかったのだが、家臣たちの前で親しげに名を呼んでしまうと手打ちにされる恐れもあるので何も言わなかった。
「ナーシェンさんって……あ、ごめんなさい。ナーシェン様って、ルゥとレイのいる孤児院に援助してくれているんだよね?」
「はぁ。たしかに当家はルセア殿の孤児院を援助している。他にも、大陸の十二の孤児院に食料を送っているがな。それと、今は無理して敬称を付けなくても構わない。無論、人前では我慢して貰うことになるが」
「あ、ごめんなさい。気をつけるから……」
「………はぁ」
ナーシェンは驚いた。『烈火の剣』は十四年ほど前になる。ニノが当時十歳前後とすると、もう二十代半ばになるはずだ。だが、彼女の性格は当時のものと何ら変わりはない。
「卑屈になるな。今まで君にこう言った者は?」
ニノは戸惑いながら首を横に振った。
それはつまり、恵まれた境遇がほとんどなかったということだ。
ナーシェンは販路拡大時代(五年前)に各国の商会に掛け合って、ニノとジャファルの手配書を取り消して貰っている。それでも、黒い牙に恨みを持つ者は多く、裏の世界では未だに賞金がかけられていた。
ナーシェンは裏側の世界まで影響力を持っていない。
そんな己への怒りがあった。
「後ろを見るな、過去を見るな、前を見ろ、未来を見ろ。そして、進め」
「………え?」
「いや、何でもない」
ナーシェンは首を横に振った。自分ごときの言葉で、彼女の性格が矯正されるなら、とっくの昔にどうにかなっている。リーダス兄弟ならともかく、自分の言葉は“軽い”。ま、その辺りのことは旦那さんに任せることにしよう。
と言うわけで、さっさと出てきやがれジャファルの野郎。
「ナーシェン様、ご報告に参りました! ――あ、お邪魔でしたね。失礼しまーす!」
「……っておい、何で逃げるんだよ!」
「はははっ、そんなこと、俺の口からではとても言えませんよ。しかしナーシェン様の守備範囲の広さには驚かされますよ。幼女から人妻まで、もう何でもありですね♪」
ナーシェンは舌打ちした。そのようなことを、屋敷の中で大声で触れ回られたら、ジェミーやリリーナたちにどのような目で見られるのか。ぶるりと身を震わせると、ナーシェンは逃げた兵士を追い駆け始めた。
―――
「はぁ……」
フィルは屋敷の庭で溜息を吐いた。
あれから何人かと手合わせしたのだが、いずれもまったく歯が立たなかった。ここは魔人の巣窟かと叫びたくなったほどだ。これでもフィルは山賊十人に囲まれて、切り抜けたことがある。だが、カレル道場ではそのような自負など、過信にしかならない。フィルの心は、いとも容易く折られてしまった。
カレルは高レベルの剣を見せて、フィルの慢心を崩すつもりだったのだろう。
フィルも、それはわかっていたため泣き言はこぼさない。
「おや、フィル殿は残られるのか?」
現れたジードは、まるでこれから戦にでも行くというような格好をしていた。全身を守る鎧、竜騎士用の長大な鋼の槍、背中に鉄の大剣を背負い、腰には光の剣を帯びている。出合った時より物々しい姿である。
「どうなさったのです、ジード殿」
「リキアとの国境際に山賊団が追いやられているらしくてな。領内の村を荒らされては堪らんので、国境を越えたところで殲滅することにしたようだ。俺は偵察から戻って来たばかりだが、また出陣ということになる」
「はぁ、大変ですね」
ジードは「それほどでもない」と笑みを浮かべたが、そのどこか引きつった笑みに共感を覚えてしまうのはどういうことだろう。フィルは「はは…」と乾いた笑みしか出てこなかった。
「先ほどから、何か思い悩んでいるようだな」
「ええ。私は子どもの頃から剣に触れてきました。それで多少は剣について理解したつもりになっていたのですが、どうやら私は大海を知らない蛙だったみたいです。彼らの剣理は私の理解の及ばないところにありました」
何時の間にか、言葉が出ていた。
「……俺は剣についてはわからないが」
ジードは突然話を振られて、目を丸くしていたが、やがてその目に理解の色が広がっていった。
「俺が始めて飛竜に乗ったのは十五の頃だった。それまでは剣や槍、あとは苦手だったが学問もやったな。十五になって、ようやく自分の飛竜を与えられた。感激したよ。ようやく竜騎士として訓練を積んでいた自分の努力が実るんだ。ようやく俺を養ってくれた人に、借りを返せるんだ。充実感で一杯になった」
ジードは屋敷の中から聞こえてくる声を気にしながら話していた。時間が押しているのだろう。フィルはそれを申し訳なく思ったが、ジードの話に引きこまれているおのれを自覚していた。
「それでな、与えられた飛竜のところに向かったんだ。ところがだ……」
「………?」
「飛竜に睨まれてな、怖ろしくて動けなくなったんだよ。背中に乗ろうとすると暴れてな。飛竜は気高い生き物だ。調教されて、誰でも背中に乗せる飛竜は大人しくて戦場では役に立たないからな。ま、俺に与えられた飛竜の気性も荒々しかったというわけだ」
飛竜が空を待っていた。ジードが手を振って「おお、迎えに来てくれたのか!」と叫んでいる。
「今ではこうしていっぱしの竜騎士をやってるが、昔はそんなもんだ。飛竜に踏み潰されそうになって、蹴飛ばされて、噛み付かれそうになって、諦めそうになって。でもな、普段は馬鹿ばかりやってる先輩が励ましに来てくれるんだよなぁ」
「……ジード殿」
「さて、そろそろ俺は行くぜ」
飛竜が庭に舞い降りる。ジードは一息で飛竜の背に跨った。飛竜が満足そうに目を細めている。フィルは竜騎士と飛竜の信頼関係が見えたような気がした。
「ジード殿!」
「おう!」
「気落ちしていた私を励ましてくれて、感謝します!」
フィルはこれから壁にぶつかっても、越えていけるだろう。そう思った。