エトルリア軍が接近すると、ベルン軍は速やかに布陣を整えた。ほぼ同数、4000の兵力のぶつかり合いであり、会戦予定地はそれなりに広めに取られている。ベルン軍は先手なので小高い丘に布陣してエトルリア軍を迎え撃つ体勢を取った。
侵略すること火の如し――! と叫びながら『懸れ龍』の旗を翻して突撃する騎兵軍団。騎兵を指揮しているのは前線指揮官が板に付いてきたイアンである。事前にナーシェンからこう叫びながら突撃しろと指示されていた。主君の行動はいつも意味不明なので、イアンは特に疑問を挟むことなく実行している。
「やっぱり国軍の騎兵は精強だなー。と言うか、具足の色が赤で統一されてるじゃないか。武田の騎馬隊かよ。マジパネェ」
後方で先陣の騎兵の戦いぶりを観察していたナーシェンが感心したように呟く。ベルン国軍の騎兵は赤備えであった。具足や旗指物の色を赤色で統一しているのである。この時代の塗料は赤い鉱石(ナーシェンは名前を覚えていない)をすり潰して塗りつけたものだった。ちなみに、その鉱石は高級品である。
ベルン近衛騎士団マジ半端ねぇ。
エトルリアの騎兵が鎧袖一触とばかりに蹴散らされていく。ダグラス将軍がアーマーナイト隊を前面に展開してからは、戦線は再び落ち着いたが、ベルン騎兵の働きは異常だった。これもゼフィールの軍拡の影響だろう。大陸最強を自認しているのは伊達ではない。
「エトルリアの戦略目標はベルン西部の制圧だったはずだが……」
「敵は補給に難があり、持久戦を仕掛けられると敗北は必至ですから。短期決戦以外に選択肢はないんじゃないですか?」
「だからあれだけ必死になっているのか?」
ジェミーは首を捻る。
たしかにエトルリアの補給には難があったが、一日二日で決戦を仕掛けるほど切羽詰っているわけではない。
ナーシェンは敵軍を眺め見た。ダグラスの第二陣、セシリア・クレインの第三陣は巧みに連携してベルン軍を跳ね返している。ベルン近衛騎士団の騎兵を指揮しているのはレイスという戦上手だったが、老練なダグラス将軍は粘り強く踏み止まっている。
セシリアの魔道軍団の砲撃が地味に効いてきており、徐々に騎兵の勢いが衰えてきていた。
クレインは練度の高い弓兵を所有しており、ダグラスのアーマーナイト隊が簡易的な防衛陣地に、クレインのアーチャー隊が要塞守兵に、セシリアの魔道士隊が砲撃部隊になっている。絶妙な連携具合である。
「やれるやれる! 絶対やれる!」「もっと熱くなれよぉぉぉ!」と突撃した兵士が「あはぁぁん!」と悲鳴を上げながら後退し、部隊長が「もっと堂々としろよ!」「諦めるなよぉ! どうしてそこでやめるんだ!」と叫んでいるが、どうにもならないものはどうにもならない。
「お米食べてぇ……いや、そんなことを言ってる場合じゃねえっつーの」
ナーシェンは首を横に振る。敵軍を見ていて気付いたことがあった。
「ロアーツ、アルカルド隊が孤立していますね」
「まるで攻撃してくれと言わんばかりの状況だな」
第二陣と第三陣の連携は見事だが、もっとも兵力の多い第一陣は諸侯の連合軍でありまとまりに欠けていた。ゲイルの竜騎士突撃だけで戦意を失っている。
「罠でしょうか?」
ジェミーは危惧するが、それはないだろう。ナーシェンは断定した。
「なるほど。そう言うことか」
つまり、敵さんはマトモに戦うつもりはないのだ。ためしにロアーツ隊を崩せばわかるだろう。おそらく、ロアーツが崩れればパーシバルが救援に入るだろう。そして、全軍が撤退を始めるはずだ。大軍を擁するロアーツが失態を犯し、寡兵のパーシバルがそれを救うという筋書きである。
「三軍将といっても綺麗事だけではやっていけんわけだ」
「では、ロアーツ隊を攻めますか?」
主君の智謀に乙女の顔をしているジェミーであったが、ナーシェンは戦局しか見ていない。
「いや、それではエトルリアの足を引っ張ってくれる諸侯が壊滅してしまう。長期的に見ればベルンの不利益になるからな。万が一にでもロアーツが解任されて優秀な奴が宰相についたら、エトルリアは手に負えなくなる」
ナーシェンは伝令用の飛竜騎士を呼び寄せた。
「このまま防戦に徹して、エトルリア軍をなぶり殺しにする」
マードック将軍も騎兵の損失に力攻めは下策と悟っており、ナーシェンの策に異論はなかった。
【第4章・第12話】
エトルリア軍の本陣ではセシリア、クレイン、ダグラスの三人で臨時の軍議が行われていた。ロアーツとアルカルドは最初から除け者である。再三の援護要請が来ていたが、ダグラスは自分のことで手一杯なため、そちらはそちらで何とかして欲しいと冷たい返事をしていた。
「攻めてこなくなりましたね。どうしたのでしょうか?」
ベルンの騎兵やナーシェンが寝返らせたエトルリアの騎士たちの活躍で、序戦は危うくなるところだったが、戦局が落ち着くと次第にエトルリアが押し始めていた。ナーシェンが引き抜いた騎士は能力があるために周囲の者に妬まれて出世できなかった者が多い。悔しいが、兵士の強さは敵側の方が強かった。
セシリアは思い悩む。敵がロアーツ隊を崩してくれれば敗北の言い訳が立ち、無益の戦を続ける必要はなくなるのだが、その敵が陣に引っ込んでしまっていた。
もとより、セシリアたちに侵略の意図はない。身内びいきになるが、いくら三将軍が優秀とはいえ、ベルン西部を切り取るには最低でも敵の五倍の兵力が必要になると考えていた。今回の戦も兵力が多いだけのただの小競り合いである。
「ナーシェンは、私たちを大敗させるつもりでいるのかもしれませんね……」
ふと、ボソリとクレインが呟いた。ダグラスがどう言うことかと眉を寄せる。ナーシェンに嫌味を吐かれて以来、この老将のナーシェン嫌いは有名になっていたが、私情で敵の能力を見誤るような人物ではなかった。
「今回の出兵の戦略目標はベルン西部の制圧ですが、本来ならそれが達成できないとわかった時点で撤退しておくべきでした。今となっては撤退の時期がよくわからなくなっており、ナーシェンに持久戦に持ち込まれれば、私たちに勝ち目はありません」
「時期を誤ると、敵軍が迂回してきて背後を突いてくるかも……」
「そうですね。ナーシェンならやりそうです」
だが、このままではパーシバルに武功を立たせてやれなくなる。わずか500でベルン西部を荒らしまわったのは十分な功績だが、200の兵を失って潰走した失点は大きい。ダグラスとしても、この就任し立ての息子のような年齢の後輩に手柄をやりたいという思いがあった。
何もしない。それだけなのに、これほど自分たちを苦しめる策になるとは……。
これがわずか十三歳でベルン北部を統一した北国の獅子ナーシェンか。セシリアは爪を噛みたくなったが、諸将の手前それもできなかった。
―――
両軍は日が暮れるまで睨み合い、やがてかがり火がたかれ始めた。兵士たちがローテーションを組んで休息を取っていく。数名の暗殺部隊が送り込まれ、ナーシェンの宿所を襲撃したが、そのすべてが側回りの剣士隊に始末された。
尋問したところ、暗殺部隊は膠着状態に焦れたロアーツが送り込んだらしい。
ナーシェンはこの話を聞いてほくそ笑んだ。敵軍に、そして味方にもナーシェンが死んだことを流布し、フレアーに采配を渡して撤退を始めたのである。ロアーツ隊は好機とばかりにナーシェン隊を追撃する。ダグラスが諌めるが聞きはしない。
そして、夢中でナーシェン隊を追いかけていたロアーツ隊は、気付けばナーシェン隊、マードック隊に挟み込まれていた。そこでようやく罠だと気付いたのである。味方が危機に陥っているのはロアーツの責任だったが、ダグラスはこれを見捨てるわけにはいかない。これを見捨てれば、三軍将全員が解任され、ロアーツ派の者たちで固められてしまうだろう。
かくして防衛から攻勢に討って出たエトルリア軍だったが、ナーシェンはロアーツ隊を攻めるのをやめて、前線のマードック隊と合流する。ロアーツは迫り来る死の気配に小便を洩らしており、戦場から逃走してしまった。
「オール・ハイル・ブラミモンド!」「誠死ね!」「オトリヨセー!」「熱くなれよ!」「侵略すること――」「プリンタルト、突撃するぞ!」と叫ぶ軍勢にエトルリア軍は蹂躪され、戦線は崩壊した。
ナーシェンは諸侯軍を無視し、近衛軍を潰したかったのである。わざわざエトルリアの毒素を抜いてやるわけにはいかなかったし、大勝しておかなければ原作が始まるまでにもう一度侵攻してくるかもしれないと考えたのだ。
武田信玄は勝ちすぎるのはよくないと言っていたらしいが、そんなことを気にするナーシェンではなかった。