前略、ベルン北部の冬は厳しいとお聞きしましたが、お身体は大丈夫でしょうか。
公爵への昇進、おめでとうございます。これで、オスティア家はブラミモンド家より格下となりました。もっとも、リキア地方の爵位は主君に与えられたものではなく、ほとんど自称しているようなものなのですが。
これから外でお会いしたら、ナーシェン様って呼ばないといけないのかしら?
ナーシェンなら嫌がりそうね。その光景が目に浮かぶわ。
以前の手紙で形式ばった書き方はやめてくれと言っていたから、堅苦しいのはここまでにしておきます。
最近はナーシェンの領内の施策を聞いて、感心させられるばかりです。エトルリアの新魔道軍将就任の式典にお父様も招待されているの。この手紙が届いた頃には、すでに顔を合わせているかもしれないわね。
ナーシェンの話をするとお父様は何故か不機嫌になるの。練兵場でナーシェンの悪口を叫びながら斧を振っているのよ。もう歳なのに、呆れるほど元気で。でも、この前、これは内緒だけど腰を痛めていたから、やっぱり歳なのかもしれないわね。
あ、言ってなかったかもしれないけど、今度魔道軍将に就任なさるセシリアさんは私たちの教育係だったの。これまではオスティアの駐在武官だったんだけど、凄い出世よね。これからも私たちの指導を続けてくれるのか、まだわからないけど、私はあの人の教えを忘れない。
ナーシェンとの約束を守るために必要なことを沢山教えてくれたから……。
時節柄、お身体を大切に。
リリーナより。
【第4章・第5話】
ナーシェンに届いた手紙を整理している時のことだった。
開封された手紙を保存するか、それとも処分するか――その手の仕事はジェミーに任せられている。絶対に必要と判断したものは、ナーシェンが自分の机に仕舞っているので、今までこのような手紙を見つけたことはなかったが――。
始めにナーシェンを焼いたのが失敗だったか。それ以来、ナーシェンはリリーナからの手紙をジェミーの手に渡らないようにしていたのだろう。
しかし、今までこのようなやり取りをしていたのか。
ジェミーは文面に目を落とし、両手をわなわなと震えさせた。魔道書に伸びる手を押し止めようと我慢する。
落ち着け、私。ここでナーシェン様を焼いてどうなる。嫌われるだけでしょうが。
などと健気なことを考えるのだが、文面から溢れるラブ臭は如何ともし難く、普段は封印しているエイルカリバーの魔道書が納められている引き出しに手が伸びそうになる。あれは駄目だ。ナーシェンが細切れになる。
「大体、どうしてオスティアの公女がナーシェン様に……!」
ナーシェンとリリーナが出合ったのは、リリーナがまだ五歳だった頃である。そして、リリーナはまだ八歳。いや、そろそろ九歳か。だが、どちらにせよ恋などという概念を理解しているとは思えない。
なのに何故だろう。この許婚にあてたような内容は。いや、親同士が決めた許婚なら、健気さをアピールするか同情を引くための、どこか作り物っぽさが漂っているはずだ。しかし、これは作り物っぽさなど存在せず、ただただ甘酸っぱさに満ち溢れている。
「………………………」
ナーシェンはどのような返事をしたためているのだろうか。
この手紙がこちらに紛れ込んでいたのは、政務に忙殺されて疲れていたためだろう。
だが、こちらにある――と言うことは、返事を書いたはずである。
ナーシェンは現在、疲労から眠りこけている。
ジェミーは執務室に忍び込んだ。
―――
寒い、寒すぎる! なので死ね! クレインの美形! ろくでなし!
貴様は小便が凍り付く光景を見たことがあるか。ないなら今すぐイリア地方に行って凍死しろ。
(中略)
……全面的な孤児の保護は、今のところまだ難しい。基礎教育の予算で手一杯だ。紙、糸、茶、書物などの交易でかなりの金が入ってきているが、今は都市開発でどんどん金が消えて行くからな。新たな産業を興すのにも、金が必要になってくる。
やはり、孤児院に金を送るのが限界かもしれないな。
それでも、十年以内には政府直属の孤児院を作りたい。初等教育のようなものとは違う、見返りを求めない機関にしたい。すべて、私の偽善的な願望だがな。
最後に、寒いがお身体にお気をつけてなどは言わん。
クラリーネにはお身体に気を付けてと伝えておいてくれ。
ベルンの美形闇魔法使いナーシェンより。
―――
間違った……。
しかし何て手紙を書いているのだろう、あの人は。
ジェミーはクレインへの手紙の二通の内の一通を代筆させられている。この文章に似せた手紙を書くのがどれだけ大変か、ナーシェンは理解しているのだろうか。
……いや、今はそんなことは関係ない。
ジェミーは別の手紙を手に取った。
今度こそリリーナへの手紙だ。
―――
クレインに寒いから死んでくれと言う手紙を送ってしまったぜー、なナーシェンです。
唐突ですが、カツオ節(魚の干物)を作ってしまいました。硬いです。めっちゃ硬いです。リリーナに見せたら「凄いわ、ナーシェン。こんなに硬い……」と言ってくれるのかな。そう思うと興奮して眠れません。
こんなことはリリーナにしか言えないのですが、最近はクレインの手紙の半分を部下に代筆させています。なのにあいつは気付いていません。凄く笑えます。でも、リリーナへの手紙だけは私が書いています。返事を書くためにリリーナの手紙を見せたら、何故か部下に燃やされるんです。
冗談はともかく、魔道軍将就任式典では例のごとくヘクトル殿に殺されそうになりました。周りの者がいなければ、その豪腕で撲殺されていたことでしょう。相変わらず激しいスキンシップがお好きなお方です。本当に冗談じゃねえ。
最後に。
あの時の約束、私も忘れたことはない。でも、私ひとりにできることなんて限られている。五年で、ベルン北部はかなり良くなった。だが、それだけだ。ベルンの西部、東部、南部、そして中央。公爵になっても、そこには手を伸ばせない。他国については語るまでもない。
それでも、私は諦めない。だから、君もくじけないでくれ。
前にも言ったが、手に負えないことがあれば私が支える。我ながら臭い台詞だがな。
君の方こそ自愛してくれ。流行り病などにやられたら許さんからな。
ブラミモンド公爵ナーシェンより。
―――
始めの方の文章は、すごく頭が悪そうだ。しかも下ネタ入りだ。おっさんか、あの人は。
だが、最後の方。おそらく、本人は何も考えずただ思い付いたことを書いているのだろうが、これでは惚れるなと言うほうが無理だ。惚れる。こんな手紙が送られてきたら、ジェミーならまず間違いなくころりといく。
「くっ、あの唐変木……!」
ジェミーは返事の手紙を燃やそうとして……力なくその手を下ろした。
「何やってるんだろ、私……」
「ばばんばばんばんばん、あぁ、いい風呂だったー!」
「―――!」
慌てて机の影に隠れるジェミー。
え、あれ、あの人、疲労で爆睡していたはずじゃ……。
執務室の扉が開かれる。
「………………」
瞬間、ナーシェンの瞳が細められる。キリリとした眼差し。ジェミーが好きな顔だ。
でも、何故そんな表情をする必要があるのだろう。あの顔は、謀略や合戦の時でも滅多に出てこない、ナーシェンの本当の顔なのに。
ジェミーは混乱する。その時、ナーシェンの口が開かれた。
「またオスティア候からの刺客か。ふっ、諦めの悪いことだ。殺さずに逃がしてやったのに調子付いたか。覚悟しろ、今度は生かして帰さんからな」
布の擦れる音。ナーシェンが懐から闇の魔道書を取り出した音だ。
(……まずい。どうしよう、どうしよう!)
だらだらと汗が流れる。完全に誤解されている。
ジェミーはそっと魔道書を取り出した。混乱していたがために、身体に染み付いた行動を取ってしまったのである。
「え、あれ? 私、何やって……?」
「そこか!」
「はっ! ジェミーちゃんサンダー!」
闇魔法ミィル。その攻撃は影。地面を這う。
理魔法サンダー。その攻撃は雷。大気を奔る。
どちらが速いのか、考えるまでもなかった。