ゆるやかに曲がった刀身、湖面のような輝きを放つ刃、握り易いように帯状にした布を巻いた柄。
倭刀に近い形状をした鋼製の剣である。
ナーシェンはキルソードを軽く振った。風が斬れて、ヒュッと音がする。
「良い出来だ」
「そう言って貰えると、私たち鍛冶師も冥利に尽きますがね。もっとも、これほどの物を打てるようになるまで、最低でも十年は修行を積まなければなりませんので」
「加えて、一年に十本ほどしか打てないのだろう? 需要過多になっているわけだ」
「はい。鋼製なのに銀製の物と相場が変わらないのも、それが理由です」
ここはナーシェンの領地でも有数の鍛冶師の工房で、そこかしこに失敗作の刀剣が転がっていた。
このキルソードも、昨日打ったばかりの新品である。剣を打っている最中――つまり昨日も、ナーシェンは鍛冶の仕事を見物させて貰っていた。もちろん、ただ見物しただけでは鍛冶のやり方を理解できるわけではない。わかったことと言えば、鋼の剣は熱した鉄を叩いて固め、冷やして終わりという製法なのだが、キルソードは冷やした鋼を再び熱し、何度も叩くというものだということだ。職人の技と手間がかかっているというわけである。
鋼鉄とは鉄に炭素が混ざった、頑丈な合金である。
「弟子の数は?」
「五人になります。それでも、私ひとりで面倒を見るのは大変でして、これで限界なんですがね」
「他の鍛冶師よりは多いな」
「弟子には鍛冶の下準備や手伝い、片付けなどが任せられるのですが、売り物になる物を仕上げられないので、いまいち金になりません。他の職人はそれほど人数を育てる気にはなりませんでしょう」
ナーシェンが気にしているものの一つに、様々な産業の後継者の育成がある。中世でまだまだ武器の需要のある状態では、後継者難になるとは思えないが、念のため視察しておく必要があると思えたのだ。その中で発見された問題に『弟子は金にならない』がある。
工房の手伝いなども、弟子ではなく使用人に任せた方が経済的な場合もあり、多くの若手の鍛冶師志望者が苦労している現状があった。
鍛冶師の使用人の使用を禁止し、弟子の育成を推奨するためにはどうするべきか。
やはり、補助金を出すべきだろうか。ナーシェンは「ううむ」と唸る。
弟子ひとりにつき三千ゴールドの補助金を出せば、ナーシェンの領地の場合では、十万ゴールド以上の出費になるだろう。まだまだ無理そうだ、と表情を苦々しげに歪め、ナーシェンは鍛冶師のオヤジに問いかけた。
「話は変わるが、この工房で『倭刀』は打てないか?」
「倭刀と言えば、東方から流れてきた反り強い剣のことですか? あれは、現物を見ないとわかりませんが、鋼だけでは打てないと思うんですよねぇ。うちで扱うにしても、かなりの試行錯誤が必要になると思いますよ」
「だろうな。カザン伯爵が一本持っているらしいので話を聞かせて貰ったのだが、あれは鋼鉄と軟鉄が混ざってるようだ。製法はキルソードと似ているかもしれないと言っていたが……」
「そもそも、キルソードは倭刀を製造しようとして失敗したものですからね。模倣品というわけです」
なるほど、とナーシェンは頷いた。
倭刀の製造。実現すればナーシェンの領地にはガッポリとお金が入ってくるだろうが、まだまだ難しいようだ。
【第4章・第4話】
屋敷……と言うより城の広間で、ナーシェンは不気味に笑いながら、カップの中で揺れる「お吸い物」に口を付けた。カツオ出汁で野菜を茹でて塩を放り込んだだけの単純なものである。
通称、男の料理。なのに、美味い。
「ふっふっふー、諸君。ついに完成したぞ!」
配下の騎士たちが「うおおおぉぉぉ!」と叫んだ。大鍋の回りに群がり、侍女たちが大忙しで騎士たちにお吸い物を配っているのを、ナーシェンは満足気に眺めていた。
「お吸い物ですか。それのために、あんなに手間をかけていらしたんですか?」
「いやいや、カツオ節は万能調味料だぞ。なんとか酸っていう成分が入っていて、使い方次第では料理が凄く旨くなる。まぁ、男の私はカツオ節を作るまでしかできないのだがね。料理は侍女の仕事だから」
「旨くなる、ですか?」
「まぁ、百聞は一見……一食にしかず。どうだ?」
ナーシェンが差し出したカップに、ジェミーはためらいがちに手を伸ばした。この人、絶対にわかってないだろうなー、と思いながらジェミーはカップに口を付ける。どこに口をつけたのかは、彼女の名誉の為に内緒である。
「美味しい……。こんなの、王宮の料理人にも作れないんじゃないですか?」
「ただの男の料理だよ」
ナーシェンは苦笑する。
事は十日ほど前まで遡る。
ナーシェンはまったりと内政できるのが幸せなんだよー、と腹心たちにだらしない笑みを向けると、配下の騎士を引き連れてルンルン気分で港町へ駆けていった。エトルリアの動向がきな臭くなってきているのに、暢気なものである。
ちなみに、港町はナーシェンの領地には存在しない。ベルアー伯爵、カザン伯爵やその他の子爵家、男爵家が何れも小規模な港町を有している。大陸の外と貿易できるほどの船がないので、あまり発展する余地がないのだ。
ナーシェンは港でマグロ系の魚を買い占めると、宿屋の厨房を借りてその場で三枚に解体して、すべて釜に入れて火を通してしまった。その日は「ああ、刺身で食べたかった」という騎士たちと、ついでに買っておいたタコを肴に酒を酌み交わし、翌日、熱の通したマグロ系の魚と一緒に領地に帰還した。
「で、これで何をするんですか?」
また無駄な買い物を、とジト目を向けてくるジェミーを宥めつつ、ナーシェンは茹でたカツオを燻製にするために煉瓦を積んで作った台にカツオを吊るしてゆっくり燻した。ナーシェンは公爵で、その気になれば王様気分で贅沢することも十分可能だったが、その生活はほとんど庶民レベルと変わらなかった。褒めて褒めてー、と叫びたいぐらいである。
その日はそれで終わった。
まったり内政万歳である……と言うより、政務はジェミーに任せ切りである。その間、ナーシェンはずっと執務室で小説を書いていた。「全国のファンが私を待っているのだ!」と叫ぶナーシェンに、ジェミーは無言でファイアーを打ち込んだ。
それからマグロ系の燻製は、カチカチになるまで水分が抜けるまで燻製や日干しを繰り返され――。
そして、現在に至る。
「ところでナーシェン様。ナーシェン様でないと処理できない政務が山ほど溜まっているんですけど」
「あ、午後は印刷機の開発に――」
ジェミーは懐からエルファイアーの魔道書を取り出した。
ナーシェンはその後、配下の騎士たちにリザイアをかけて復活。政務に忙殺されることになる。
―――
その日の政務が終わり、ジェミーが新たに取り寄せた魔道書を紐解くために早々に宿舎に戻ると、入れ替わりにバルドスが入室した。腹心とは言えジェミーに聞かせられない話がある時、ナーシェンは夕方にバルドスを呼ぶ。ジェミーも薄っすらと内容を察しているのか、質問してくることはなかった。
「アウグスタ侯爵がついにご隠居なさったか……」
「あの方ももう六十になられます。いい加減にアルフレッド殿に爵位を譲らないと、先に息子が亡くなるかもしれませんからな」
「侯爵になれずに死ぬのは流石に可哀想だな。つまりは、息子に夢を見させるためというわけか?」
ナーシェンが自分でも信じていないような顔をしてバルドスに尋ねる。
最近は病気がちになっているバルドスは、首を横に振った。
「アウグスタ殿も最近はご病気らしく、床に入っている時間が長くなっているとのこと。今回のことは、やはりご高齢が原因かと」
「だろうな」
ナーシェンは頷いた。書類を整理してバルドスに手渡してから、自分で紅茶を淹れる。
バルドスは何気なくその書類に目を落とし、目を見開いた。
長年の忠勤ご苦労、暇を与える――その書類にはそう記されていた。しかも、隠居するにあたってナーシェサンドリアの郊外に屋敷を与えるとも。
「何か……何か私に落ち度があったとでも?」
「いや、それはない。今まで本当にお前にばかり世話をかけた。もう、いいんじゃないかと思ってな」
「私はまだ働けます」
「だが、もう身体が言うことを聞かなくなっているだろう? お前にはたしか妻子はいなかったな。エトルリアの兵士に殺されたと聞いている。男爵の爵位は当家が回収するか、国王に返上することになるだろう。それは許してくれ」
「ここで私を解き放ちますか。エトルリアに寝返るかもしれませんぞ」
バルドスは両目を光らせた。目の前の青年を威圧的に睨み付ける。
だが、青年は「なら、勝手にすればいい」と素っ気なく答えた。
成長したものだ。バルドスは心の中からそう思う。すでにベルンで名を上げており、さらに老齢であるバルドスはエトルリアに流れても、決して重用されないということを理解しているのだ。
バルドスの価値は、情報によるものだけである。ほどほどにベルンの内情を吐かされた後は、どこかに打ち捨てられるだけだろう。バルドスに領地を与える貴族は、エトルリアには存在しない。エトルリアにバルドスの居場所はなかった。
そのことを一瞬で理解して、ナーシェンはそう答えたのだ。
「五年の間だったな。手を取り合い領地を発展させることができたのは、バルドス、お前の存在があったからだ。私ひとりでは何もできなかっただろう。よく、幼少の馬鹿だった頃の私を見捨てないでいてくれた。すまないな」
「勿体ないお言葉です」
バルドスの目頭に涙が浮かぶ。
「私は最初、お前のことを誤解していたのだぞ? エトルリアに領地を奪われ、ベルンがそれを取り返し、お前の領地は有耶無耶にされてしまった。お前はその領地を取り返すために私を利用しているのだと思っていた。私のベルン北部同盟の盟主という権限があれば、適当な領地を用立てて貰えることだってできただろう。なのに、お前は何も言わず、ただ私に仕え続けた」
ナーシェンは老将の手を取り、やわらかく微笑んだ。その目にも涙があった。
「感謝する」
「誠に、勿体ないお言葉ですな。ははっ………」
それは、初めて見せたバルドスの笑顔だった。
泣き笑いであった。