必要ないかもしれないけど、途方に暮れていたらマズイので念のため書き置きを残しておいたんだが……いや、こう言うのって何か恥ずかしいな。
バルドスに伝言頼んどけばよかった。
ともかくだ。ジェミーは、図面を引ける建築家が見付からなくて困惑しているかもしれない。
そう言う時は発想の転換だ。建築と築城って、似てるような気がしないか?
先のトラヒムとの戦いで本陣敷設を手伝ってくれたアウグスタ侯爵の息子さん。彼は私の知る限り、最高の築城の名手だよ。困ったら彼に相談するのもひとつの手じゃないかな。
最後に……私はジェミーなら大丈夫だと思ってこの仕事を任せたんだ。
だけど、ジェミーには迷惑だったかもしれない。残念だけど、その時は私を燃やしてくれて構わないから。もう二度とこのような仕事は任せない。でも、バルドスはあと十年も生きられない。私には、同年代の、胸のうちをすべて打ち明けられる腹心が必要なんだ。
……駄目、かな? うん、駄目……だよね。ゴメン、このことは忘れてくれ。この手紙も、さっさと燃やしてくれるとありがたい。
できれば見付からなければいいのになぁ。
―――
「見つけちゃいましたよ……」
ジェミーはその手紙を胸に抱いた。
すると、不思議なことに、心が温かくなった気がした。
「腹心、ですか……」
本当に、救いようのないほどの朴念仁なんだから。
おそらく、この手紙もジェミーが見つけられなかったら、さっさと処分されていただろう。
自分の本音を滅多にもらさないあの人のことだ。
「絶対に、燃やしませんから」
この日から、薄っぺらい封筒とその中の便箋が、ジェミーの宝物になった。
【第3章・第4話】
「よく来てくれた、エリウッド!」
「ヘクトル、久しぶりだな!」
オスティア城の庭先で、フェレ侯とオスティア候が再会した。
二人はお互い年を取ったな、と笑いあう。
その笑みには少年のような輝きがあった。
積もる話は山ほどあった。
夜まで語り合っても、終わらないだろう。
黒い牙との暗闘、ネルガルとの死闘、火竜との決戦――。
そして、アトスの永眠。
十年前にエレブ大陸を巻き込んで行われた密かな動乱。
二人はそこから生還してから、ひたすら領地経営に勤しみ、ゆっくりと語り合う時間すら取れなかったのである。
「ん? 向こうにいるのはお前の息子か?」
ヘクトルの目が、ふと自分たちの様子を大人しく見守っている少年に向けられる。
「ずっと会わせたかったんだが、機会に恵まれずにいたんだ」
「ほぅ。お前の息子か。若い頃のお前と瓜二つだな」
「よく言われるよ。ほら、ロイ。こっちにおいで!」
エリウッドが息子ロイを呼び寄せる。
ヘクトルは唸った。本当に、若い頃のエリウッドにそっくりである。
「お呼びですか、父上」
「ああ。オスティア侯にご挨拶しなさい」
「は、はい!」
エリウッドに促されると、ロイはビクリと震えて表情に緊張を滲ませたものの、流石は侯爵嫡子というべきか、礼儀正しく名乗りを上げた。
「はじめまして、ヘクトルさま。ロイともうします」
「ロイか! よろしくな!」
ヘクトルは人好きのする笑みを浮かべると、背後に控えていた侍女を目線で促した。
「よし、こちらも娘を紹介しておこう。リリーナ!」
「あ、あのぅ……」
「ん、どうした?」
怪訝に眉を寄せて尋ねると、侍女はおずおずと話し出した。
「姫様は、ちょっと、城下に出かけているようで……」
「………………」
気さくに街に出て行き、貴族っぽさを感じさせない娘は民衆に慕われている。
が、このタイミングでこれはない。ヘクトルは空を仰いだ。
ここに、運命の悪戯が発生した。
―――
ヘクトルにナーシェンの人となりを見極めて来いと言われたアストールは、色々な準備を終えると行動に移り始めた。オスティア城下は彼の庭のようなものである。密偵の筆頭であるアストールは水を得た魚のように動き回った。
ナーシェンが死ねば、遺体は娼館の裏に打ち捨てられることになっている。
同時に、ナーシェンは娼館で揉め事を起こし、乱闘の末に娼婦に刺し殺されたという噂が流れる手はずになっている。情報操作はオスティアの十八番である。ゼフィールも武人にあるまじきナーシェンの行為に、強い抗議には出られなくなるだろう。
そもそも、お忍びでオスティアに来ること事態間違っているのである。
問題が起こった時、オスティアが責任を取る必要はどこにもない。
「まぁ、殺すのは最終手段だがな……」
アストールは物陰から様子を見守る。
「おい、クソババア! テメエの所為で俺様の服が台無しだ!」
「どう責任取ってくれるんだよ!」
魚屋の店先で、荒れくれ者たちが老婆につっかかっている。
作戦その壱。
魚を購入した老婆が荒れくれ者にぶつかって、袋の中の魚をぶちまけてしまい、荒れくれ者の服が魚臭くなってしまった――というシナリオである。
アストール、いささか古風な芝居が好きな男であった。
「む、魚か。流石はオスティア。港が近いだけあって、魚介類が流通しているのか」
騎士と談笑していたナーシェンが、その光景に足を止める。
……どうだ!?
これで老婆に見向きもしない腐った性根をしていたら、心臓を貰い受けるぞっ!
物陰からのアストールの視線が鋭さを増す。
その時であった。アストール、今世紀最大の誤算が発生したのは。
「やめなさい! おばあさんは悪くないわ!」
「ひ、姫ぇっ!?」
アストールの声が裏返った。
視線の先には、青い髪をたなびかせた主君の愛娘の姿が。
リリーナ、五歳である。
護衛の従者はどうした!?
いや、あの大人しそうに見えてお転婆な姫さんのことだ。
どこかで撒いたのだろう。
荒れくれ者たちも顔を見合わせた。この者たち、オスティア家の兵士なのである。
彼らはどうしますかと言わんばかりの視線を物陰のアストールに向けてくる。
(や、やめろ! 気付かれるだろうが!)
アストールは手を振り、両手でバツ印を作り、最後には手を合わせて懇願した。必死である。
そんなハンドサインを理解できなかった荒れくれ者たちは、どんな勘違いをしたのかアストールのサインを誤解して、とりあえず作戦を続行することにした。
「なんだぁ? 嬢ちゃん、俺たちに喧嘩売っているのかよ?」
「はっはっは、こりゃいい! よかったな、婆さん! もしかしたら助かるかもしれねぇぜ!」
「この嬢ちゃんが代わりに殴られることになるけどな!」
そんなことをしたら兵士たちの首が飛ぶ。その死と一歩手前な状態が、兵士たちに迫真の演技をさせていた。
これで何もしなければ斬るぞ――とアストールがナーシェンを見つめていると、彼はフッと笑い、男たちの足元に金貨を投げ捨てた。
「その汚れたズボン、私が買い取ってやる。ほら、さっさと脱がないか。何なら私の家来が脱がしてやるぞ。ほら、イアン」
「了解でありまーす!」
ナーシェンは配下の騎士を目線で促した。騎士は嬉々として男たちの下着を脱がしにかかる。抵抗しようとした者を鞘に包まれた剣で殴りつけ、問答無用で脱がしていくのである。そして、ナーシェンがペンを抜いて男たちの尻に卑猥な単語を書き付けていく。
野次馬たちが笑い転げた。
いつ殴られるかと目蓋をぎゅっと食い縛っていたリリーナは、きょとんとしている。
「大丈夫か?」
「あ、えっと……はい……」
作戦その弐。
「乱闘騒ぎを起こしている馬鹿どもはどこだー!?」
「あ……」
忘れていた。アストールは頭を抱える。
新たにやってきたのは衛兵三人である。
作戦その弐は、無事に騒ぎを収めたところで、衛兵がやってきて老婆を騒ぎの原因として連行しようとする――というシナリオである。アストールの芝居の手の込みようは尋常ではなかった。
衛兵は老婆の手を取ると、下卑た笑みを浮かべた。
「お前だなぁ? 街中で問題を起こした者は三日間の禁固刑だぁ! さあ、取調べが待っているぞぉ!」
「ちょっと待って! そのお婆さんは悪くないの!」
「あぁん? なら誰が悪いっ――いぃえっ!?」
リリーナの顔を見た衛兵が素っ頓狂な声を上げた。
アストール、再びハンドサイン。そして誤解。作戦続行。
「なら誰が悪いってんだよ。もしや、嬢ちゃんが?」
「おい、イアン」
「あいあいさー」
ナーシェンの配下の騎士が衛兵を殴り付ける。
その間に、ナーシェンはリリーナの手をつかんで野次馬の壁を潜り抜けると走り出した。配下の騎士はナーシェンの方を振り返り、衛兵に前後を挟まれたと悟ると、脇にある路地に逃げ込んだ。
「……ヘクトル様、すいませんです」
アストールはナーシェンたちを追いかける。
報告を聞いたヘクトルは、ナーシェンのものではなく、アストールの心の臓を要求するかもしれなかった。