ナーシェンは相手の瞳を覗き込んだ。今も「うーん」と唸り、悩んでいる振りをしているが、心の中ではあとどれだけ値段を安くできるのか考えているのだろう。
「いや、うちも厳しくてねぇ。鉄の剣が420ゴールドでしか売れねえぇんだ。400ゴールドじゃうちの儲けは味噌っかすさ。不景気って奴なんだよ」
「はぁ……、そうですか。それで……?」
「だから、せめてさぁ、もうちっと安くならんかねぇ?」
顔にシワのある年季の入ったオヤジが泣き落としで攻めてくる。
……なるほど、そう来るか。
ナーシェンはニコリと笑った。
「はははっ、そうですか。だから武器が売れなかったんですね。オスティアが不景気だということを教えてくれて、ありがとうございます。いやぁ、やっぱり商売については商売人に尋ねるのが一番いいんだな」
と言いながら、机の上に広げた武器のサンプルを片付け始めるナーシェンに、オヤジは目を丸くした。
「ちょ、ちょっと待ちな! まだ買わねぇとは言ってねぇぞ!」
「いや、ここで売れないなら別の店に行くまでですから。何もこの国で売る必要もありませんからね」
「そ、そんな薄情なことを仰らないで下さいよぉ……」
ナーシェンは立ち止まり、目録を広げた。
鉄の剣、平均小売価格460ゴールド、最低卸売価格400ゴールド、最大80本納品可能。
以下、鋼の剣、鉄の槍、鋼の槍、鉄の斧、鋼の斧、鉄の弓、鋼の弓……とリストが続いていく。
「では、お買い上げ頂けるんですね?」
オヤジは泣く泣く頷いた。
【第3章・第3話】
「しかし、予想以上に売れましたね」
「まぁ、ベルンの武器は売り手市場だからな」
ナーシェンは驚いているイアンに苦笑する。
ベルンに住んでいると意識しないことだが、他国製品の武器は品質がベルンのものに追いついていないのである。製鉄技術でベルンが抜きん出ていると見るべきか、魔法大国エトルリアの影響でそこまで高品質な武器が求められていないと見るべきか、ナーシェンは考え込んだ。
まず、リキア地方は、この辺りは中途半端な立地だが、有事の際にはベルンとエトルリアの緩衝地帯として機能する。ベルンに攻め込まれればエトルリアが助けてくれる、エトルリアに攻め込まれればベルンが助けてくれる――と言う、いわばパワーバランスを維持するために生かされている地方なのである。
各諸侯は他国から攻め込まれれば一丸となって敵を迎え撃つという強固な同盟――リキア同盟も、実際は大したことはなかった。最終的には他国の介入があると期待しているわけだ。通りで、武器も魔法も発達しないわけである。
エトルリアは魔法主義が蔓延っているので論外。
サカは狩猟民族が遊牧生活を送っているので、個人レベルの弓術は達人クラスだが、国家間の争いに目を向けられるほどの統率者が存在していない。外征に出る必要がないので、これまた武器の製造技術が発達する必要性がない。
イリア地方は気候でいえば寒帯であり、穀物の生産力が最悪なため、傭兵稼業で生計を立てている地方である。そもそも国力が武器を製造できるものではなく、ほぼすべてをベルンからの輸入に頼っている。位置的にベルンの近くにあるのも理由のひとつだろう。
「武器産業はベルンが独占しているんだよ。ベルンがエトルリアより国土が狭く、エトルリアの西方三島のような植民地を有していないのに、エトルリアと対等に渡り合える国力を持っているのも、これが理由だ」
「うわぁー、ベルンすげー」
「お前、何もわかってないだろ?」
ベルンが凄いのではなく、他国の現状が論外なのだ。
と、イアンが足を止めて考え込む。
「でも、ナーシェン様。ナーシェン様はこの前『独占状態というのはあまりよろしくない。産業とは競争状態にあることで伸びていくのである。独占状態では武器の品質が向上しない』って言ってましたよね」
ナーシェンは笑みを浮かべた。騎士たちにも、段々と政治・経済的な話がわかってくるようになってきた者がいる。イアンもそのひとりである。
「まぁ、他国では独占状態だが、ベルン国内では激しく競争しているだろ」
「あっ、だから武器の仕入れ値が安かったんですね」
今回、ナーシェンは、
ベルン国内(製造)→ナーシェン(卸売)→オスティアの商人(小売)
という形で取引をしている。
「安い卸値、高い小売値。利鞘を取る私たちはボロ儲け。理解できたか?」
イアンは頷いた。
―――
ナーシェンが領地を離れて一週間が経った。もうナーシェンもオスティアに到着し、動き出している頃だろうか。ジェミーは資料を捲りながら、そんなことを考えていた。
窓の外では兄がフレアーに槍の稽古を付けられている。そろそろ飛竜で飛ぶ許可が下りるらしい。
あの兄が竜騎士になる。ジェミーは親指の爪を噛んだ。あの兄に先を越されているような気がして面白くない。自分の方がナーシェンの役に立っていると証明してやりたかった。
「その為には、まずこれを片づけないと……」
学校建設。そろそろ計画を立て始めないと、ナーシェンが戻って来るまでに間に合わなくなる。
建設計画だけでいい――とのことだったが、それすらまだ見通しが立っていない。
石材の出る山は領内に存在しているが、今から発掘のための設備を用意していては間に合わないので、カザン侯爵の領地から輸入することになっている。
労働力は、叙勲されていない兵士と、工場で働いている男手を使用。あとは、近隣の村落から何人か出して貰えば十分だろう。
問題は、設計図を引ける大工。いわゆる技術者である。
ナーシェンも頭を悩ませている人材不足。
建築家の資料を漁っているのだが、一向に収穫がない。
「はぁ、どうしよう……」
さっさとバルドスに相談するべきなのだが、ジェミーはあの人が苦手だ。政治にたずさわる者がそんなことを言っている場合ではないのはわかっているが、苦手なものは苦手なのだ。
ジェミーは溜息を吐いて机に突っ伏す。
瞬間、紙束が崩れて机の下に広がった。
「あ、やばっ――!」
慌てて手を伸ばすが、もう遅い。
床に散乱した紙を見て、ジェミーは泣きたくなってくる。
「……………あれ?」
そんな紙束の中に、ジェミーは小奇麗な封筒を見つけた。
拾い上げて裏を見てみると、『ジェミーへ』と走り書きがなされている。
「ナーシェン様?」
それはまさしく、ナーシェンの字によるものだった。
―――
男は難攻不落の要塞、オスティア城の玉座で足を組んでいた。
異様な巨体である。ベルン三竜将のマードックと、そう変わらないのではないかと思われた。
「ブレッドが死んだって?」
男の名はヘクトル。
先代オスティア侯ウーゼルの弟であり、当代のオスティア侯である。
「遺体は山中に埋められてました」
「……なるほど」
ヘクトルは舌を打つ。ブレッドの野郎、ヘマをしやがって。
あれほど深入りはするなと言っておいたのに、功に焦ったか。
「ブレッドには病気の妹がいたようです。それも、奴を急がせた原因じゃないですかね?」
「……そうか」
アストールの言葉に、ヘクトルは両目を閉じて頷いた。
だが、おそらくブレッドは慢心したのではないか。ナーシェンの屋敷で恐れるべきはカレルただひとりである。だが、カレルはほとんど屋敷に出入りしていない。つまり、執務室に入るのも、そこから書類を持ち出すのも自由なのである。
何度か侵入を繰り返す内に、油断してしまったのだろう。
カレルの恐ろしさは、実際にあの目を見るまではわからない。どれだけ危険だと言って聞かせたところで、果たして伝わっているのか怪しいものだ。
「ところで、ブレッドの後任はどうなさるので?」
「ああ、そのこともあったな。だが、ブレッドほどの腕を持つ者は、我がオスティア家にもそうはおらんぞ。何ならアストール、お前、行ってみるか?」
「冗談じゃありませんや。俺ごとき、問答無用で剣魔に斬捨てられますって」
ぶるっと身を震わせるアストールに、ヘクトルは苦い顔をした。
密偵たちも命令されたならナーシェンの屋敷に潜入するだろうが、カレルに発見される度に一名の欠員が生まれてしまう。密偵を育成するにも金はかかるし、何より人の命に代わりはないのである。カレルが考えなしにバッサバッサと斬ってくれるお陰で、ヘクトルは頭が痛かった。
なら諜報をやめろよ、というツッコミはオスティアでは通じない。
と、アストールが思い出したように口を開く。
「ところで、ちょうど今、ナーシェン侯がオスティアに潜り込んでいるんですが……」
「本人が?」
それは無用心すぎるのではないか。ヘクトルはにわかには信じられない。
普通なら、ヘクトルにアポイントメントを取っておくものである。この日に訪問するという意図を伝えておかなければ、後ろ暗い工作をしていると思われても仕方がない。
「……アストール」
「へい」
「お前、ナーシェン殿を見極めて来い」
ヘクトルは王者の貫禄をかもし出す。
「小僧がオスティアに仇名す者なら、心の臓を抉ってこい。俺が許す」