グレン侯爵は憂鬱だった。
ベルンの北部を収める有力貴族が、先週命を落としたのである。
葬儀の斎場。静まり返った屋敷のホールでは、各国の有力者が五十人ほど集まっていた。
ムーア侯爵がフヒヒと笑う。
「これでベルン北部の実権は我々のものですな」
五十歳になっても精力衰えぬ好色家が嫌らしく笑う光景は、あまり見栄えのするものではなかった。トラヒム侯爵も直視に堪えなかったのか、あからさまに表情を歪め、ムーア侯爵から視線を離したが、ムーアは気にした様子はない。
「あとは十三歳の小倅がひとり。他にも『鬼謀の男爵』と名高いバルドス殿がおられますが、トラヒム卿の武名には及びますまい。彼奴の領土は労せずとも切り取れるかと」
「たしかバルドス殿はナーシェン殿に嫌われていたはず。調略すれば落とせるかと」
米搗きバッタ、フリッツ侯爵も気取ったように言い放つ。
それを、トラヒム侯爵は無言で――されど表情は機嫌よく聞いていた。
――情報が古い。
グレンは苦々しく顔を歪めた。気ままに振舞うナーシェンに説教を垂れるバルドスは、たしかに邪険にされていたことがある。
が、それは二年前までのことだ。去年から今日まで、祖父と孫ほどの歳の差のある主従は阿吽の呼吸で政治を行ってきた。調略なんぞ仕掛けたら、逆手に取られるだけだ。
だが、そのことを伝えてもトラヒム侯爵は聞き入れようとしないだろう。
あれは、自分にとって都合のいいことしか信じようとしないタイプだ。耳障りなことを言う者は倦厭されるだけである。
(……失敗したな)
今となってはトラヒム侯爵の船は泥で作られているようにしか思えなかった。
ナーシェンの器量はわからないが、アウグスタ侯爵、ベルアー伯爵、カザン伯爵という顔ぶれを見れば、どちらに分があるかは考えずともわかる。ムーアやフリッツとは役者が違う。『鉄壁将軍』アウグスタが相手なら、倍の兵力を持っていても安心できない。
グレンが頭を抱えたちょうどその時、ホールにひとりの少年が現れた。
「遅れてすいません。私は破門されている身なので、葬儀場には入れないのですが、司祭を呼んでとりあえずは葬儀の形にしております。順番にお名前をお呼びしますので、呼ばれた方から入場して下さい」
その言葉に、数人の聡い者たちが顔を見合わせた。
破門されていても葬儀の形を整えることのできる政治力。司祭と渡りをつけることのできる交渉能力や豊富な人脈。さらに、これだけの人数を前にしても物怖じしない物言い。
あれで十三歳。
グレンは直感した。舐めてかかったら、返り討ちにされるだろう。
【第2章・第9話】
なんかエリウッドとかヘクトル、ゼフィールやマードックまで混じっているんですが、私はどうしたらいいのでしょうか。これは下手をすると死亡フラグが乱立してしまう。ナーシェンはビクビクしながらこっそりと引き下がった。
あとは喪主代理のバルドス、君に頼む。ナーシェンは父の死に心を痛め、人と会う気分ではない――という設定になっている。物は言い様である。
ナーシェンはチェスボードをしばらく眺め、やがてビショップを動かした。
「父上が死んだ。トラヒム卿は今頃、すべてのお膳立ては整った、とでも考えているかもな」
「ナーシェン様とトラヒム卿、どっちが有利なんですか?」
ジェミーがさりげなくポーンを動かす。
「さて、単純に考えるならトラヒム卿になるが……」
ナーシェンが次の駒を動かした瞬間、ジェミーが「チェック」と呟いてキングの近くにナイトを動かした。
だらだらと汗を流しながらキングを逃がす。
連続「チェック」。
やがて「チェックメイト」。
「あ、勝っちゃいました」
「……よかったな」
「これ、ナーシェン様が考案なさったゲームなのに、ナーシェン様が勝っているところを見たことがないんですよね」
「ヘボくて悪かったな」
ナーシェンはやさぐれる。
貴族……というか騎士の遊びといえばチェスだろうと思い、お抱えの職人に作らせてみたのである。今ではナーシェンの配下の騎士もどっぷりハマっていたりする。娯楽の少ないこの世界、あっと言う間に流行してしまった。
エレブ大陸にはトランプもウノないのである。
商品化すれば金になるか、と考えながら、ナーシェンは駒を片付ける。
余談だが、エトルリアから流れてきた山賊に、技術者や芸術家だった者が何人か混じっている。彼らは権力者に気に入られなければ生活が立ち行かないのである。ナーシェンはそんな者たちを積極的に登用した。喫茶店のPOP広告も彼らの存在あってこそのものである。
「まぁ、このゲームからわかるように、すべての駒を倒す必要はないんだ。キングを刺止める、これが勝利条件だからな。敵が兵力を分断しなければならない状況を作り、そこに本隊をぶつけてトラヒム卿の首をあげれば、あとはどうにでもなる」
まあ、別働隊は捨て駒になるだろうけどな――とナーシェンは気だるそうに呟いた。
倍以上の兵力を相手にしても手玉に取れるアウグスタ侯爵がいるので、その点は心配いらない。
あとは……そうだな……。
「これは、現代戦の鉄則みたいなものなんだけどな」
「………?」
「戦争ってのは、絶対に勝てるとわかるまで火蓋を切ったら駄目なんだ。泥沼化して国力がどんどん低下するのは最悪。占領された方がマシってこともある」
ようやく勝てたけど金も人材も底を付いているなんて状況は話にならない。
ナーシェンの理想は短期決戦である。一夜で終わった関ヶ原の戦いが最善。何年もだらだらと続いた応仁の乱は論外である。
「ところで、こんな話、私にしてもよかったんですか?」
「え? ああ、うん、まあ……」
ナーシェンは罰が悪そうに言葉を濁す。
「あまり言いふらさないでくれよ。バルドスに怒られるから」
「ふふっ。さて、どうしましょうか」
ちょ、おま……。
ナーシェンは絶対言いふらすなよ、と強く言いつけるが、ジェミーはのらりくらりとかわして、嬉しそうに笑いながら部屋を出て行った。
九歳の幼女に手玉に取られているナーシェン。情けなさすぎる。
―――
ところ変わって練兵場。
「誠死ねッ!」
騎士たちは敵兵に見立てた藁人形に槍を突き刺した。
物凄い気迫である。天然理心流には気組みとかいう、気合で相手を萎縮させ、動けなくする奥義があったらしいが、この騎士たちの気合にもそれに通じるものがあった。
葬儀の日でも、喪に伏せずに訓練に勤しむ。
彼らも、戦争が起こることを薄々感じ取っているのである。
「誠死ねッ!」
この訓練は、深夜、練兵場に忍び込んだナーシェンが、ストレス解消のためにこっそりと行っていたものなのだが、それを見た騎士たちが効果的な訓練法と勘違いしてしまい、広まってしまったものである。
なんだか、勇気が湧いてくる気がする訓練である。
ちなみに、活版印刷の実験のためにナーシェンが『学校日和』という物語を書き上げていたりする。まだ数冊しか出来上がっていないが、騎士たちが回し読みして誠への憎悪を募らせる結果に至った。
他にも『恋ノ空』という書物もあるが、そちらはまだ二冊しか完成していない。
活版印刷も、ページ数が多くなると、一冊を作るのにも長い時間がかかるのである。
「誠死ね!」
「ほら、ジードもやれよ!」
「いや、その、マジですか……?」
先輩騎士たちから槍を渡されたジードは、槍と藁人形を交互に眺めた。
(ええい、ままよ!)
槍を大きく振りかぶって藁人形に振り下ろす。
「誠、死ねぇ――!」
やけくそである。
「こ、これは何なんだ?」
そんな様子を眺めていたリグレ公爵、パントは冷や汗を流しながら、近くにいた騎士に問いかけた。
騎士はパントの衣服を見て、葬儀に呼ばれた上級貴族だと判断すると、一冊の書物を差し出した。
「これ、よろしければどうぞ」
こうして、エトルリアにも『誠式訓練法』が伝わった。
後日、クレインは練兵場で「誠死ね!」と叫んでいる兵士を見ていたたまれない気持ちになったという。