老婆は次の日、競技場まで出かけて走りに行ったり、買い物に行ったりして普段通りに生活し、10月の十三夜、11月の十日夜のお月見もしようと心に決め、メモ帳に書いてカレンダーに貼った。
老婆の夫(爺様)や孫たち、両親や祖母たちのことを時折思い出したりしたが、老婆はどんなに思い出そうとも前を向いて生きた。老婆は駅伝や陸上の記録会も見たり、実際に陸上の記録を測りながら走ったり投げたり跳んだりした。
老婆はいつ死ぬか分からないと言っているが、それと同時にどこまで生きれるかワクワクしている。
老婆「わしが生まれてから数年は大変じゃったのう。関東大震災、恐慌、戦争。本当に、今の時代は平和になったのう。そう思うと、尚更東日本大震災は本当に心が痛むのう。これでも生きれてるということは、本当に幸せなことなんじゃな。どこまで生きれるか挑戦できるということじゃからな。わしゃ、生きれてることとか、走れてることとかに感謝しないといけないんじゃな。ウクライナがロシアの侵攻に遭っているということじゃが、ロシアとウクライナに限らず、少しでも早く紛争が解決してほしいのう。にしてもわしらの子供の時代より、本当に暑くなったもんじゃ。今年は7月上旬で40℃と聞いて本当に驚いたわい、もう驚きすぎてつい起きてしまったたわい。外の温度も最近は下がって来たの、その心はどちらも[覚める(冷める)]とな。温暖化も厳しいのう。生き物たちも減っとるのう。わしもよくどこかに財布を置いちゃうからの。どちらも[無くなっているもの]とな。にしてもわしももう95じゃの。これは大阪世界陸上が開かれた場所と同じじゃな。どちらも[長生(長居)]きじゃの。」
老婆はそうやってしばらく謎かけをしていた。謎かけを終わらせた後、テレビをつけて暇つぶしをした。面白そうなテレビ番組が最近ないなと感じながらテレビを見ているが、すぐに消して庭に行き、庭の手入れを少しした。
老婆は庭の手入れをした後、近所の人たちに挨拶しに行った。近所の人はすごい明るく接してくれており、感謝しかなかった。しばらくして自宅に戻ったところ、小学生たちが帰って来たのか、老婆は声をかけられた。小学生たちは老婆に今日の話をして、老婆は興味深く話を聞いていた。老婆が明るく接しているのが小学生たちにも伝わっていたため、小学生たちも老婆に話しかけてくるようになっていた。
老婆「にしても地域の子どもたちも元気そうでよかったの。あの子たちが元気にしてると、わしまで元気になってくるわい。何だか、元気をもらっている気がするのう。何より元気が一番じゃからの。子どもたちはこのまま生きててくれた方がわしも幸せじゃ。」
老婆がそう言ってしばらく経った後、日が暮れて夜になり、老婆は月を見ながら夕飯を食べ、歯磨きをし、しばらく時間を潰して自分の部屋に戻って寝た。
太陽と月の空ー完ー