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あけましておめでとうございます。
十日ほど、日本へ戻ってきてました。
来るときは閣下と一緒でした。閣下は呼び出されて先に満洲へ帰ったので、戻りは一人です。
あっけなく、支那統一実現。
年末ギリギリでしたね。びっくりしたなあ。
五色旗から突如として、青天白日旗へ。
張学良、国民政府への帰順を誓ったのです。
これによって支那全土は平定されました。
されちゃった、ついに。
17年ぶりです。おめでとうございます。
そして、ここでも出遅れている日本。
すでにアメリカ・ドイツ・ノルウェー・ベルギー・イタリア・デンマーク・ポルトガル・イギリス・フランスと年内に国家承認および通商条約・軍事協定などを次々と締結している南京政府ですが、日本のみ、一向に進展しておらず。
張学良の帰順も、石原閣下は想定内だったというかそうなる方に賭けてたみたいですけど、田中内閣はあくまで奉天政府のみを正式な国家としたかったみたいですね。ばかじゃなかろか。
今後の交渉は南京相手一択となりますが、その南京での領事館事件の結着すらついてない有様で。
ていうかシデハラが問題なしって言っちゃったのを一年半経ってからゴネ直してるだけでも立場が悪いのに、かつ済南で自分たちがした虐殺は賠償せずとか言ってる日本て頭おかしすぎやしませんか。
外交何年サボってますか?現在進行形。
つける薬もありゃしない。
さらに。年明けて、つい数日前。
楊宇霆と他数名が奉天城内で粛清されたとの情報です。
楊宇霆については説明必要でしょうか。
学良くんはまだ若く、誰しも認めるチャラ男なので政治を背負わせるには危うい。そこで日本の意を忠実に汲んでくれる大人に、執政を任せたい。と日本政府が白羽の矢を立てていたのが楊宇霆です。
日本の手先め!と、学良くんに殺されました。
学良くん、「父・作霖を殺したのは日本人だった、その内通者が楊宇霆であったから殺したのだ」と正直すぎる声明をしちゃってるみたいなんですが。
政治的に利用するなら、徹底的に彼を守って裁判に出させ、公衆の面前で日本の手口を暴露させればよかったのに。
なぜ、即、殺すんだ。
お父さんも浮かばれないだろう。
こういう直情的な危うさが学良くんにはまだまだあるんですね。
いずれにせよ日本政府の持ち駒はどんどん少なくなっていきます。
内地でも、いまだに河本を、国会へ証人喚問させよと野党が騒いでますよ。
喚問はいいけどそこで何を聞いたら白状させられるか、そのあとの段取りまでちゃんと計算してればいいんですけどね。そんな知性の片鱗も見えない。
爪も無いのに能あるフリだけ繕いたがるアホウドリが多すぎます。
アホウドリくんに失礼ですねごめんなさい。
えー、やさぐれるしかない話題はこれくらいにして。
新年の抱負を述べましょう。
新生支那の出発に期待します。今年はますます支那語に慣れて、スラスラ読めるようになりたい。今は英語紙と併読することで自分なりに情報を咀嚼してますが、その精度をもっと上げるのが課題です。
日本が動きだすのはもっと先だろうし、当分はナマケモノの楽園にとどまってるでしょう。そんなのほっといて、自分自身のスキルを上げられるだけ、上げておきたい。
そろそろ閣下に許可をもらおうと思ってるのが、大連の満鉄図書館ですね。あそこに通い詰めたい。新聞だけだと日々ストレスだけたまるので、本読みたいのと、辞書の充実ぶりは図書館が最強なんで。
あとはー。お小遣い欲しいから、何か仕事でも探すかな。これも許可出ればですね。
以上、昭和4年、民暦18年のコダマでした。
ごきげんよう!好了拜拜!