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2588年6月3日、日曜日。22時。満月。
かなりの遠回りをして、例の監視ポイントへ到着。
線路にねそべって、ほったて小屋を注視します。
双眼鏡は持ってきたんですが、顔まではわからない。
15人くらいですかね、人影がうろうろ。
いよいよ今夜らしいのですが、もちろん張作霖がいま奉天へ帰ってきますよーなんてラジオが伝えたりするわけもなく、関東軍の動きを見て判断してます。
この季節でよかった。冬だったら、さすがにしません。こんなこと。
小屋の中にも、何人か。出たり入ったり。
あと、伝令みたいなのがちょくちょく、付属地の方から行ったり来たりしてます。自動車で。
うーむ。待つのはつらい。
23時10分。列車、来た。
耳を塞いで、頭までマントをかぶります。
……通過。ん?
頭を出して、小屋の方を注視。
向こうも、固唾を飲んで見守っていたようではありますが。
もしかすると、影列車?
あるいは、貨物列車の可能性もあるかな。どんな列車かまったく見てなかったですけど。
だとすると、もっと手前より、ちゃんと連絡が来てるみたいですね。
じゃあ、間違いなく張作霖が乗っていると確実にわかった上で、爆破するぞという。
それは頼もしい。
よかった。無差別テロじゃなくて。
最悪レベルの想定が、一段、下がりました。
さて。
待つのはつらいですね。
昼間たっぷり寝てきたとはいえ。退屈でたまらない。
この件について考えるのも飽きたので、記憶を頼りに21世紀の声優さんしりとりでもしますか。
それも飽きてきた。羊さんでも数えるか。ってちがーう。
空が白んできましたよ。
05時です。
やべえな。明るくなっちゃうと出て行けない。
満鉄線の始発は07時台だったはずですが。ちょっと想定外。
小屋の爆破グループたちも明るくなっちゃうと困るんじゃ……おや?動きが。
くるか?
そろそろか?
手に汗がにじんできます。
05時23分。列車の音が。
小屋の連中もスタンバってます。間違いない!
マントを頭からかぶります。
耳を塞ぎます。
心臓の鼓動がわかる。
!!轟音!!
!!衝撃!!
!!!ものすごい音!!!
煙が充満!!!
くわー。
やりましたよ。やっちまいましたよ。
まだ目は開けられませんが、おおごとなのは分かります。
叫び声も聞こえる。火も燃えてます。
おそるおそる。
うぉお、見事なまでに。
橋脚が破壊されてます。
満鉄線も運行休止だぞこりゃ。
近くの民家から、ぞろぞろと人が集まってきてる。
よし!撤収!
マントは捨てていきます。その下に支那服着てて、顔も変装してるので、東宮に見られてもバレない……と思う。
野次馬にまぎれて、事故現場をよく見ます。
すごい。何人も死んでる。
瀋陽駅から兵士がかけつけて、負傷者を車で運び出します。迅速だな。日本軍もいます。
東宮いました。部下を指揮してます。
現場保存?実況検分?
それは警察の仕事か。
「ひどいじゃないですか!」
ん。破れたスーツの男が東宮に食ってかかってますぞ。
「俺まで殺そうとするなんて!!!」
え、乗ってた人?
うわ、これは怨まれるわ。東宮、たじろいでます。
それ以上ここで言うな!と目が訴えてます。
野次馬どんどん増えてきて、付属地から見に来たっぽい日本人の姿もちらほら。
支那人の屋台が饅頭売り始めました。すげえ、支那バイタリティすげえ。
写真撮ってるのは軍人と、報道屋さんか?
いやもうこれお祭り騒ぎですよ。そろそろ撤収します。旅館でひとやすみします。
んで。張作霖は結局、しとめたの?しとめてないの?