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コダマさんは今、満洲へ行ってます。ひとりで。
「よっぽど危険なところが好きなんですか。好奇心は猫をも殺しますよ?まったく……」
伝えておきます。ですが、佐々木中佐も、よくぞ御無事で。
「済南で負傷後、南京へ運ばれて入院してたんです。革命軍の兵に、上海の日本領事館への連絡を頼んでたんですが、伝わっていなかったみたいで」
コダマさんも相当心配してましたから。
こちらから連絡できないのが、本当にもどかしいです。今、どこにいるんだろう。
サノです。日特本社に、佐々木到一中佐が見えられてます。
1月からずっと、蒋介石の軍事顧問という肩書きで、革命軍について回っておられたそうです。
昨年8月に蒋介石が退陣したあと、武漢政府がソ連と袂を分かち、南京政府と合流。今年の北伐軍団は、前回よりもはるかに、有象無象の集まりとのこと。
昨年春、南京領事館を襲撃した部隊の軍団長も判明しており、事件直後には蒋介石から叱責を受けたものの、その後の戦闘で手柄を立てたため、引き続き革命軍主翼の一角を担っているそうです。もちろん、今回も参戦しています。
統制はますます難しく、掠奪暴動も前回より知能犯的になることは、想定内でした。
佐々木中佐はこのことを陸軍大臣へ直接、具申していましたが、対策はとられなかったということです。
「度重なる山東出兵は、破滅級の大失策ですよ。今や支那人民の心をひとつにまとめる唯一最強の方便は、打倒日本帝国主義です。私が説得したところで、焼けた薪に一しずく。蒋も、今や日本を敵とすることに、一片のためらいも見せません。そこまで、頑固にさせてしまったんです」
佐々木中佐もまた、全身を震わせながら、憤りをにじませています。
「参謀本部と陸軍省で、状況報告をしてきたのですが、白川陸相から面前で罵倒されました。この期に及んでまだ蒋をかばいだてするのか、大馬鹿者だ、というわけです。大馬鹿にもほどがあります、わかってるんです。わかってますが、信条は枉げられない」
コダマさんは、北伐が完成したら佐々木中佐を外相に、と何度も言ってるんです。
「気持ちはありがたいが、私には軍人以外の仕事は無理です。それに田中首相は、日露戦争で命を救ってやった大恩人である自分に張作霖が今でも逆らえないと思っているから、蒋なんかに天下をとらせてたまるかと考えてるはずです。万に一つも、ありえませんね」
難しいですね。政治も、外交も、軍事も。
「それを全てできる人物は、本当に、稀有ですよ。孫中山先生ですら、最後まで軍事は蒋やボロディンに任せっぱなしだった。蒋は、真に支那をひとつにできる不世出の英雄なんです。そう思うからこそ、本当に、私自身の無力さが悔しくて、悔しくて、たまらない」
でも、決して、信条は枉げられないのですね。
コダマさんが好きになる理由も、わかります。
佐々木中佐は、これからまた、支那へ戻られるのですか?
「一週間ほど、静養の許可をもらってます。一時金も出たので、伊豆の温泉へでも逗留しようかと考えてたので、その途中でここへ寄った次第なんです」
伊豆でしたら、うちの社長がよく行ってますので、旨い店とかいい旅館を、ご紹介できるかも。
「ああ、それはありがたい」
お待ちください。呼んで参ります。