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「日本男児たるもの、そんな軟弱ではいかんぞ!」
コーモトが二人に増えました。
コダマです。
旅順、2週目です。
東宮カネオ大尉という山賊みたいなおっさんが、河本以上に絡んでくる絡んでくる。
「女の腐ったような」なんて侮蔑用語だけでも、何度聞かされたか。
私の口からはこれ以上語りたくもないので語りませんけど。
うぜえ。
ほんと、うぜえ。
二人とも、支那に不慣れだった頃はトーイチさんの厄介になったそうですよ。何から何まで教えてもらったそうです。うらやましいなあ。
うらやましいけど、彼のもっと紳士的で理知的な、女を惚れさせる気高さも見習いなおしてこいや。
それから少しは悩みを持て。脳筋色キチ共めがまったく。
荒れてます。
同情してください。
そんなことより、今日の新ネタです。
蒋介石って中華民国国民政府の総統でしたけど、政府の本拠地を広州、南昌、南京と幾度も移してます。
都市を占領して安全が確認されたあとで、悠々乗り込んでいくのは、最高指揮官なので当然としても。その後で司令部を移すのが、とにかく早いんですね。
私が今いる関東軍司令部だって、三階建ての立派な建築ですけど、中には書類に軍装品に通信機やら、あれやこれや。建物は現地で手頃なものを接収するにしても、政府機能をまるっと移すなんて、いくら支那でもそう簡単じゃないはずなんですよ。
とはいえ私も、正解を知るまでは、考えもしませんでした。
蒋の政府って、司令部って、列車なんです。
政府機能をまるごと積載した装甲軍用列車。
だから、鉄路さえ繋がってれば、簡単に移動できる。
もちろん、これはこれで線路や走行中を狙われる危険もありますから、影武者ならぬ影列車や、移動の際は偵察列車を先行させたりとか、各種のカムフラージュで対策されています。
なお、北洋政府の大元帥・張作霖も、専用の装甲列車を何種類も持っていて、居場所を特定されないよう、常日頃から警戒怠りないようです。
日本では、こんな発想、ちょっと無いよな。
大陸の列車を見慣れてくると、日本の鉄道って、狭軌でミニチュア車体で、ちまちま、チマチマ、山の間を縫うように走っているイメージですもん。
平和な時代が訪れたら、鉄ならいっぺん中国旅行すべきだと思うよ。余裕があったら、シベリア鉄道にも乗るといい。
日本やインドは狭軌。
朝鮮、支那本土、そして英米仏これらはすべて標準軌。
ロシアは、ソ連は、さらに幅のある、広軌。乗り心地も最高だそうです。
難を言えば、支那の列車はとにかく汚くて、臭いってことでしょうか。食べかすや吸い殻がいたるところに散乱してて、清掃もロクにされない。そんな車内で支那人乗客は大声でおしゃべりしながら、ずっと何か食べてます。
満鉄はさすが日本の鉄道なので、清掃は行き届いてます。大連から旅順までしか乗ってないので偉そうなことは言えませんが。
以前に乗った、朝鮮鉄道は、その中間でしたね。
オタ的にぐっときたエピソード。
満鉄って、もともとロシアから奪った鉄道なので、5フィート幅の広軌でした。
これを日露戦争中に接収して、日本軍が使うにあたり、内地から持ってきたトロッコを走らせるため狭軌に直してます。
野戦鉄道提理部っていう専門部隊が作られて、延々とレールを狭めて進んでいく日々だったとか。
ポーツマス条約で正式に東支鉄道が日本のものになると、これが更に、標準軌に直されます。
支那には英国が敷きまくった標準軌の鉄道網があり、車輌もその規格でつくられている。
これと相互乗り入れできるようにしておかないと鉄道輸送が発展しないから。
ここで「三線式狭広軌併用運転法」という、つい早口で唱えたくなっちゃう必殺技が開発されます。
すでに営業している南満州鉄道の路線運行を、一日たりと休ませることなく、ゲージ変更しちゃったそうです。
わけわかりませんよね。
でも、なんだかなあ、日本て昔からこういうところに異常な懲り方するよなあ。
1分単位で完璧に時刻表どおり運行するってポリシーも、日本くらいでしょう。おそらく過去未来永劫。
おや、東宮さんも、いつの間にやらいなくなっちゃってますね。
帰国まで一週間きっちゃってるんですから。無駄な時間はないんです。まだまだ読んでない資料いっぱいあるんですから。私には影武者はいないのです。
熱中してれば、ひやかし組は諦めて去って行く。
そのあとはテレビもないので、集中できますよ。
太好了。太好了。