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2587年8月。北伐、またもや挫折。
天下をとるのって、難しいんですね。
コダマです。
拙いながら、私なりの情報収集力でことのいきさつをまとめてみます。
6月1日。
満洲の関東軍より、第33旅団が山東省青島へ上陸。
済南の日本租界を守るのが目的なので、そこへ向けて進軍しますが、ここはまだ北京政府側の支配領域なので、北洋軍との間で戦闘状態になります。
根回しできとらんやないか。
と、呆れるばかり。
7月8日。
済南まで到着。日本人居住区の守りを固めます。
ここまでの困難も考慮して、増援も決定。内地より、師団クラスが追加オーダーされました。
北洋・国民党・共産系・地方軍閥いずれもが、済南を避けて陣を構え、戦闘を繰り広げますが、ここへきて革命軍の旗色悪くなり、ボロディンが支那から逃げ出して以降の共産系国民政府との調整もうまくいかず。
8月13日。
蒋介石、総司令の座を降ります。
「自分には、国民党をひとつにまとめる求心力が既にないのだと思う。私を嫌いな人たちが、私がいる限り抵抗するというのなら、私は消えるので、どうか支那をひとつにまとめられる人が、跡を継いでください」
みたいなことを言ったとか。
袁世凱とは真逆の思考回路ですよね。
私は彼を、イサギヨイナーと思うのですが、どうでしょう。
ともあれ、その空席を誰が埋められようはずもなく。北伐はまたも空中分解し、中華民国三国志はいまのところ北京5・南京2・武漢3くらいの勢力図と見えてますけど、情報ソースが支離滅裂なので私にも確信が抱けません。
ヤレヤレです。
済南の危機ひとまず去れり、ということで、日本の出兵も引き揚げを開始します。
9月上旬には撤収完了の予定。
トーイチさんも、いったん、体があきますかね。会いたいなあ。
それにしても、どうなることやら。支那の行く末。
私は半年前、南京で、北軍の撤兵するところを見ました。
きわめて秩序正しかった。これ、日本の文献だけ読んでたら絶対ありえないと思うところですね。
あのときの南京城指揮官は、孫伝芳という人物です。北洋軍生えぬきの将官ではないらしい。したたかに乱世を渡り抜いてきた、切れ者の印象を受けます。
北洋軍にこそ、意外と、まともな人もいるんじゃない?って期待も、アリですよね。
孫中山存命中、北と南は政治的にまとまる可能性もあった。
双方のいいとこどりで支那を統一する。
いいかもしれない。
もしかしたら張作霖だけが悪者になるハッピーエンド。
てことは、日本もそろそろ取引相手を替えといた方がよくないですか。
いずれにせよ情報が欲しい。
まともな情報が。
それだけなんですけどね。はあ。