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民国10年。
支那はまだまだ、戦乱の世です。
孫中山が十年前に宣言した、中華民国という国号。そして、民国暦という年号。
この二つは支那全土で定着しつつありますが、どこが首都で誰が国家元首なのか、となりますと。
袁世凱から続く北京政府の中央集権主義に対し、
孫中山が上海で旗揚げした中国国民党という革命集団が、全国でゲリラ戦を展開しています。
その対立はどんどん激しくなっていき、いよいよ、北伐が計画されます。
支那大陸南端の広東省。
国民党の一大拠点がありますが、ここから出発して北へ北へと行進し、北京を武力制圧する一大作戦。
これが北伐です。
着々と準備が進められ、11年春に進軍開始しますが、足並みが揃わず、夏頃には解散しました。
やはりどうも孫中山先生には、軍隊の指揮は向いていないと思わされます。
民国12年。
この年、大きな変化が起こります。ソ連がやってきました。
レーニンがロシア国外で活動させた共産主義組織をコミンテルンといいますが、ここから派遣されたミハイル・ボローヂン最高顧問が、孫中山に赤軍式軍隊教育を伝授します。
武器も売ります。
国民党の戦闘力はみるみるうちに上がっていきました。
二年前に上海でも、中国共産党が誕生しておりますが、ここにもコミンテルンの指導が入っており、そのつながりで国民党と共産党は同盟を結びます。
国共合作といいます。
共通の敵は北京政府です。
北京といえば、張作霖が段祺瑞を追い出して、軍閥の元締めになっています。
その背後には満洲駐屯の大日本帝国関東軍が控えており、張作霖に都合よく利用されています。
若く新しい国家であるソ連。
教育にも非常に熱心です。
貧しき者よ団結せよが金科玉条。
知識人層からの絶大な支持もあります。その後ろ盾に支えられた二つの武装政治集団がタッグを組んで、全力で倒そうとしているその相手側についているのがわれらが日帝……
おいおいおいおいおいおい、タンマ。
想像してた以上にやばくないか、これ。
このレポートは閣下関係なく自主的に調べ始めたものですが、実はこれ以降の状況が、まったく理解不能。
孫中山先生、亡くなられてたんですね。民国14年。今から二年前。
北京で。
北京?なんで?敵地でしょまだ。え、どういうこと?
ボローヂン式軍隊で北伐第二弾を開始したらしいんだけど、記事によって、また瓦解したとか、最大で湖南省まで達したとか?
北京まで到達したなんて書いてある媒体ひとつもないけど孫中山死没地は北京なんだって。
しかもその前の年、日本の、神戸にも来てたとか?
日本語で出版された情報だけだと、どれが正解なんだかさっぱりわからんので諦めました。
現地で、佐々木中佐から聞こう。
それから、ウラジミル・レーニンも死んでたんですね。孫中山より一年前に。
閣下がドイツへ行く前にレポートまとめたきり、全然追っかけてなかったからなあ。
世界は動いているのだなあ。
やべえやべえ。
この調子だと、本土でのほほんと暮らしてる間に赤紙きて、出征して特攻させられて玉砕しちゃうぜ。
生き残るために、勉強します。
切実です。
その一環として、明日から支那へ行ってきます。
帰ってくるぞと勇ましく。おお勇ましく。