File_1927-01-001B_hmos.
コダマは、いつも、儂を驚かせる。
ドイツから帰ってすぐ、コダマを朝鮮へ行かせた。もう一年経ったのか。早いな。迂闊だった。
そのコダマが新年早々、支那大陸へ行ってみたいと。
儂が赴任していた漢口へ、ツテはありませんかと。
満洲をすっとばして、いきなりか。頼もしい奴だ。
これは本人からの希望なので、旅費は宮本に出させるという。
儂にとっても、渡りに舟な計画ではないか。
そこで、いろいろと助言をした。
生水は飲むな。
大きめの水筒を持っていけ。必ず、煮沸した白湯を入れて持ち歩け。
日本人を泊めない宿もあるし、立派な旅館でも油断はならん。
できるかぎり領事館を頼れ。領事館からなら電報も打てる。
なるべくこまめに連絡をよこせ。
地域によっては抗日の怨嗟がすさまじい。日本人らしく振る舞うな。
ことさらに汚いなりをして回れ。
申請すれば、支那兵の護衛兼通訳をつけられるが、あいつらはたかり屋だ。儂も使ったことはあるが、やめておく方がよかろうと思う。
カメラは、持っていくな。儂のを貸してやることはできるが、今回はやめておけ。
メモも、間諜の疑いを強める。往来で手帳は開くな。日本語が書いてあれば、それを読めない支那官憲をいたずらに刺激するだけだ。くれぐれも、気をつけよ。
さて、ツテだがな。
神田がいれば頼みたいところだが、消息がつかめん。
今は北京にいる、佐々木がよかろう。支那といえば佐々木だ。
あとは、くれぐれも、無茶はするな。しないだろうとわかっているが、どれだけ用心していても、しすぎることはないぞ。
帰ってきたら、その冒険談を、誰よりも先に、儂にきかせろ。