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雲が高くなってきた。風も心地よい。今日は時間をつくってきた。昼飯も一緒にどこかで食おう。
楽しみだ。楽しみだ。
儂はいつも、先に寮へ寄る。本を置いていって、それから宮本の部屋へ挨拶に行く。
一時間も話してから、寮へ戻ると、小僧、さっき渡した本をすべて並べ、すでに読み始めておる。
この中では、それがお気に入りか?
「はい」
小僧の没頭が一段落するまで、儂は前に預けておいた本を棚から畳の上に並べていく。
「ありがとうございました。それでは」
小僧は、自分からは極力、話さない。この用心深さも、儂は大いに気に入っておる。
それからは、一冊ごとに、感想戦だ。小僧、すべて目を通しておるのだ。そして、わからんことは聞いてくる。
「なるほどです。この本は、もう一度お借りしてもよろしいですか?」
気になれば何度でも読み返すのだ。この研究熱心さ、たまらんわい。十歳の小僧がだぞ。
まったく、陸大のガキどもに爪の垢を煎じて飲ませたい。足の爪でももったいないくらいだ。
今日は、その小僧が、きっと感嘆の声を漏らすに違いない。そんなお土産を持ってきたのだ。
つい鼻歌も出てしまう。一息いれて、扉を開けると部屋は空っぽであった。
ふむ?
寮母のおばさんに尋ねると、最近、本社の地下室へ引っ越したとか。
道路を渡り、日特本社へ向かう。
宮本はいた。どうしたのかね?と聞くと、斯く斯く然々。そうか、学校でいじめられたか。
無理もない。しかし、手は上げなかったのだな?宮本にも、愚痴ひとつ言わなかったのだな?
ますます、本物だ。
儂は、興奮を抑えきれなくなってきた。
宮本へ案内されて、地下室へ行く。階段を降りるのは初めてだ。
倉庫や書類庫として使われている部屋がいくつかあり、その中で手頃な一室が小僧の部屋にあてがわれていた。
あいかわらず殺風景だが、寮よりもずっと静かで、小僧は気に入っているようだ。
話はきいた。学校は、行かなくていいんだな?
「はい。閣下のご本の方が勉強になります」
殊勝な子だ。気を遣いおって。
それもよいが、ここは陽が当たらんから余計に、色が白くなるぞ。一日一回、散歩でもしろ。
「はい」
宮本も、言ってやってくれな。こいつ、ここにいたら本を読むか寝てるかしかしなくなるぞ。
そんな話を適当にして、宮本を下がらせ、儂は小僧と差し向かいになる。
今日は、とっておきの本を持ってきた。
陸軍歩兵操典だ。
儂が教官をやっておる、陸軍大学校の、教科書だ。本物だぞ。最新版だ。
誰にも見せるな。儂は軍法会議にかけられる。
それ以上は、言わなかった。小僧、目を見開いて、震える手でゆっくりと頁をめくりはじめている。思った通りの反応だ。
お前には最高のご馳走だろう。来週また来るから、たっぷりと感想戦をしよう。
正直、儂も頭が痛くてな。話のわかる奴が本部にはおらん。お前の意見も存分に聞きたいのだ。
大日本帝国陸軍、今のままではソ連に勝てん。
勝つどころか、シベリアにずるずると引き込まれてこのまま全滅だ。
なんとかせねばならんのだ。なんとかな。その糸口に、お前は役に立つと思うぞ。
さあ、それはあとでじっくり読めばいいから。飯でも食いにいかんか。