File_1945-06-002H_hmos.
プッツィーのパパから、電報を、もらった。
早退して、クラウスに車を借りた。
クァールにも、ついてきてもらった。
途中、二回もパンクした。
泣きそうになった。
けど、こらえた。
病院へ着くと、プッツィーのパパに、抱きしめられた。
自分はこれ以上耐えられない。帰る。あとをよろしく頼む。
そう、頼まれた。
すでに、プッツィーは、意識が無かった。
21時22分。
彼女は、天に召された。
カーショップは、もう、閉店している。おそるおそる、運転した。
帰りも、一度、エンストした。
クァールに、直してもらった。
沈黙に、耐えきれなくて、僕の方から、口を開いた。
ふしぎなんだ。
全然、泣けない。悲しく、ないのかな。
「無理して泣くことはないですよ。心が信じてない、とか。説明はつきます」
そうか。そうかもね。
全然、ピンときてない。
「私も、大切なひとを失いましたが、一度も、泣いてません。
だって毎日、夢で会ってますもの。今日はこんなことがあったよ、なんて、おしゃべりしてます。
淋しくもないのに、泣く理由なんて、無いです」
ロボットでも、夢を見るのか。
我思う。ゆえに、彼女はここにいる。のか。
……むかし、昔、ずっと昔。
プッツィーとも、そんな話を、したっけ……
出会ったとき、僕は15歳、彼女は13歳だった。
長い髪を梳く仕草がとても美しかった。
プッツィーは人気者だった。手の届く存在ではなかった。
新聞部の部長になって、先生たちからも一目置かれていた。
僕はといえば、生意気な研究マニアで、屁理屈をこね回しては先生たちを困らせて、得意がる、要注意人物だった。
あるとき、宿題の相談をされた。
デカルトについてだった。テキストを読んだ僕は、その場で必死に考えて、これは問題文がおかしい、論理的に成立してないものを、さらに混ぜ返してるだけだと、放課後までえんえん語り出した。
夜、死にたくなるほど後悔した。
次の日、彼女は、僕の言ったことを彼女なりの言葉にして、教室で論じ立て、先生をやりこめたらしい。
それから、頻繁に話しかけてくれるようになった。
いつしか、つきあってた。
僕が大学の寮へ入ってからも、よく家へ遊びに来て。
母とは料理を、父とは写生を。妹にはピアノを教えてくれて。僕よりも家族の一員だった。
結婚は決めてたけど、プリンストンの安月給じゃカッコがつかない。
迷っているうちに、持病の貧血が、実は結核だと判明した。
ニュージャージーで入院することになり、僕が車で送った。
その途中、役所へ寄って、籍を入れた。
プロジェクトへの参加を求められたとき、ニューメキシコに幽閉されるのなら行けませんと断った。
ジュリアスが、アルバカーキの病院に掛け合ってくれ、何から何まで手続きをしてくれた。
毎週面会に行くための外出許可証も、すんなりと出してくれた。もう、いらなくなるけど。
ふしぎだな。まだ泣けない。
夜中すぎに、サイトYへ帰り着いた。
眠らなくちゃ。疲れた。
プッツィーは、夢に出てきてくれるだろうか。