File_1945-05-002H_hmos.
ヒトラーが自殺し、第三帝国は崩壊し、降伏文書が調印された。
ロンドンに、パリに、ローマに、ワルシャワに、そして、ベルリンに。
夜、ふたたび、街の灯がともった。
戦争は、終わったんだ。
僕たちは、祝杯をあげた。
でも、仕事は、休まなかった。
アルバカーキより更に更に南の先にある砂漠で、ある爆破実験が行われた。
その解析に、追われている。
TNT火薬、100トン。
ピンとこないよね。こんな質量。
ここへ来て以来、初めて扱う小ささかも。
来たるべき、プルトニウムの本番と比較するための、サンプルづくりだ。
TNTの破壊力を基準として、その何千倍の規模になるかを測定する。
つまり、単位をつくるわけだ。慎重にデータ化する必要がある。
最近になって、ウラン235の生産量が、急に上がってきた。
弗化ウラニウムのガスに腐食されない材質は、ただひとつ、ニッケルのみ。
ガスに触れる容器やパイプをすべてニッケル製にしようとすると、膨大なコストがかかる。
なら表面だけニッケルでコーティングをすればよい。
ここまでは、誰でも思いつく。
しかし、ニッケルでコーティングというのがそもそも難しいのだ。
ちょっとでも気泡が入って、表面に凸凹ができていると、そこに圧力が集中して、メッキが剥がれ、破裂する原因となる。
一ヶ所でも破裂した途端、工場内は汚染され、材料も、機械も、その場の全作業員の生命もが、失われてしまう。
この問題を、ある町工場が、解決した。
そこに至るまでには、涙ぐましい物語が、あったらしい。
レスリー准将が、この工場を、設備・特許・経営者ごと、買収。
周辺の土地も取得し、工場を中心としたコンベア・システムをつくる。
テネシー州のウラン235工場を分解し、ニッケル工場へピストン輸送。
ニッケルメッキを施した部品をテネシー州で再組み立てする。
それでも、かかった費用は、すべてをニッケル製にする当初の見積もりの、2%で済んだらしい。
ピンとこなさすぎるよね。
僕にはそんな金額を扱う機会は永遠に無いだろう。
ギガだのテラだのペタだのと。天文学でさえ、こんな単位系はそうそう、使わないと思うよ。
ともかく、こうしてウラン235がじゃんじゃん作られるようになってくると、ウラニウム爆弾の方が構造は単純だから、プルトニウム型よりも早く完成するかもしれない。
レースの行方が、またわからなくなってきた。
計算の仕事も、追加に次ぐ追加でね。
だから、休む暇も無い。
クァールは時々、歌を口ずさんで、皆をリズムで誘導する。
人を気持よく動かす機微を熟知しているかのようだ。
まったく、心得てやがる。
僕も、ドラムを叩きたくなる。
けど、僕はいつも、ついついノリすぎちゃうから、控えてる。
「リッキー、賭けをしましょう。この計算が今日中に終わらなければ、1ニッケル」
たったの5セントで人の心を操ってしまうクァール。
まったく。