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親愛なる、リチャード博士。
お久しぶりです。仕事の方は、順調ですか?
私は、あいかわらずです。どこからも、お誘いがありません。
「彼は、なんでもすぐ人に話してしまうだろう」
そう思われているみたいですね。その通りです。だから、何も知らないのがいいでしょう。
さて。君に、会わせたい人物がいます。
シャオ君。チャイナ生まれだそうです。
1月に、命からがら、ワシントンへ辿り着いたらしい。コロンビア川が流れてる方のです。
祖国で、そうとう恐ろしい目に遭ったらしく、記憶を失っています。
しかし、脳の働きは常人を遙かに凌ぎます。
もともと科学者の素養があり、チャイナでも何らかの仕事をしていたらしい。
あまり詮索はしていません。思い出させようとすると、つらそうだからです。
ワシントン、カリフォルニア、ウィスコンシン、それからシカゴ、デトロイト、ニューヨークへと。
彷徨いながら、北米大陸を、ヒッチハイクで横断してきた。
英語も、がむしゃらで覚えたのでしょう。いろんな訛りが混じり合っています。
ここへ来る直前は、ベル研究所にいたそうです。
そこへも、どこかからの紹介状を持ってきて、入れてもらったらしい。
たちまち、工程に問題箇所を見つけ、適確に解決法を提案したという。
三日後、重役に呼ばれて面談。高給を提示され、正社員化を薦められる。
しかしシャオ君は、条件を子細に検討した上で、辞退を告げました。
「自分の能力を最大限に活かすには、より軍事に直結したこちらのプロジェクトに参加する方が国策にも適うと思う。お願いです、紹介状を書いていただけませんか」
こうして、プリンストンへ来たわけです。
デウォルフ博士が、私に会わせたいと、連れてきました。
私も、たちまち、シャオ君の聡明さに魅了されました。
彼と、統一場理論について語り始めかけた、そのときです。
「博士、私もこのテーマに無限の興味を抱くのですが、いまは戦争中です。まずは、この非常事態を終わらせることを優先させましょう。先程、事務局でニューメキシコ州の仕事を紹介していただいて、今その手続きを待っているところなのです。早ければ、今夜にでも出発します。戦争が終わったら、また、ここで、お会いしたい。その時に、あらためて、じっくり研究してみたいです」
私も齢をとったものだ。若者のエネルギーとスピードには、ついていけないと思い知りましたよ。
そこで、君のことを思い出しました。
ニューメキシコといえば、たしか君が行った先だ。奥さんの事情があるから、そこから移ってはいないと思う。
君は、シャオ君ときっと仲良くなれると思います。
彼にとって最良の人生を見出す力になってあげてほしい。
それでは、お元気で。
アルバートより。
3月9日、1945年。