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灰皿がいっぱい。
平井先生。落ち着かないのは分かりますけど、喫いすぎですよ。
「最悪、私は、殺されるかもね。何発か、殴られるのは、覚悟してますが……」
お通夜のような、朝でした。
ピンポンと、ベルの音。雨の静寂を、突き破ります。
文代さんが、出てくれましたが、私たちに、すぐ玄関へ来てくださいと。
「車を待たせてます。すぐ行きましょう」
平井先生は、躊躇して、お留守番。
私は、コダマさんと、軍用車へ、乗りました。
無言のまま、巣鴨の東京拘置所へ向かいます。
「ありがとうございました。石井中将へよろしくお伝えください」
車を帰らせ、受付をして、場内へ入ります。
昨日、ゾルゲ氏の死刑が執行されました。
霊安室には、二つの棺。ゾルゲ氏は寝棺で、もうひとりの尾崎氏は、座棺です。
尾崎氏のご遺族と、新聞社や満鉄関係の方々が十数名来られていて、引き取りの手続きをされています。
我々も、尾崎氏の関係者を装って入場しましたが、コダマさんは、ゾルゲ氏の寝姿を、じっと、見つめたままです。
新聞で見た、まるでノスフェラトゥのようなリヒャルト・ゾルゲ氏が、横たわっている。
首には、索状痕。背広を着て、ネクタイ無し。
この格好のまま、処刑されたのでしょうかね。
コダマさんは、無表情です。
「もういい。帰ろう」
「すまないが、一人で戻ってくれ。今日は、平井さんのところへは、寄らない」
はあ……コダマさんは、どちらへ?
「一人になりたい。じゃあな。ありがとう」
傘をさしたコダマさんは、すぐに見えなくなりました。
探偵事務所に夜までいましたが、コダマさんからの連絡は、ありませんでした。