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4月早々、日本軍は二つの戦果を打ち立てました。
まずフィリピンのバターン要塞を占領。
衰弱した捕虜が何万人も投降し、口々にマッカーサー司令官とルーズヴェルト大統領を罵っているみたいです。
米紙によると、残存兵力は米比混成軍36000名。
その一割がコレヒドール島へ脱出し、なお抵抗を続けている模様。
もうひとつはインド洋。イギリス海軍またもや惨敗。
重巡コーンウォール、ドーセットシャー、軽空母ハーミーズほか。
タンカーや輸送船も、多数、日本海軍最強を誇る南雲機動艦隊により、沈められたそうです。
その翌日、インドと英国の独立会談が、決裂という形で幕を閉じました。
アメリカがフィリピン独立に積極的だったのと対称的に、イギリスは一度手に入れた植民地への執着が烈しすぎるので、無理だろうとは思ってましたけど。
インド国民の抗日意識を高める意味でも、何らかの譲歩はすべきじゃなかったのかな。
しなくても日本などひねりつぶしてみせると、チャーチルは自信を持っているのかな。
まあ、チャーチルだものね。あの首相の性格を考えたら、無理もないだろうなと思う。
バターンについては、防疫部が出動してまして、ここにも辻がいたらしい。あのバカ、やばい所に居すぎだ。
そろそろ、雪も降らなくなってきたでしょうか。ソ連では。
ドイツ、今年はどう出てくるか。
ソ連でも異常な寒波と言われるほどの冬将軍は、モスクワまで30kmに迫っていたドイツ軍を徹底的に打ちのめしました。
大西洋、地中海、そしてアフリカと全方位で戦線を維持しなければならないドイツに対し、ソ連は冬の間にアメリカからの援助も糧にして、圧倒的な軍事大国へと成長を遂げています。
戦時統制を口実に、反対派の粛清もこの機会にやりたい放題のスターリン。
もはや、すでに、ドイツもアメリカも、利用される側へと立場を変えつつある状況にも、見えましょう。
ただ正直、独ソ戦の実情は、よくわからないのです。
ソ連とドイツの新聞や雑誌も手に入れてはいるのですが、報道される内容が違いすぎる。
ソ連領の地名と人名を整理するだけでも大変だし、検証が容易でない。
西洋人がアジアの戦局を報道だけで理解するのにも限界がありましょうが、同様の呪縛にはまっています。
東部戦線の概況は、クルスクで大戦車戦が始まるまで、お休みします。
目下、もう一つ注目してるのが、北アフリカ戦線。
一年ほど前から、エルヴィン・ロンメル将軍の名が登場してます。
独紙より英紙での方が扱いが大きい。
どれだけ恐れられているかが見てとれます。
地中海に面した、北アフリカ一帯。
スエズ運河を含む北東端のエジプト王国は独立国ですが、永年開発を援助してきたイギリスの影響力が強大です。
西に国境を接するリビアは、イタリア領。
ムッソリーニはこちらからエジプトの英軍基地を襲わせますが、弱くて勝負にならない。
ここへドイツからロンメル軍団が派遣されました。形勢は逆転します。
兵力差では枢軸側が圧倒的に不利。にも拘わらず、砂漠の戦車戦という新境地を世界の誰よりも早く開拓し、一切の無駄が許されない戦場で、高い士気を維持し続けているのです。
敵さえ認める快挙なのに独紙での扱いが低い理由のひとつは、ロンメル氏がナチ党員でないこと。
ドイツ国防軍の生え抜きで、徹底的な実務派。歩兵学校教官時代につくった講義テキストが、スイス陸軍でも教科書に使われているという逸話だって、あるほどですが。
ヒトラーが最重要視している独ソ戦には抜擢されず、捨て駒的にアフリカを任された。
ヒトラーの人事も、おべっか序列ですかね。
しかし、ここで、ロンメルの名が伝説となるのですから、油断なりませんね。
ちなみにあと数年したら、ヒトラー暗殺未遂事件が起きます。
ロンメルは首謀者のひとりとして処刑されます。
すでに、ヒトラーの戦略眼には迷走ぶりが甚だしい。
ロンメル氏はそれを、とっくに見抜いているものと察します。
無理と知りつつ、私がスカウトしたい人ナンバーワンなんですけどね。
史実では、暗殺計画が失敗し、自宅で療養していたロンメル氏のもとへゲシュタポが来ます。
私はそこへ先回りして、ロンメル氏を、家族とともに連れ出す。
私はすべて知ってますから。と言いくるめて拉致する。
そんなシナリオを、想像しちゃったりするんです。
言ってみただけです。ドイツへも、行きません。
今からなんて、怖くてとても、行けません。