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フィリピン人は、日本軍を歓迎しません。
蘭印や英領ビルマとは異なる対応が必要です。
東京の大本営は、この違いを、そもそも把握できているのだろうか。
地図だけ見れば、フィリピンは小さな島々です。
アメリカの基地だらけなので早々に叩く必要はあった。それが成功したことはおめでとう。
次は蘭印だ。広いし、資源もいっぱいあるから重要だ。住民にも歓迎されているぞ。
フィリピンよりそっちへ向かえと、兵員を大量に転出させたわけか。
なるほど、おりこうさんだ。
私だって、アメリカの地政学誌でつい最近知ったことなので、偉そうなことはいえませんけど。
1934年。フィリピン独立法が、米議会で承認されました。
1944年7月4日をもって、フィリピン共和国は独立国家となります。
円満なる子別れです。
アメリカ合衆国の独立記念日とお揃いにして、毎年一緒に祝おうねなんて、粋すぎるプログラムじゃないですか。
こんなこと考えた人を、尊敬せずにはいられません。
そこへ突如、横から殴りかかってきた日本人が、どれだけ憎たらしいことか。
軽蔑せずにはいられません。
ロサンゼルスで、こんな事件が起きました。
カリフォルニア州マーチ飛行場から出撃した米軍爆撃機隊を、日本軍機の空襲か!と早合点した住民が大騒ぎ。
落ち着いて、落ち着いて。日本は、そこまで飛べる飛行機も基地も、持ってませんから。
「でも、そういえば日本軍はなぜパールハーバーを襲撃後、占領しなかったのか?」
そうですよね。一部の識者は、ふたたびこの問題を議論し始めます。
ハワイ基地から飛び立てたとしても、米本土を爆撃する作戦は、かなり無謀。
末期になれば日本人なら片道飛行でやっちゃうかもしれませんが、まだ、さすがにそれは。
とはいえ、なぜ?とは私も気になっていたところです。
4ヶ月、戦況を追ううちに、ある仮説を思いつきました。
検証はしてないので、あくまで想像です。それでもよければ。
ハワイ作戦は、日本「海軍」が主体となり立案した作戦だった。
マレーでは、シンガポールを直接海から攻めるのが困難だったため陸路から侵攻しましたが、上陸部隊は「陸軍」でした。
これを援護する形で「海軍」は洋上を哨戒。プリンス・オブ・ウェールズを沈めます。
蘭印でも、「海軍」は洋上を担当。
「占領」は「陸軍」の管轄と、はっきり役割が分かれています。
役割分担自体は、アメリカも同様です。
陸軍と海軍は本来、統制が別体系なので、戦時には統合府が設置され、全体を見通し、連携をとります。
米国では統合参謀本部、日本の場合は大本営と呼ばれるものが、これです。
日本陸軍は、台湾から広州湾を攻めたときのような、小規模の上陸用船艇を大量配備した実績はありますが、大海原を渡るような輸送船団をそもそも持っていません。
そして、海軍は陸戦隊こそ有してはいても、上陸後駐留し現地政府と交渉しながら長期的に軍政へ関与し維持していくという業務がそもそも念頭に無いのです。
ハワイ作戦は、相手を「ただやっつけるだけ」が目的だった。
陸軍脳では、不思議に感じますが、海軍発想ならばあれで完璧だったわけです。
そもそも、占領するなんて発想自体が、なかった。
陸軍は、意見しなかったんだろうか。深く考えず、主導する側の方針にただ従ったのだろうか。
現状、意外なほど日本の陸海軍は見事なコンビネーションを見せつけています。
フィリピンから蘭印への、陸軍兵団の移送なども、海軍がやってくれてますし。
しかしどこかに穴があけば、その原因の診断と摘出をかれらは討論できるかな。
そして、これだけ無闇に戦域を拡げてしまえば、早晩、どこかに穴があきます。
日本陸海軍の強い信頼関係は、どんなトラブルも乗り越え続けていくでしょう。
期待せずには、いられません。