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フィリピン自治領ルソン島、バターン。
それは、末期戦のシンボル。
戦時中の情報統制下でも平気で公開議論する合衆国民。
そもそもそれ以前に、最渦中人物であるダグラス・マッカーサーが、米軍最高司令官であるフランクリン・ルーズヴェルト大統領に楯突いてます。いいのか?
タフな国だなあ、アメリカ。
強いですよ。底力が厚い。
私なりに整理します。
12月の開戦前まで、フィリピン駐留の極東軍は、日本本土を一斉爆撃する戦略に沿って、かなりの兵力を結集させていました。
でも対空・対艦の備えは充分ではありませんでした。
ここへ、日本軍は200機近い戦闘機で殴りこみをかけ、米航空戦隊をほぼ無力化します。
次いで、上陸作戦。
これを想定していなかった米軍は、物資も内陸まで運びきっておらず、片端から鹵獲されます。
首都マニラを非武装化して、奥地のバターン要塞まで撤退。
大都市を戦場にさせず無傷で明け渡したことは評価したいですが、都市内に貯蔵されていた物資も根こそぎ日本に奪われます。
ところが、防衛拠点バターンには、弾も、食糧も、薬も、備蓄してなかった。
そこへ米兵、フィリピン兵、そして難民が詰めかけ、身動きもとれない籠城戦が始まります。
マッカーサーは司令部を、更に離れたコレヒドール島へ置き、本国への支援を求め続けます。
怒れるダグラス。その生メッセージは本国の新聞に書き立てられ、米国民の魂を揺さぶり、「大統領なにをしているんだ」と、この状況を招いた張本人を勘違いさせているのです。
あーららら。
ダグラス君。きみ、日本軍なめてたでしょ。
ここまで大惨敗してる元凶はあなたでしょ。
1月8日の時点で、米国は極東軍司令部をオーストラリアへ移す決定を下し、マッカーサーたちへもそちらへ合流せよと指令を出したそうなんですが、フィリピンとオーストラリアの間にはオランダ領東インドの島々がひしめいており、日本軍は油田を持つ島から順に占領作戦邁進中です。
敵がうじゃうじゃいる海域。3000kmの逃避行。
「船もないのに」とマッカーサーは吠えました。
結局どうにかして脱出しオーストラリアへ着いた頃には、バターン要塞周辺は死体の名産地と化していた。
聞くところによると、日本だって相手をなめてかかってて、マニラ占領後に多くの部隊が他へ転出させられたので、そこから先の進軍がかなり遅くなっているようです。
戦域拡げすぎてるからなあ。
時間をかければかけるだけ、二兎も三兎も追おうとするだけ、利益が減るのは経済では常識のはずなんだけどな。
というわけで、
まだバターン死の行進は、起きてません。
バターンといえば、死の行進。
これも名前だけ知ってた故事ですが、察しはつきます。
飢えと病気に加え、
司令官に見捨てられたという決定的な戦意喪失をむきだしにして降伏した捕虜たちが、
収容所まで、着のみ着のままで何十キロも歩かせられて、
大半が、死んでしまうんでしょう?
ぜんぶ日本が悪いんだ。そもそもあいつらのせいなんだ。
それはたしかに、そうだと思う。
日本兵は自分たちが捕虜に対してしていることを、自分たちもされると思ってるから、捕虜になるくらいなら自殺する、というプログラムを意識下に刻み込まれて、成長します。
ハーグ条約およびジュネーヴ条約に基づいた処置を常識とする連合国兵士にとっては、降伏後にまさかこんな地獄が待っているなんて、信じられなかろうと思います。
未開民族との戦争には、想像を絶する覚悟をすら、求められるのですね。
いいか、敵には近寄るな。
姿を見る前に、焼き払え。
徹底的に、駆逐するべし。
逃げてもやつらは追ってくる。終わりを知らない。
終わらせられるのは、こちらだけだ。
我々の主導で、終わらせよう。
時間もかけるな。すみやかに、ひといきに。
日本軍を相手にするなら、今後はこのくらいの覚悟を、求めたいですね。