File_1942-03-002D_hmos.
3月8日、ビルマの首都ラングーンが陥ちました。
無血占領です。英軍はここでも抵抗せず、早々と撤退。
ビルマでも、日本は現地民の熱狂的歓迎を受けているようですね。
商機じゃないかよ、ニッポン。
もったいないなあ。
実にもったいない。
困っている人が、そこには、いたわけですよ。
何世代にもわたって、ずっと踏みつけられて。
抵抗するだけの力も知恵も、勇気すら、奪い尽くされて、生きていたわけです。
この世界は、こういうものなんだと。
それ以外の人生を、想像すらしてなかったところへ、突如、白馬の王子様が現れたんです。
ヒーローになってあげればいいじゃないですか。
相手の瞳にはフィルターがかかってて、その幻想で、魅力は何倍も上乗せされてるんです。
なぜ、このアドバンテージを、めいっぱい活用しないのか。
なぜ、そんな相手にすら、出会い頭にレイプする如き発想しか、持ち得ないのか。
それ以外の哲学を持たずに今の今まで生きてきたのか、おんどれら。
なさけねえなあ。
今更ですけどね。
つぶやいてしまいました。
フィリピンでは、マニラからバターンへ向けて、アメリカ軍が追いこまれてます。
司令官はダグラス・マッカーサー。
21世紀でも有名人です。でも、よく知りませんでした。
1942年現在、米国内においても、賛否両論烈しい人物です。
タイムスは讃え、ヘラルドは貶す。
アメリカのいいところは、各紙主張を明確にする姿勢。
各新聞社は、自分たちの調べてきた情報をもとに、推論を組み立て、記事にして発表します。
どうしてこう考えるに至ったかまで書くから説得力がある。
時々、政府をヒヤリとさせます。
口裏合わせてないからこそ、バトルもしょっちゅうです。
他紙はまったく逆の結論に至ることもあります。ここでもバトルが勃発します。
毎日がディベート。
うらやましい文化です。
さて、マッカーサー氏。
父の代からフィリピンに縁があり、7年前に米陸軍参謀総長の任期を満了してからはフィリピンへ移住。
フィリピン人による国軍の建設と、その強化に尽力します。到一さんに似てるとこありますね。
日本が南方へ食指を伸ばし始めてからは、対日防衛戦線の旗頭となり、米軍所属へ復帰。
本国へ交渉し、ルソン島のクラーク飛行場に最新鋭の重爆撃機を多数配備させ、開戦したら即、日本中の紙製家屋を焼き尽くしてやると豪語していたそうです。
しかし、日本による世界同時多発テロ初日、フィリピンも空爆され、準備した爆撃機隊は出撃せぬまま、ほぼ壊滅。
上陸した日本軍に対しマニラを明け渡して撤退したまではともかく、バターン要塞には食糧も弾薬も備蓄しておらず、抵抗戦を兵にまかせて自分はコレヒドール島に渡り籠もったまま出てこない。
なので米国内からもマッカーサーはポンコツだと激しく叩きまくる声が一定数あります。
すごいですよね。戦争中でもこんな議論とスッパ抜き。
読めば読むほど、考えさせられる。
日本の新聞も、考えさせられはしますよ。
読めば読むほど、不思議でならない。
なぜ、歓迎してくれてるビルマ人たちから、すぐさま何もかも取り上げようとするんだろうこいつら。
シンデレラも小公女セーラも、以前の方がましだったと、どれだけ嘆くことだろう。