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食事には苦労しました。
一週間だけ、小学校行ってたことあって。
閣下に拾われたばかりの頃だけどね。
そのとき、背の順に並ぶんだけど。まあ、真ん中辺でしたよ。高くもなく、低くもなく。
でも、細かったねえ。こけてた。体力も、なかった。
ひたすらステルスな人生を歩んできましたから。
相手がどんなに幼稚でも、それを言っちゃあお終いよ、てなことをグッとこらえるのを十年間。辛抱に辛抱を重ねまくって生きてきましたから。
それはいいんですけれども。
食事ですよ食事。
この世界のメシってね。まずいんですよ。
生まれ育ちは福島で。そのあと父親の甲斐性無しのせいで東京へやられたんだけど。
福島の方が、量自体は、出てきましたね。いろんなツケモノ。あと山菜。
これが、どれもこれも、クサイ。
歯応えあるのは良くも悪くもだけど。野菜もね、21世紀の野菜ジュースとは比べるべくもない。ニンジンなんてね、え、これがニンジンなの?私の知ってる人参とは別次元のニガサなのよ。それをもう、無理矢理にでも最後まで、食えっての。
お米一粒ひとつぶには神様がーとか。
貧しい国では食事するお皿も持ってない子供たちがーとか。
アレルギー体質持ってたらどうすんだよ。
でも容赦ねえんだよ。容赦なく叩くんだよ。思いっきりね。男も女も。男にも女にも。女の子には多少の手加減はするかな。
それが、この世界のスタンダード。常識。
日本人たるもの生まれてきたときは完璧なるデフォルト既製品であるはずだから。それに正しく日光あてて生育させればすくすく成長するものだからって。
そんな神話が根深いんだよ。
21世紀以上にシステマティックなこと言うんだこの世界の大人たちは。
お菓子もないしさ。スイーツのことだよ。町に駄菓子屋はありました。原色ギラギラの、見るからに体に悪いもんしこたま入ってそうなアメ玉やきなこもちが。
子供らの手づかみで。
ヨダレまみれ汗まみれのまま。
木箱に入ってて。
におうの。
そこから取って食えってのね。
買い食いって私、今もしないんですよ。できないんですよ。怖くて。
十年間、ほんと、食い物についてはロクな思い出がねえなあ。
兵隊さんになれば、腹いっぱい米が食えるんだぞ。ってのは男の子たちの夢のひとつだったんですよ。今もかな。学校で成績よければ、幼年学校へ、そして東京へ、てのはエリートコースのひとつと考えられていたようです。末は博士か大臣か、の次は軍人さんみたいな。
日露戦争から二十年経ってるんで、今はもう、ムダ飯食いな印象も強まってますけど。
でも兵隊は死ぬからね。猛烈に嫌ってる人も一方にいた。特にご婦人方にはいた。十五年前からいた。表立っては言わないけど。
ここらへんは、21世紀の自衛隊とくらべてどーなんだろ。
自衛隊って、海外派兵しても、戦闘区域外で道路直したり、医療活動しかやらないんだよね。こっちでは簡単に外地の戦場へ行くからね。
むしろ戦争仕掛けるからね。
議論の余地もないホンマもんの軍隊だからね。
内地で一生を終えたり、日露のときも軍隊にいたけど出征してません、て軍人だって、そりゃ、いるけど。
そういや日露では特定の師団が激戦区に充てられたので、07旭川とか09金沢では市内が毎日葬式だらけだったとか、閣下の本に書いてあったぞ。01東京は名家の子弟が多いから、最後の最後で手柄を立てるためだけに投入されたりとかね。書きませんでしたけど。
メシの話に戻りますが。
日特の食堂は天国です。
おばちゃんたちと仲良くしてるから、味付けとか、私好みにしてくれるんだ。
安心だし、清潔だし。お茶をおいしいって思ったのこの世界ではここが初めてなんですよ。今まではお茶すら、気持ち悪かったの。泣けるよね。
でまあ、最近は前よりもね、健康的に太ってきました。ほどほどにね。いい感じね。
娯楽がないから、ストレッチもしてんだぜ。こっそりね。
サノほどじゃないけど、深夜とか、散歩もね。
日中は歩かないねえ。
だから今も、肌は白いです。