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1941年12月7日、日曜日。
11:30。英領マレー・コタバル海岸へ日本軍上陸開始。現地は深夜。
13:00。タイ領パタニへ日本軍上陸開始。
13:18。米領ハワイ、オアフ島。パールハーバー基地へ日本軍機襲来。現地は朝8時すぎ。
13:34。ハワイの現地ラジオ局が、放送中にコメントを出す。
14:05。ワシントンDC駐在のノムラ日本大使、国務省前に現れる。
14:10。ハワイのラジオ局KGMBが通常放送中断。実況開始。
14:12。タイ領シンゴラへ日本軍上陸開始。
14:20。ハル国務長官、ノムラ日本大使よりタイプライター原稿を手渡される。
17:00。仏領インドシナから国境を越え、タイ領内へ日本軍が侵攻。
18:00。英領香港へ日本軍空爆を開始。
20:00。タイ領バンドンへ日本軍上陸。
21:40。タイ領パタニが日本軍に占領される。タイ軍は降伏。
22:00。香港へ英華国境を越え日本軍陸上部隊侵入開始。
23:35。フィリピン・ルソン島の米軍基地へ日本軍空襲開始。
12月8日、月曜日。
12:30。フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト米大統領、議会と国民へ向けて対日宣戦布告演説。
英語ソースが中心ゆえ、ワシントンDC時刻で統一しています。
パールハーバー奇襲により、2000人以上の死者と、1000人以上の負傷者が生まれ、停泊中の戦艦アリゾナを含む多数の艦艇が撃沈されました。
現地ラジオ第一報と共に、アメリカ本土へもニュースは伝わっており、30分後に到着したノムラ大使は車から降りるところを、待ち構えていた記者団に撮影されています。
ハル国務長官に手渡したという文書は14条項からなり、その一部はただちに公表されましたが、宣戦布告ではありません。
「このままでは話し合いで解決することは不可能です」
と締めくくられた、恫喝とすら言えない、怨み節の口述筆記みたいなものです。
アメリカは、日本の殺人行為に対し、断固たる意志をもって宣戦布告しました。
この瞬間をもって、太平洋戦争の、はじまりです。
一方日本の新聞はというと、真珠湾奇襲大成功!と勇ましい筆致で自画自賛に酔い痴れてます。
いつものことですが、メモるほどの内容が含まれません。せめて時刻くらい書け。
感想。
もっとちゃんとやれ。
日本軍はパールハーバー奇襲後、引き揚げていったそうです。
占領しないの?え、何しに来たの?
ただの冷やかしですか。それでも2000人を殺した。問答無用に。
テロですね。世界同時多発テロ。
しかも、エンペラーが承認した、国家事業。
どこまでも、すくいがたい。
パールハーバーと同日中にタイ・マレー・香港も襲撃されています。
タイは中立国のはずですが、味方につけと脅しているのでしょうか。
狙いはその先の英領ビルマ、そしてインドかな。タイ国内を通って行かせろと。
それにしても、タイ軍との戦闘もしてます。
たしかに仏印がタイとの国境で揉めてるところに、仏印側へ進駐していた日本軍がしゃしゃり出るようになったという事件も前から起きていたみたいですが。
政治交渉するという思考回路も持ってないんだ。
暴力を振るうことしか能が無い。
重ね重ね、すくいがたい。
はっきりさせておきましょう。
日本は、少なくとも大正期以降は一度も、まともに戦争をしたことのない国です。
できないんです。
ここに至ってなお、国際法規に準じた戦争の始め方を知らない。
「宣戦布告」を御存知ない。
だらだらと、けじめなく、目的も決めず、どんなプロセスで、何を得たくて、どこがゴールか、ひとつたりと、自分自身で考えたこともなく、うぬぼれ散らしてきただけの、アニマル以下。
とりあえず、ひっぱたいてやりましょう。
それでわかる連中だとも思ってないけどね!