File_1940-05-001D_hmos.
4月に、ドイツも、スカンジナヴィアへ。
バルト三国とフィンランドはソ連にまかせ、デンマークから北上してノルウェーへと攻めこみます。
英仏からの派遣軍と戦端を開くものの、意気揚々たるドイツ軍は、あっさりとこれを撃退する。
独軍、ますます自信をつけ、西方へ転じ、低地諸国を蹂躙。
ベルギー、オランダ、ルクセンブルクが白旗を揚げました。
ストラテジーゲームでは、この辺は全然余裕なんです。
7TPが、Ⅲ号Eに、敵うわけがない。
シュトゥーカの燃料切れだけを気にしつつ、最短日数クリアを目標とするのが常道でした。
我ながらよく覚えてる。やりこんだからな。ドイツ軍で。
ドイツ軍以外でこの時期をプレイするゲームなんて、目にした記憶もありませんけど。
オランダの降伏は、5月15日。
それに先立って、日本に動きがありました。
オランダは、東インド諸島を植民地にしています。蘭印と呼ばれます。
日本政府はオランダ本国が降伏間近いと見るや、蘭印政府へ、今後も引き続き戦略物資の対日輸出を継続することを確約させるという先手を打ったのです。
日本にしては珍しくマトモな戦略してるなと、感心しました。
実は今年の1月、また内閣が交代してたんです。
現在の首相は、米内光政。もと海軍大将。
海軍閥だからか。と、ちょっぴり納得。
陸軍は中国内奥へ深く細く入りこみ、いつまでも終わらせられないし、資源も持ち帰ってきてくれない。
そうしてるうちに、アメリカから対日輸出を止められた。
油をどうする。
鉄をどうする。
「じゃあ自分たちでできるところから、とってこよう」
海軍は、南方へと転出しました。
陸軍中心の内閣では、ここまで考えが回らなかったでしょうね。
海軍は、たしか、ミッドウェイまでは、戦意旺盛なはずです。
日本は終戦ギリギリまで、大勝利を報道し続けていた、と21世紀では言われてましたけれど。
ミッドウェイまでは、普通に、勝利を勝利と書いてたのかな。
真相を知った状態で、リアルタイムにそれを読めるのかしら。
これ、正直ちょっとワクワクドキドキする体験なんですよね。
ただ、日本語新聞て、今でさえ呆れるほど、数字も有意な内容も、記事中に書かないので。
情況説明は漠然と。あとは兵士や上官の談話を、いつまでも。全紙、横並びでソレなので。
検閲される前から、記者が固有名詞を伏字や黒塗りして原稿書く風習も、ずっと以前から。
どうせ載らない情報だから、取材もしない。ものわかりのいい人しか、出世もしない業界。
だから、徹底的に嘘しか書かないようになるといっても、大した変化は無いかもしれない。
それでも、どんな風に内容が変化していくのだろうというのは、興味尽きないところです。
欧州事情に戻ります。次の戦場は、フランスです。
フランスは、ドイツとの国境に沿ってマジノ線という長大な地下要塞をつくっており、ここに兵力を集中させていました。
しかしドイツ軍は、制圧したベルギーから、アルデンヌの森を突っ切って、パリへ突撃する。
WW2のかなり早い段階で、フランスは降伏するんです。
イギリスは、単独で枢軸国と対峙する状況に追いこまれる。
ヴィシーにつくられる傀儡政権は、ドイツへの忠誠を示すため、積極的に対英戦の先鋒をつとめる。
ドーヴァー海峡越しに、かつての友軍基地から続々と敵機がロンドンへ向け、飛んでくる。
でもイギリスは、耐え抜くのです。
レーダーという新兵器を駆使して。
さて、この世界では、どうなるか。