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宮本光一と申します。
日本特殊工業株式会社の社長をやっております。
石原大尉が、コダマ君を連れてきたのは、七月ですな。
この子を預かってもらえんか、と単刀直入でした。
なんでも、本屋で見つけて拾ってきたとか。
抜群に頭が良く、研究心も強いが、家が貧しく、里親からもいじめられ、食事も満足でないという。
見たところ確かに線も細く、色も白く、ちょっと男の子か女の子かわからんような子でした。
ただ石原さんはそういう慈善事業みたいなことをされるようなお人ではなかったので、これはちょっと言葉が悪いですがお稚児さんとして、ええように飼われなはるおつもりなのかな、と邪推したのもちょっとだけありました。
少年は最後に、よろしくお願いします、と言っただけで、私と石原さんが話してる間はまったく無口でした。
ぼーっとしているといえばしている、聴き耳を立てているといえば全部を聞かれているような、なんとも判断のつかない妙な気に時々なったような気もします。
とはいえ、その後のコダマ君を見てますからな。
当時あの日に実際どうだったかは、もう正確には思い出せんですな。
ああ、今ではコダマ君ですが、元の名は、山田、といいます。
ええと、まずはそこからか。
少年は福島の生まれだそうです。それ以外は、本人も語りたがらんので、あまり聞いてません。
七つの頃、家の事情で、東京の親戚の家に預けられました。
これが、父親の前妻との間にできた娘の家で。
そもそも少年の実の母と一緒になるために別れたようなことだったらしくて。
そんなところにやられて、当然いじめられますわな。
三年ほど、生き地獄だったみたいです。
少年は、学校にも行かせてもらえず、家事手伝い力仕事なんでもやらされて。それでもいちいち嫌みを言われてひっぱたかれ。友達もおらず、事情をうすうす知っててそっとかばってくれる、近所の大きめな本屋さんのところで、よく時間をつぶしていた、というわけです。
この本屋に、石原さんも仕事帰りによく行っていて、そこでたまに少年を、見かけた。
あるとき声をかけて、喫茶店に誘い、パンを食べさせながら、いろいろ聞いてみたそうですな。
少年は、今もですが、なんというかなあ、人を恐れてあまり喋らんのです。
まあ東京での三年間で、子供ながらに、すっかり厭世的になってしまったのなら仕方ないかな。と同情するべきところもありますが。
ただ、そういったこと全部含めても、石原さんは見処を感じたのでしょう。
ちゃんとした教育を与えてやれば、この子はきっとモノになると。
それで、喫茶店を出て、その子の家まで送っていったそうです。
家にいた、少年の腹違いの姉、ということになりますが、父親の前妻の娘ですな。は、軍人さんがなんでまた、と、きょとーんとしておったそうですよ。
石原さんは、その人とも話しました。
自分が帰ったあとで少年がいじめられないようにと、しっかり説明したんでしょうな。
少年はじっと正座して時折うなずくだけ。
あとは彼女、お義姉さんですな。がひたすらしゃべって都合のいいことばかり言う。
「ところで」と石原さん。
私はこの子が気に入ったのです、軍にも興味があるようだ、よければもらいうけたいと。
石原さんはいつも単刀直入なんですな。思い立ったが吉日。即断即決。そんなお人ですから。
そのお義姉さん。主人が帰ってきてから相談してみますので、とは言うものの、少年を厄介払いできる絶好の機会が降って湧いてきた、みたいな内心の笑みを隠さなかったそうです。と石原さんが言うてました。
それから一週間くらいで、養子縁組の話がとんとんとまとまり、石原さんはそれなりの金子を用立てて相手方へ納め、少年を連れて、私のところにやってきた。と、こういうわけです。
私の会社は、牛込にありまして、社員寮も完備してたんで、まあ、いいですよと。
最初は寮に住まわせてました。社員のみんなには、私のわけありでな、と軽く申しつけておいて。まあ、優しくしてやってくれと。
持ってきてた荷物は風呂敷一つ分くらいで、ほんとに三年間、着替えすら満足にもらえなかったのだろうなあと思ったりもしました。
しばらく様子見をしておりましたが、なかなか社員の男子諸君と打ち解けるでもなく、食堂でもあまり食わんのですな。掃除とか、気を遣っていろいろやってくれておるので、皆も奉公の小僧さんだくらいな感じで接してくれてたみたいです。
石原さんは、七月から陸大の教官になられました。お忙しいなか、えーと、それでも全部で五、六回くらい来られましたか。コダマ君の様子を見に。
来られるときは大量の本をお土産に持ってきて、ふたりでしばらく語らうのが楽しみなようです。
石原さんが一方的にしゃべってるのだろうとは思いますが、それでもコダマ君は本をちゃんと読んでて、時折、明晰な指摘をするのだそうです。
奉公は奉公でもいいのですが、やはり普通に学校へ行かせては如何だろうか。
そう思い、九月からの編入手続きをとりました。牛込尋常小学校です。
ああ、そういえば、さっき養子縁組といいましたが、あれは先方を納得させる方便で。実際は戸籍のほうは少々複雑で。たぶんですが、石原さん、奥様にはコダマ君の話はしておらんようです。
まあ、あんな感じで即断即決したような流れですから、そりゃ言えんでしょうなあ。
小学校への編入手続きで必要な書類は、石原さんが用立てました。私もちょっと手伝ったのですが、まあ、少々複雑なことをやっておりました。保護者というか、後見人は私です。
ねえ、複雑でしょう。
ところがです。小学校は、半月も続かなかったのですわ。
毎日、悲痛な面持ちで帰ってくるので、もっと早く気づいてあげればよかったんですが、やはり学校でもいじめられてしまうのですな。
男の子ですし、多少の傷は、まあ腕白してきたのだろうと思ってたりしたんですが。
寮でも、学校でも、しゃべらんのですよ、あの子は。
それが同世代の子供達には、えらく勘に障るのでしょうなあ。
授業も、そりゃあの子にとっては退屈きわまりないものでしょう。そこにも気づいてあげられなかったのは悪いと思いました。
せめて友達ができたら、と思ってたのも仇で、コダマに優しくしたらその子までいじめられてしまうでしょうからな。みんなしていじめてたみたいです。まあ、申し訳なかった。ほんとに、すまなかった。
事を荒立てるのも気が進まないし、コダマも、もういいですと言うので、先生に、休学を伝えに言って、今もそのままになっております。
侘びの意味もこめて、コダマ君に、なにか欲しいものはないかなと聞いてみたのですよ。
本社の中を見てみたい、というのですな。
それくらいならお安い御用と、館内を見せてまわりました。
研究部門、開発部門、製造部門、検品倉庫、総務部、営業部、経理部まで。
コダマ君の目は活き活きとしてました。
手を握りしめて興奮を抑えているのがわかるほどです。電気回路関係がとくにお気に入りのようでしたな。
帰り道、ここに住みたい、と言うんですよ。
寮から移るかい?地下室に空き部屋があったはずだから、と冗談のつもりで言ったら、本気にされましてね。
引越は一時間もかからなかったですよ。荷物は石原さんに借りた本しかないから。掃除だけでしたね。それも楽しそうにやってました。
この次、石原さんが来たら、寮が空き部屋になっててさぞや驚くでしょうな。ああ、楽しみだ。