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大分へ、向かいました。
プスモスなら、5時間で着けるのにな。いらだたしい。
石原なら何か知ってるかも、と一瞬思ったんですが。
知ってれば子飼いの協和会へも何らかの情報は入っているはず。
てことは、知らなさそう。
タダでは教えてもくれますまい。
それより憲兵隊の側から攻めましょう。
軍曹の小坂さんよりは、もと憲兵司令官だったケサゴさんの方が上層部の動きにも詳しいはず。
そんな算盤をはじきました。
中島ケサゴ元中将は、地元・八幡村の名士なので、探すまでもありませんでした。
南京でお世話になったコダマですと告げると、すぐに会ってくれました。
つもる話もそこそこに、憲兵隊のことを質問します。
知り合いがパクられたんです。と正直に言いました。
ケサゴさんが憲兵司令官だったのは、2・26後の約一年。
その頃と今とでは、組織も、業務も、方針も、何もかもが一変したそうで。
なおかつ
「自分、そこそこ出世はしたけど、ホラ、とくにエラい人たちに評判よくないから。
退役した身で情報照会をゴリ押しするのも、難しいものがあってね……」
と謝られました。
いえいえ。ご迷惑かかるようなお願いは、いたしませんとも。
それでも、貴重な知見をたっぷりと得ることは、できました。
流れとしては、こうです。
2597年6月、近衛内閣が誕生。
ノリノリウェーイな企画書には次々と許可を出す超ボンクラ首相です。
7月、北京で事変が発生。
二週間で片付けるという陸軍の青写真を信じて即、日本中から師団を派兵。
地図の上だけ見れば、日本は破竹の勢いで中国本土の奥へ奥へと浸透中。
勝ってます勝ってますからと追加支援を求められ、近衛は次々、手形を切る。
12月、日本軍は南京を占領。
列強が中国を見離し、日本へ貸し付けを始めます。
近衛は借金まみれになればなるほど、ウハウハに。
オレタチサイコーって熱狂バブルに酔い痴れます。
しかし日本軍は、攻めこむ先を最初から破壊し焼き尽くすドクトリンしか持ってない上、資源があったとしても、それを採掘し精製加工し産業へつなげていくまでの時間と知識と労力が必要なことを理解していません。
財界人がその費用計算に明け暮れている隙に、陸軍は近衛に、ここまでの手柄を見せつけて、もっと!もっと!とイケイケゴーゴー節を踊りつづけます。
2598年5月。近衛、内閣を改造。
陸軍の目立ちたがり屋を、続々と大臣にしました。
政府一丸となって総力を挙げ、全国民に最低限度の生活必需品以外を望むべからずイデオロギーを喧伝。
民間から鉄など金属類の無償供出まで求めます。
経済の基本をわかってない。金融もか。
国の中心にいる、誰ひとりとして。
末期症状、きわまれり。
さて、ここで、東條さんが登場します。
陸軍大臣・板垣征四郎の、政務次官という補佐役として。
石原がさんざんご迷惑をおかけしました。私は無関係ですけど、ごめんなさい。
ところで、日本の内地における憲兵隊は、陸軍大臣の直隷なんですね。
そりゃ陸軍内の不祥事を調べ摘発するのが仕事だから、監査対象から独立してなくちゃおかしい。
東條さんは満洲で憲兵司令官だったこともありますから、憲兵の扱い方は心得てます。
そこで。
日本へ戻ってきた石原莞爾を、憲兵京都分隊に、徹底的にマークさせた。
そこへ、ハルさんが、足繁く通う。
石原は、アカと、つきあってるぞ。
つかまえた。
……なるほどです。
それから一年近く、帰ってきてないわけか。
情報統制も厳しいですし、訴えも起こせないようです。
石原がどれだけわめきちらそうとも、むしろ、わめきちらしてるだろうけど、マトモな人ほど、相手にはしてくれないわな。
ひとまずここまでの状況は理解した。
いろんな憂鬱を抱えて、中島邸を去る。
予定押しちゃったけど、次は、香港です。