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7月4日。日没後、第二大隊が出発します。
今夜はきわめて危険も大きいため、私は指揮所で記録係のお手伝いです。
日中の戦闘で、歩26より53名の死者が出ました。骨は拾えません。
仮に第一大隊および昨夜の捜索隊が全滅していれば、さらに600名の死を追加せねばなりません。
今夜の捜索隊は、何があっても03時までには帰還するという約束です。
戻ってこなくても、私たちは指揮所を撤収して、東岸へと渡ります。
「政治も正義もわからねえが俺は仲間を守るために戦ってるんだ」
みたいなオタメゴカシはハリウッド映画のおきまり台詞ですけど。
それを正当化できるのであれば。
組織はただ末端をいじめさえすればいい。
下層民は勝手に互いをかばい合い、逃げることを恥じ、地獄を這うことを美徳と喜びながら燃え尽きる。
実際、21世紀では、これを倫理道徳とするのが会社経営の基本ですらある。
愚かなことです。する方もされる方も自分自身の首を絞めてるんだって自覚は持ちましょうよ。
それは、間違いすぎた考え方です。
何を言いたいかというとですね。
私を今、ここから去れなくしてるのは、単に須見さん達をこのまま見放しては帰れないなっていう、どうでもいい情のためだけです。
帰っちゃっていいんですけど、絶対しこりが残るんですよね。
辻とかは、さっさと死ねばいいんですけど、須見さんの隊は救って帰りたい。
区切りをつけてから帰らないと、私の中で永遠にモヤモヤが続くに違いないから。
戦場になんか、来るもんじゃないな。
情が移っちゃうような状況には、今後はできる限り、近寄るまい。
そんなことを今、考えちゃってます。
まだまだ、始まってすらいない、末期戦。ほんと、今のうちから既にこれかよって。
呆れてるんです。
今度のようなグダグダが、数年後には日本全国民に広がり、アジア全土を火の海にして大規模展開していくわけでしょ?
身も心も、もちませんてば。
バカバカしすぎて、つきあってられない。心の底から、懲りました。
ウトウトしてたら、帰還者が。
あとから続々と、戻ってくるようです。よかった、合流できたんだ。
点呼だけとって、どんどん橋の方へ誘導します。
600名のうち、どれほどが生き残っているかは、まだ、全然わかりません。
兵たちは鉄兜でひたすら塹壕を掘りつづけ、地中に潜んで飲まず食わずの二日間を戦い抜いたそうです。
やっと辿りついた指揮所で、ハルハ河から汲んできた水を、いくらでも飲み干します。
いくらかは、涙となって出ちゃいます。もったいない。
こんな人たちに、さあ明日からは東岸で戦ってねなんて、辻は言うけど私には言えませんよ。
せめて、ここで、水くらいは、好きなだけ、飲んでくださいな。
今夜の捜索隊は、重武装して出かけました。
体力衰弱著しい第一大隊の兵を救出する班と、おとり攻撃を仕掛ける班とに分かれましたが、今なお双方から戦死者が出ているらしい。
初日に運びこんだ重機関銃などは解体しても担ぐ余力がなく、埋めてきたとか。
死んだ戦友の形見を何か持ち帰らねばと暗闇で耳をそぎ落としてきたとか。
聞いてもないのに語りたがるこんなおじさんばかりヤメロっつってんだよさっさと水飲んで橋を渡ってけ。
そろそろ東の空が白くなってきた頃、我々も撤収しました。
まだ、こちらへ向かってる兵、いるかもなんですけど、もう待てない。
振り返らずに、渡橋します。
橋はすでに爆薬を仕掛け終え、工兵連隊長の合図を待つばかりでした。
解体にも時間がかかるので、やむを得ずと。
この資材を失ったら、当分の間、渡河作戦は立案できなくなる、切腹ものだと言ってます。
それ、考え方が間違いすぎてますから。
80m超の橋を爆破したにしては、ショボい音でしたが、振り返りません。確認は、工兵連隊長がしてください。
私は、須見大佐と、トラックに乗ります。
ここで、須見さんから、お別れを言われました。
「コダマくん、ありがとう。君がいてくれたことで、どれだけ自分たちは勇気づけられたかわからない。私が辻を殴らなかったのも、君が傍にいてくれたからこそだ。だが、もう、帰るべき潮時だ。我々はこれから、東岸で敵戦車の前面に出させられるだろう。わかってる。23師団の盾にさせられるのさ。撤退命令に抗してるから、理由もじゅうぶんにある。だから、君はもう、とどまるな。今までありがとう。僕たちのぶんまで、生きてくれ」
もったいないのに。水分も塩分も。涙が止まってくれないんですよ。ちくしょう。
わずかな時間、できるかぎり、同乗の皆さんからの、郷里への遺言を、預かりました。
出発時1500名いた連隊の、ほんのひとにぎりにも満たない数名ぶんではありますけど、これ以上の伝言は覚えきれませんし持ちきれませんし兵たちに里心つけちゃうのもよろしくないので、挨拶もそこそこに、民間人コダマはいつのまにか姿を消します。
フイ高地にあった司令部は電信設備もろとも吹っ飛んだので、ハイラルへの連絡便が頼りです。それに乗せてもらって、戦場を去りました。
涙はすっかり乾きました。なんで今ころ。