File_1939-07-005D_hmos.
日本軍機は、朝から飛んでたんです。
やっとの晴天。視界良好。敵飛行機は、いない前提。
フイ高地から東向きには無線が使えてるので、払暁進撃とともに、本部へ空爆支援を要請してたのでしょう。
それは、ある程度の戦果を出してたはずだと思います。
だから、14時頃、いきなり空から機銃掃射されたときは、一瞬わけがわかりませんでした。
馬一頭、ガソリン一缶被弾。その他跳弾と破片で、兵数名負傷。
下手糞め。
おかげで、たすかりました。
外蒙タムスク空軍基地大襲撃は、6月27日と聞いてます。
今日は、7月3日。
一週間で、復旧したか。
それまでに遠足は終わってるつもりだったのにね。
無計画無責任のツケが、もう回ってきちゃったよ。
午前中にくらべると、渡河点へ向けての砲撃は、格段に減ってます。
でも音は減ってない。
おそらく、西岸に入りこんだ日本兵をつぶす方に集中してるのでしょう。
南の地平線にも光跡が見えます。ハルハ河上流、川又より南側へはもっと大きな敵陣地が作られてますが、そちらの砲も西岸の日本兵へ向けて撃ち始めてるのかな。
20kmくらいあったはず。
よく飛ぶなあ。
もちろん日本の砲では、その4分の1も届きません。
私ですら、見くびりすぎてました。
すでに、ソ連は、ここまでの火力を、こんな辺境にすら準備してた。
調子こいた小猿が一人2本の即席火焔壜持って遠足に来たくらいでは、内地サイズのクソバエほどの脅威ですらありませんよ。
蝿といえば。
朝の砲撃でやられた死体がまだいくつか放置されてるんですけど。
すでにびっしり、蛆が這ってます。
口とか目とかがとくにヤバい。
こうなると衛生兵でも、回収しようとしません。
私だって、近寄るのも、見るのさえ、御免です。
サノなんか、もし来てたら、またひきこもりになっちゃう。
16時頃。日没が21時だからまだ全然昼間なんですけど。
西岸へ様子を見に行っていた須見大佐が、戻ってきました。
23師の主力連隊は、すでに撤退を試みているらしい。
あの。そもそもさらに進撃する選択肢はゼロでしょ?
でもあっちには、辻がいるのか。
まだまだいけるとか、言い出しそうだな。言ってるな。
それはそれとして。
須見大佐の歩26は、23師の直接指揮下にありません。
あくまでお手伝いです。
関東軍からの命令には従うべきですが、渡河点へ誰一人見に来ようともしない、こんな状況では、須見大佐が毅然と命令を出すべきです。
撤退しましょう。
でも、ここで問題が。
午前中渡河した第一大隊は、当初の作戦に基づき、コマツ台へ側面から回りこんで背後から攻撃する指令を受けてました。
かれらはまだ最前線で戦っており、連絡がつかない。
その、安達少佐以下、530名の兵と80台のトラックを、救出しなくてはならない。
至極もっともです。さて、どうしましょう。
夜を待つしか、ありませんかね。
……少し、休息をとりませんか。
何かいい知恵でも、うかぶかもしれない。