File_1939-07-004D_hmos.
09時。責任者たちが現れました。
兵たちが意気盛んに橋を渡り、西岸で猛撃を加え続けているという報告を聞いて、小松原師団長とその取り巻きどもは、たいへんにゴキゲンです。
コマツ台と名付けられた敵陣地へ、第一線が辿り着いたらしい。
敵は、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていると。
ならばすぐにでも旗を立てようと、師団長を乗せた黒いビュイックは橋を渡っていきました。
兵たちは敬礼して見送り、続いて我も我もと先を争って対岸へ駆けていきます。
こんなカルト教徒どもの集団が襲いかかってきたら、さすがのソ連兵でも逃げ出すのか。と納得はしてしまう。
それにしては、砲撃のペースは落ちてない。
むしろ頻度が上がっているようにさえ思う。
これは、冷静に、見極めるべきところですね。
着弾してからでは遅いのです。
空から目を離さず、最大限の五感を研ぎすませ、方位角と弾数、それから射撃間隔を、頭の中のスプレッドシートへ、入力していきます。
南の方からも、砲声と、煙が見えます。
安岡戦車隊が交戦しているのでしょう。
おかげで、フイ高地から渡河点までの範囲への砲撃はありません。西岸に警戒を集中できます。
集計してたら、どこからともなく、偉そうな人がやってきました。
星一つ。少将か。
ここの専任将校は誰か、と怒鳴ってます。
須見大佐が、おそらく自分でしょう、と名乗り出ます。
「小松原師団長は西岸で司令部設営中であります!小林少将はじめ歩兵連隊長、砲兵連隊長もすでに西岸へ渡り、交戦中であります!」
「貴官の隊はこれだけか!」
「第一大隊は八割が渡河完了しております!第二、第三大隊を後方3km地点で待機させております!」
「諒解した!ひとまずここの交通整理をせよ!まるで縁日だ!てんでばらばらで、見苦しい!」
「全力を尽くしますが!第23師団の兵は!私の指示を聞いてくれませんよ!」
東京から派遣されてきた、参謀本部作戦部長だったそうです。
フイ高地の司令部にまだ参謀たちがいるので、そちらへと向かっていきました。
また関東軍が勝手にコトをおっぱじめたと聞いて、飛んできたらしい。ごくろうさまでございます。
早く止めさせてください。せつに願います。
朝から何度も、伝令が河西から逆走してきて、フイ高地の司令部へ駆けていきます。
無線がまったく機能してないらしい。
それとも、砲音のせいで通話できないのか。東岸ですら、至近距離でも大声で話さないと伝わらない状況で、耳鳴りがひどいんですけど。
敵砲兵の無力化には、まだまだ、遠い実感。
丘の向こうはいったいどうなってるんだ。
負傷兵の後方搬送も徐々に増えてきています。応急手当を買って出て、その間に情報を聞き出します。
黒塗りビュイック、すでに吹っ飛ばされたみたいですよ。狙い撃ちらしい。
目立つからな。
残念ながら、師団長は御無事のようです。
丘のすぐ先に観測所を設けてるらしいんですが、そこへ隠れて、指揮を立て直してるらしい。
撤退しろよ。
負傷兵たちから話を聞くうち、どうやら実態がつかめてきました。
おかしいと思ったんですよ。渡河点からコマツ台まで、直線でも15kmある。
戦いながら、2時間ちょいで占領なんて、やはり、ありえなかった。
案の定、今度も全然まちがえてて。
コマツ台よりはるか手前の陣地を占領し、浮かれたところに、猛爆くらって、死体の山。
広い平原。身を隠す場所もない。
なくもないけど、隠れられそうな場所には砲弾が集中する。
鉄兜で穴を掘り、身を潜める。
不眠不休の兵たちは、この強烈な日射しの中、戦車と装甲車に追い回されてる。
07時頃には、「一撃必殺火焔壜攻撃」が発明されたそうです。
火焔壜自体は、5月にドンパチやったとき、敵戦車へきわめて有効と認められたそうなんですが。
ていうか5月にも戦車と戦ってたんかい。
そのときはマッチで火をつけてから、ぶつけてたそうなんですね。
今日は、着火させず、ガソリン詰めただけの壜をぶつけさえすれば、戦車が瞬時に燃え上がるぞというのが、新発明だということです。
車体がそれだけ熱せられてるということなんでしょうか。
敵乗員がハッチから、火だるまになって出てくるところを、小銃で狙い撃つ。
このコンビネーションが最高!
なんだそうです。
もちろん、失敗して履帯に轢きつぶされる兵もいますが、そのとき火炎壜を踏ませられれば、やはり炎上する、と。
燃え続ける戦車は時々、弾薬や燃料に引火させて大爆発を起こすそうです。
これが皇軍兵士のアドレナリンをも燃えに燃え上がらせ、我も我もとバーサーカーに変えていくのだ。
というフローチャート。
狂ってるぞきみたち。
いいかげんにしなさいよ。
ああもう本気で帰らなきゃと思ってたところに。
敵飛行機が現れ、
銃撃してきました。
制空権が、破られた?