File_1939-07-003D_hmos.
7月3日。晴天。
04時頃、砲音で目覚めました。
フイ高地の師団司令部から、ハルハ河へ向かって歩きます。自分なりの、完全武装をした上で。
途中、歩26の自動車部隊が固まって、待機してました。
計画では、すでに橋を渡り、敵陣地の背後へ回り込んで戦っているはずではなかったですか?
ここで、アクシデントを知ります。
アクシデントが起きないわけないとは思ってたんですが、一つ二つじゃないどころか、その破綻ぶりに驚きました。
2日、20時。
まだ雷雨烈しく、空が鈍く白んでいるうちに、工兵隊が架橋資材を積んで、ハルハ河へ向け出発。
河岸へ着き、架橋開始。
闇夜が訪れてくれてますが、無灯火で作業します。
しばらくして、河なのに流れてないことに気付く。
そこは湖でした。
止み始めてる雨の中、鉄舟をトラックに積み直す。
敵の攻撃を避けるため、トラックは岸より500m手前へ停車させてます。上げ下ろしだけで相当の時間と体力を消耗します。
やっと本物のハルハ河へ到着したのは03時頃。
歩兵と自動車部隊は渡河点でずっと待機しており、やっと現れた工兵隊の作業を静粛に静粛に、手伝います。
河幅は50mと出発前に聞いていたので、資材もその分しか準備してきてません。
対岸までの距離を測り直し、それをもとに再計算。
結果、橋の横幅は軍用トラック一輛をやっと通せるギリギリ。
強度も不足するわけで。車輌は全装備を下ろして通過し、対岸で積み直すことを余儀なくされます。
攻撃開始までにある程度の装甲車、戦車を西岸へ渡しておくことが前提だった作戦はとっくに崩壊していますが、これを現場でずっと指揮していた辻政信が、案ずるに足らぬと止めさせません。
そして夜明けを迎え、舟で渡った先発隊数百名が西岸にいるだけの状態で、敵に発見され、砲撃が始まりました。
歩26の自動車部隊は、密集していては標的になるからと、3大隊のうち2個を3km後方へ下がらせ、第一大隊のみが、現地で応戦中ということです。
何をやってるんだまったく。
渡河点まで走ります。
兵と車と馬と野砲でごった返してました。
敵の砲も、なかなか当たらないようです。
観測手が立てそうな場所もないから、大雑把に撃ちまくっているのでしょう。
しかし射程の長さと破壊力はある。
すでにお亡くなりになられている兵もそちこち。全身を虫にたかられてます。うわあ。
河の向こうは、緑地に続き急峻な坂道。そして地平線。
架橋と並行して、舟で渡っていく歩兵が駆け上っていきます。
すでに西岸の丘を越えてすぐの陣地は確保したとか。勝ってるのか。
いやこれ勝ってない。どう考えても無謀の極み。
このまま押し切る気なのはわかるがそれは果たして正しいのか。
正しいわけないんだけど、すでに止めようのない段階です。
辻はどこだあのバカ。あっち岸で旗でも振ってやがんのか。
私も及ばずながら、お手伝い。
資材をバケツリレーの要領で手渡したり、ナットで締め付ける間押さえてたり。
近くに着弾しないことを祈りながら。
0640。橋が完成。
兵は一列になって渡ります。皆、一秒でも早く対岸へ渡りたいらしい。なんでだよ。わけがわかんねえ。
歩26の須見連隊長は、トラックから砲や機関銃を下ろさせてます。どこかで割り込んで向こう岸へ渡りたいのですが、主力である23師の兵隊たちに先を譲ってくれと言える雰囲気でもありません。
仕切るべき将校がいません。師団司令部で寝てやがるのでは。
唯一いるはずの辻は、おそらく向こう岸です。ああもう。グダグダ。
対岸から走ってくる伝令がいます。無線電信、設置してないのかよ。
叫んでます。
向こうには、戦車がいるらしい。
砲兵を優先させろ、歩兵は火焔壜を準備しろ、と言ってます。
おいおい、肉弾戦かよ。
そのおかげで、ちょっとずつ、歩26の自動車が橋を渡らせてもらえる隙間ができました。
車が一輛、通る間は、橋に他のものは乗れません。
それほど、強度がヤワいのです。
落とされたら、あるいは、落ちちゃったら、どうするんだろう。
流れは、速い。北海道出身の漁師さんでも、泳いで渡りきるのはゆるくないぞと言ってます。
私は確実に溺死しますね。
なので、対岸へは絶対に、渡りません。
ああもうどこだよ責任者、出てこい!