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6月28日。ハイラルの第23師団司令部で打合せ。事務員を一人置かせてもらう。
6月29日。将軍廟へ。歩兵第26連隊・根上さんとの連絡体制を整える。
辻と、その他参謀連が、新京より到着。小雨の中、ハルハ河畔まで向かいます。
すでに帰りたいコダマです。
八甲田山の二の舞になりますよ、この遠足。
今から37年前の真冬、青森県の連隊で、雪山へ行軍演習に出かけた200名の中隊が全滅してるんですが。
同じことが、これから15000名規模で起きます。
交戦しなくても、野垂れ死に。あまりにも無謀。
主力である5個大隊の皆さん、六日前にフル装備で250kmの行軍へ旅立ちました。
これから私たち合流しますけど、中継点で休憩させる時間なんて設けないそうです。
むしろ雨続きで道が非常にぬかるんでて予定より遅れているため、ギリギリ到着できるかどうかだって。
さらにハイラルで23師の装備一覧を知って、むせました。
三八式とか四一式とか、明治時代の野砲山砲押しつけられて、それを馬に牽かせてるんです。
馬賊相手にゃこれで十分というつもりなんでしょうか。私たちこれからソ連の戦車と戦うはずでは?
馬たちも今、現地へ向けて過酷な行軍の真っ最中。
師団長は小松原さんといって、人は好さそうですが、それだけなタイプ。指揮官経験値はルーキー。
そして鈴木という情報参謀がコイツをヨイショするだけのお調子者。グダグダです。
意外だったのは、辻に対する高評価。
23師は関東軍指揮下ではないので、本来その作戦になど口出しできない関係なのですが。
上司である関東軍参謀副長の矢野少将までが、階級も年齢もずっと下の辻少佐に大きな信頼を寄せているのがわかる。
なんでかなと思ったら、どうやら満洲歴は辻が一番長いのと、なにかとしゃしゃり出て手伝い、恩を売ってることで、獲ち得たイニシアチブみたいです。
ええ?辻くらいの仕事なら誰だってできるだろ他の連中はこんなこともしないのか。東京レアメタルでは雇わないよこんなレベルじゃって呆れるところもあるんですけどブツブツ。
まあ他人様の企業体質に口出しするものじゃありませんし。
だからこそ辻の紹介もあって私が今こんなポジションにいられる意味ではありがたいとも思うし。
結局のところ商売相手すなわちカモの、それぞれのキャラクターが掴みやすいのは、いいことですね、と。
お馬さんはかわいそうだと思うんだけれども。
歩兵第26連隊の根上さんは、そんな中でもきわめて話のわかる、いい方でした。
連隊長の須見大佐も直前まで一緒にいらっしゃいましたが、歩26は自動車部隊なので機関銃など積んだ約200台の装甲車およびトラックで我々と一緒にハルハ河へと向かいます。
構成としては、7師から23師へ貸出された応援部隊です。7師の本拠はチチハルなんですが、23師よりはずっといい装備をもらってるらしい。力強い機動力です。
事前に地図を見ました。
満洲国ができてから七年間。地道な測量のおかげで南京よりは詳細です。航空写真をもとに図案化してます。
縮尺は10万分の1。
方眼で区切られてますが、一辺が4kmですか。それでも目印になるものは、まばら。
ハルハ河東側の荒野は概ね標高500から700m。
733バルシャガル高地とか742ノロ高地とか、書き込みされてますが、相互の高低差は極めて小さいので、おそらくだだっ広い平原ということになります。
外蒙領なので地図上には書き込まれてないんですが、ハルハ河は西岸の方が標高が大きいとのこと。
つまり、西から東は丸見え。
これはきわめて要注意案件ですね。
夜のうちに渡河して、西岸コマツ台までを占領するという計画なんですが、より迅速さが求められます。
明るくなってからでは、直接攻撃の的になります。
明るくなってからといえば、これも重要。
日没は21時、夜明けは04時。
北緯50度ですからね。内陸性気候のため炎天下では摂氏40度近くに達することもあるとか。
これは、ますます、早期完了&すみやかな撤収が必須ですね。
アクシデントが発生したら、即時離脱。
これを全軍に、徹底させなくては。
でもそれって、日本人が最も不得手とする要領なんだよなあ。
私はいち軍属であって軍人じゃないので、指揮系統には含まれませんから、いの一番に逃げますけどね。
それでも早く帰りたい。今すぐにでも。