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17号で小林とくっちゃべってたら、辻が来ました。
お仕事の話みたいなので、席を外そうと思ったら、いろいろ物入りだと。
近々大きな軍事作戦を予定しているらしい。
儲け話なら、乗りますぜ。
昨年あたりから、満ソ国境いたるところで銃声が絶えないのですが。
目下、緊張が高まっているのは北方、ハイラル一帯。
満洲国、ソ連、そして外蒙古の国境が重なってる地域です。
5月に国境で満洲国軍と外蒙古軍の騎馬隊同士が交戦し始める。
満洲国軍には日本軍という黒幕がついてて、外蒙古軍にもソ連という屈強な親分さんが控えていらっしゃる。
すでに双方、爆撃機や戦車まで繰り出す本格的抗争へと発展しているところ。
辻の言う「物事の是非も知らぬ毛深い赤匪ども」は6月19日、満洲国内の町、カンジャル廟へ爆撃機隊を飛来させ、関東軍の倉庫を攻撃して、ガソリン缶500個を炎上させるなど、大被害をもたらした。
ゆるせぬ。
ここで一撃、目に物見せて思い知らせてやらねばならぬ。
だそうな。
ハイラルには熊本から第23師団が移駐しており、これにチチハルの第7師団、公主嶺の戦車団、ハルビンの第12飛行団などを協力させて、国境であるハルハ河一帯のソ連陣地を一週間ほどで掃蕩してくる予定だとのこと。
にぎやかな遠足になりそうですね。
当地では深刻な水不足を心配せねばならない。
水源はハルハ河と、それに合流するホルステン河。
大小さまざまな湖が砂漠の中に点在しますが、鹹水湖が多く淡水湖はごく僅か。
なので防疫部へは給水態勢を要請。
私はサイダーなど飲料水の大量発注を承りました。
「砂漠で水だけでは死にますよ。塩分が失われていくので。日中は暑くなりますが夜もかなり冷えますから夏でも防寒対策を忘れずに」
小林の指導を辻は感心して書き留めます。
私の方で準備できるものは揃えましょう。ハイラルでは現地調達も無理でしょうからね。
第一、目的地には人が住んでないらしい。
徴発に頼る日本軍のドクトリンは通用しません。
みたいな話を詳細に詰めていくと、辻が深刻な顔をし始めまして。
ここまで大規模なピクニックの幹事をしたことはなかったらしい。
あれも足りないこれも足りない、それを運ぶ車も足りない。
だめな男だな、つくづく。
見るに見かねて、私がついてってやることにしました。
きっちり経費は請求しますけど、ハイラルの師団司令部か特務に一人、社員を置いて中継させ、私が現地から足りないものを連絡するので都度納入させ、輸送は軍の輜重隊に任せる。
出発は十日後です。
それまでに現地の詳細な地図もください、とお願いして、帰りました。
ハルハ河。
全長200kmあまり。南から北へ向かい、ボイル湖という淡水湖が終着点。
その先には、何度か行ったことのある、満洲里駅。
ソ連との国境で、満洲国の最果てです。あの辺か。
鉄道駅では、ハロン・アルシャンが最も近いのかな。そこから、満洲国領ハルハ廟までが、直線距離でざっと200km。
ここを歩き回るわけか。
まさかね。自動車でしょう。
でも歩兵は歩くよな。歩かされるよな。
砂漠かあ。
くれぐれも、はぐれないようにね。
第23師団。新設だ。
私が石原莞爾に拾われた頃、陸軍は近衛師団と18個の師団を保有していました。
七・七事変からの大陸出征以降、深刻な兵員不足に陥って。
金沢・仙台・熊本などで師団が新たに編成され、装備だけ持って外地で訓練しつつ警備をしている。
どうやらそのひとつです。
多分に、新米どもの戦闘実地訓練を兼ねたイベントということでしょう。
あとは、ソ連がいかほどの戦力を展開しているのか。
これが不安材料の最たるものですが、辻の話では、シベリア鉄道ではボルジャというのが最寄り駅。
ハルハまで750kmあるそうです。遠いからソ連部隊の応援は間に合わないと。
外蒙領内にタムスクという空軍基地があるそうですが、こちらは事前に叩くと言ってました。
そうですか。くれぐれもよろしくね。