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石原莞爾、帰国するそうです。
8月17日付で既に退役願いを植田司令官へ出しているとのこと。
え、退役?陸軍やめちゃう?
そりゃめでたい。とっとと追い出しましょう。
あとはカスミを食ってどこへなりと。二度と戻ってくるんじゃありませんよ。
って言えばいいのに。
なにをグズグズ。
東條さんは、何を言われても、耐えに耐え忍びに忍ぶ、それはそれでどうかと思う辛抱強い参謀長でしたが、後任の磯谷さんは石原に容赦なくダメ出しをするので、石原も嫌気がさしたんだそうです。
元凶は自分のくせに。
問題は、内地に引き取り手がないんだって。
いやだから陸軍自体から放逐しなさいよ。本人もそれを望んでるんじゃないの。
単純な話をどうしてまっすぐ通せないかな日本人って。ほんと理解できません。
今年は中国戦線および対ソ戦の問題が山積みで、夏の恒例人事異動はありません。
ただ、不定期な配置換えは随時くるだろう、とのことでした。
ちなみに到一さんは、先月までは河北省の石家荘にいました。最前線ではないので、ちょっとだけ安心ですが、警備地域でだって安全とはいえませんからね。
くれぐれも、お大事に。
17号の話でもしましょうか。
これまで何度か話題にしてた、東郷部隊の新拠点の、通称です。
まだ完成にはほど遠いですけど、一部操業しています。
とにかく、広い。
駅の前には、ブラフとしてつくられた商店街。そこを抜けると憲兵分隊と警察署にお出迎えされます。
その先に、建設中の航空基地。
管制塔や官舎が立ち並ぶ先に、立派な滑走路一本。
関東軍専用で、一般の人はここへすら来れません。
17号基地は、さらにもっと、その先につくられています。
もはや、完全に町。
背陰河も広かったですが、更に桁違い。
専用の鉄道まで引いてますし、先ほどの航空基地とはまた別に専用の飛行場まで持ってます。
本物の航空基地で目くらましかよ。
数千人を収容できる職員用官舎に加えて小学校や神社まで。
職員はここから一切出ずに生活できるよう、あらゆる設備を整えてます。
敷地中央には、三階建ての研究棟と、男女別被験者棟。
廊下側だけに鍵のついた小部屋がいっぱい。
すべてにトイレも付いています。全室ワンルームの監獄です。
中央棟の屋上には、夜間逃亡監視用にサーチライトまで付ける予定。アルカトラズか。行ったことないけど。
その一帯に存在していた50ほどの村を、つぶして建設したそうです。
住人は強制的に、建設作業に従事させられています。
おそらく、このまま永遠に、外界へは出られません。
まともな神経持ってたら、耐えられない光景ですけど、こんなことは、過去にも何度かありました。
私は悩むことをやめたので、黙々と、ケータリングを運びに通ってます。
実際、儲かってるので、やめられません。
ただし。
私は生き延びて、今見ているこの光景を、後世に伝えます。
伝え終えてから、悪党として裁かれます。
赦されようなどとは、思っちゃいません。
すべてを、ありのままに。
しっかり、見ておきます。
それまでは、死なないように、しなくちゃね。