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7月13日。亡命してから、ちょうど一ヶ月。
東京の、山王ホテルで、リュシコフ氏の公式記者会見。
石原がバラしちゃったもんだから。何らかの発表は、必要だったんでしょう。
ゲンリヒ・サモノロビッチ・リュシコフ。
新聞記事によると、ソ連内務人民委員部の極東担当長官。
これが正確かどうかを、確かめる手段が私にはありません。
正確でなければ、むしろソ連を油断させる材料になる。そんな可能性も考えます。発表そのものが大きなリスクなので、はたしてどこまでの先読みができているか。
なんて、考えるだけ虚しいか。
ソ連ノ非人道的ナ扱イニ抗シテ国ヲ捨テマシタ。日本ハスバラシイ、良イ国。コレカラモヨロシク。
反ソキャンペーンに使おうとしてるんでしょうけど。あくまで、内地の日本人に向けて。
日本の印象とか、至極つまらない話しか書いてない新聞は心底どうでもよくて。
それより面白いのはさっき辻くんから聞いたばかりの、石原の武勇伝。
7月15日。国境でソ連軍が砲撃を始めたってさ。
現地の関東軍と朝鮮軍は、すわ開戦か、ソ連との戦争かと、大慌てしたんだそうですが。
たまたま司令部にいた石原参謀副長が、国境守備隊に指示を出した。
たちまちソ連軍は静かになったそうです。
私が地図を広げて黙っていると、辻くんが解説を始めてくれました。
私は何も言ってませんよ。
相手が喋りたくなるような雰囲気をつくっただけです。
チョロい相手だよ。
簡単に言うと。石原は国境に沿って広く守らせるのではなく、一千人程度しかない国境守備隊の全兵力に、対岸のウラジオストック一点突破の陣形を構えさせた。
これを見てソ連は恐れをなしたと、辻は目を輝かせて石原を讃美するのですが。
それもまた、浅い読みだな。
陸大では何を教えてるんだ。
ソ連は、日本軍の動きをよく見ていて、これに即、対応した。
という事実にまずは気付こうよ。
ソ連が本気で攻める気だったら、すでに渡河を完了してる歩兵が、砲撃やんだ直後に飛び出してるよ。
それがなかった時点で、今回の砲撃は、ただの威嚇だ。
リュシコフ騒ぎでメンツを傷つけられたソ連が、がおーっと吠えてみせただけだよ。
日本軍はキョドってることだけでも恥ずかしいよ。
対ソ戦で警戒すべきは戦車と爆撃機の保有数なんだけど、現場である豆満江一帯は、砂州が広がり湿度が高くて、視界が悪い。
ソ連の強みを活かしにくいこの地点から、わざわざ仕掛けてくるとは考えにくい。
今回は、やはり、ただのパフォーマンスだと思うけどね。
なんてね。思いましたけど、言ってませんから。
辻くんには、ありがとう、君の言う通りだねって感心したフリをして見せました。
今後とも情報もらいたい相手ですから。仲良くしてます。
ところで、東條さんの後任参謀長も、そろそろ着任して一ヶ月くらいになるそうです。
磯谷さん。
2・26の現場では、軍務局長だったんですって。
だから戒厳司令部で、石原の指揮ぶりを見ていた。
作戦参謀としての実力は認める。
しかしどうにも性格がよろしくない。
勝手に決めるが、説明をしない。どういうことかと質問すると、そんなこともわからないのかと馬鹿にするけれど、結局説明はしない。だから反感を持たれる。
アカとつきあってる。
よからぬ友人にいつも囲まれている。
満洲へ飛ばされて、ますますひどくなっちまった。
と、言ってるそうです。
まあ、今の石原は、どんな人とも仲良くなんてしないでしょうからね。
私の会社内だったら、ペナルティ課して締め上げてますよ。とっくに。
なぜ、軍隊だとそれができないんだ。
非効率甚だしい組織だな、まったく。