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春めいてきました。黄砂で、頭が痛いです。
東郷部隊新施設の工事が本格的になってきました。
資材搬入のために線路引いて、貨物駅までつくって。
人夫さんも増えました。苦力は全員、住み込みです。日本人も多くなり、ケータリングも、受注増。
もう少し手を抜いてもいいと思うんですけどね。でも、秘密基地だしな。
PTSDも気付いたら忘れてたくらい、忙しい日々を過ごしています。
それでも完成まであと一年かかるって。どんだけ広いねんな。
南崗はすでに手狭。背陰河の中馬城が再稼働してます。
防疫部大忙しで、日特も本社を品川へ移して増産に増産を重ねているとか。
ゆとらせろよちくしょう。
私が上海から連絡入れたせいだけでもなく、外地での日本軍の作戦が広域化、長期化するに及んで、疫病への対策はもちろん、水質調査、水源確保といった問題がクローズアップされている。
東郷軍医大佐がその重要性をガンガンと中央へ進言し予算と人材を分捕ってなおかつ実績もつくるものだから、関東軍防疫部は三宅坂の参本よりも重要な戦略拠点だと、認識されているみたいですよ。
中の人たちは、自分たちがいま世界で最先端の軍医学研究機関に所属していることを鼓舞され、大いなる自信をつけています。
金払いの良さにもそれは表れていて、まあ、いいことですよね。実に、いい。
南京でもたっぷり味わいましたけど、中国大陸って、清水の流れてる川ってのが非常に珍しいんです。
揚子江は濁流だし、黄河は文字通り黄色いです。土砂が混じりすぎる。
それでも、飲料水も洗濯も入浴も全部それを使う。
クリークの水をそのまま飲むのも、日本人が驚くことのひとつです。飲めない奴は日本人だ殺せ、という識別符にもなる。
でも中国の人だって、飲むなら安全な水の方がいいに決まってる。
脱線しましたが、日本は最近になってようやく、こんな水事情についても考えるようになりました。
侵略戦争のため、というきっかけではありますけど、日本が技術の粋を集めてこの問題に取り組んでいることは、私、応援したいんですよ。
水質調査と、浄水化。
目下、チャイナ各地から、病原体が含まれている可能性のある水や植物、虫や死体の一部など、いろんなものがここへ運びこまれ、研究されています。
私はいよいよとなったら、この資料だけは持ち出して、チャイナの人に手渡したい。
私の、ささやかな夢のひとつです。脱線おわり。
辻政信の話を、今日は、したいと思ってたんでした。
聞いたことある名前だけど誰だっけ、と考えたら、協和会がらみでハルさんから聞いた秀才バカでした。会っちゃったよ。関東軍の参謀です。階級は、この春より、少佐。
話をしてみると、そこまで悪い奴でもなかったですが。
彼が関東軍に配属されたとき、満洲事変当時の作戦資料は全部、鍵付きの倉庫にしまい込まれてたんですね。
事変の翌夏、関東軍幕僚は総入れ替え。新任は、内地から来た人ばかりでした。
石原たちにコケにされまくってた参謀エリートたちにとっては、恨み辛みの記録です。
よく焼き棄てられなかったものだと思います。
これを、辻だけが、後世に残さねばと、ひもといてくれた。ありがとう。
そして石原へ心酔した挙句、満洲国を良い国にするため一生を捧ぐと誓う。うん、気持はありがとう。
しかし、どうも、その情熱には、何というか、童貞の一途さみたいな、痛々しい香りがプンプン漂ってるんだよねえ。
ほんとに童貞かもしれない。しりたくないけど。
そんな辻くんなんだけど、目下の悩みは、最愛の師・石原が、どうにもこうにも気まぐれすぎて、共通の上司である東條英機中将との関係がこじれまくってること。
なんとかしたいそうです。そうか、純真な悩みだね。
石原から私のことは聞いていて、あのコダマさんですか!って興奮されちゃったよ。
そういうの、うぜえから、やめてくれ。