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いまはむかし。
浦島は、亀を助けず、殺させました。
それがいけなかったのでしょうか。
竜宮城も、玉手箱も、すっ飛ばして、別世界へ、来てしまいました。
これが罰なのでしょうか。生命をもてあそんだばかりに。
そんな冗談が言えるくらいには、まだ、正常かしら。そうでありたい。
南京では、新聞にも、ラジオにも、まともに触れられませんでした。
ハルビンでは、私のいない間の新聞と雑誌、すべて保管させておいたんですが、今も、まともに読めません。
ひどすぎて。
英米が、日本を応援してる。
夢でしょこれ。ありえない。筋が通らない。何のまちがいだ。
南京大虐殺は、起きてない。
起きてないどころか、日本軍は解放者として感謝されてる。
重慶の国民政府も、南京が奪われたことは認めてるけど、虐殺の被害は訴えてない。
日本語媒体だけじゃないんですよ。だから恐ろしいんです。
私は、また転生したのか?いつの間に?
ここは何てディストピアだ?
康徳5年3月11日。金曜日。
満洲へ戻って、二週間経ちますが、いまだに、足が地についてない気分です。
ハルビンの医科大病院で検査も受けましたが、とくに異常は見られず。
21世紀なら絶対PTSD認定だと思うんですけどねえ。
これでも、少し、考えが整理ついてきたんです。
日本は、中国と係争中です。
ドイツは、どちらとも軍事同盟を結んでいるため、中立です。
英米は、国民政府に対し安全保障の義務はなく、むしろドイツとの緊張を高めたくないために、中立を宣言しています。
空前絶後の国難を迎えた国民政府に、唯一手を差し延べる大国があります。
ソ連です。
実のところ、私たちがまだ攻城戦をしてた段階で、ソ連の空軍がやってきたらどうしよう、という心配はしてたんです。
航続距離の問題もあるし、実現性は薄かったんですが、一説には保有機数一千とも言われるソ連航空隊が本格参戦したら、日本陸海軍なんて反日で全滅しますよ。
スターリンだって、今が蒋に恩を売る絶好の機会であることはわかっていたはずです。
その真の狙いが、たとえ、日本をダシにした全中国の乗っ取りにあったとしても。
可能であれば、やったはず。
ソ連から、銃の提供は、迅速に行われたようです。
南京までは届かなかったようですが、おそらく今、重慶や杭州、華北などではチェコ製小銃からモシン・ナガンへの交代が急ピッチで進んでいるはず。
ソ連の浸透は、英米独を硬化させました。
反共。
列強に、日本擁護の考えが生まれた理由はこれです。
直接、国民政府へ味方しても、コストの面でソ連製には勝てない。
国府軍には、高度な武器を使いこなして戦う力も無い。
だったらむしろ、日本へ経済援助さえしてやって、国民政府を共産もろとも倒させよう。
そのあとで日本だけを倒す方が、問題は簡単になる。
ソ連だっておそらく出世払いだろうから、今のうちにどんどん中国へ貢がせておけ。
これで、どうですか。
腑に落ちませんか。
私がPTSDに罹っていることも、腑に落ちてくれますか。
毎日、毎日、死体を焼く臭いと、何を食ってきたんだかわからない犬の肉と。
見ておかねばいけない。でも見たくない。見ても何も感じなくなっているけど、それでも見てきた。いろんな光景を。
毎日、毎日、見てきたはずなのに。
それが、ぼんやりとした夢のようにしか思い出せなくなっている今の自分は何者なのか、よくわからないんです。
康徳5年3月11日。金曜日。
まだ、仕事には戻れません。
活字も頭に入らないので、とにかく散歩をします。
疲れ切って、眠りたいんです。
でも、なかなかね。
疲れ切るのも、むつかしい。
でも、見てこなかったら、もっと、信じられなかったでしょうからね。
私は、見たんだ。間違いなく見て、触れて、考えた。毎日。この体で。
なかったことに、されてたまるか。
記録は、遺してます。何があっても奪われぬよう、これだけは、守り抜くつもりです。