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2597年
12月17日。南京城入城式。
12月18日。戦没者慰霊祭。
その後、中支那方面軍司令官の松井大将ら一行は、城内外各所を視察し、22日の朝、下関港より帰って行きました。
その日の夜。到一さんから
「師団長が、お前に会いたいそうだ。来てくれ」
はああああ?一体何でございましょうか。
もったいぶらず言います。最高の一夜でした。
中島ケサゴ中将。
第16師団のボスです。
7月までは内地で、憲兵司令官をしてたそうです。
その前は、陸軍習志野学校の校長先生。化学戦専門の研究機関です。
2・26でも催涙ガス弾抱えて鎮圧に参加。結局使わなかったけど、一時間おきに風向き計測したりとか、準備整えてたそうですよ。
更にその前は、砲兵隊にいて、弾道計算など今でも得意。
根はオタなんでしょう。
階級だけを欲しがる上級将校とは格が違います。おしゃべりも、弾むこと弾むこと。
最高!
中島師団長は、南京城内軍官学校の校長官舎を、自分用の住居にしてました。
蒋介石の別荘のひとつ、ですね。
到一さんはこの建物の豪華さもまた、蒋の民衆搾取のひとつと言ってましたが、いや日本の内地にだってこの程度の別荘持ってる人いっぱいいませんかね。知らんけど。
何ヶ月ぶりかの、足を伸ばせるお風呂に入らせていただき。
新品のタオルを、真っ黒な雑巾に変えちゃって。
その後、三人だけで酒宴です。
そりゃもう楽しかったですよ。
三昼夜続いた攻城戦の最初から最後まで、砲兵観測手の場所を動かさなくてすむような地点を割り出して、到一さんに進言したんでしたが、それがケサゴさんの耳に入ったみたいですね。
「観測手は単に砲撃のためだけではなく、全軍の指揮を左右する基準点となるものだ。その重要性を、軍人でもないのに理解しているとは驚きだ」
そう激賞されました。ウフフ、エヘヘ、こそばゆい。
ケサゴさんは、軍人にあるまじき上官批判も平気でする方のようで、到一さんや私とも通ずるところ大。
もちろん外では鉄面皮をかぶってますが、ひとたび相手が同志とわかれば、いくらでもリミッターが外れます。
外れますよ普段ストレスためこんでますから。
一気にほとばしっちゃうのですファイヤアアアア。
この度の入城式を早くしろとせっついた張本人は、松井大将だったみたいですね。
方面軍司令部は南京城より東方20km手前の、湯水鎮に置かれてたそうなんですが、ここは温泉地で、ぽかぽかあったまりながら、新聞記者たちに約束しちゃったそうなんですよ。
頭にきますね。
私も帰る前に入っていきたいです温泉。
戦闘終了後五日間だけ、オエライさん方は南京城にいたわけですけど、連日、翌日に案内する場所の徹底的なお掃除を、私たちはずっと、していました。
今もしています。
焼却と、揚子江に流したのは半々くらい、ですかね。
下関港まわりの死体も、今朝までに全部片付けたし。
ああ、肩の荷がおりた。
明日からはゆっくりやろうねと。
そこまでしたのに。
司令官からは、きついお叱りが。
我々には知る由もありませんが、英語系報道で、すでに南京攻略戦の模様がルポルタージュされているそうです。
中国語記事が過激なのはいつものことで、特別問題視はされてないようなんですが、なんでも下関港から九十九死に一生を得て脱出した米国人記者が、日本軍の容赦ない暴虐ぶりを壮絶な筆致で書き立てているらしい。
まあ事実ですから。それは正しい報道でしょう。
加えて、揚子江沖でアメリカの軍艦を日本の砲撃で沈めちゃったりもしてるそうです。そっちは私たち関与してないですけど、ルーズヴェルト大統領が裕仁天皇へ損害賠償を請求みたいな話になってるらしくて。
ああアメリカは今のところ中立国ですからね。
払うべきなんじゃないですか?
四日間の巡視は、多分に、そんな外国語報道を牽制するための査察という目的を、有していたようです。
松井大将は「時間の許す限り見て回ったが、皇軍の名に恥じる行為など無かった」と、中央へはそう報告するということでしたが、くれぐれも儂の顔に泥を塗るなよという意味のことも、ケサゴさんに釘を刺して去って行ったそうです。
泥と血にまみれてるのはむしろ私たちと、なにより御遺体の方々なんですけど。
やらせておいて、よくも言えたもんだな。
だから清掃もあれだけ徹底的にさせられたのか。ちょっと納得もしました。
そもそも松井さん。あんた司令官で、新聞記者とも仲いいんだったら、そっちの方にも手を打ちなさいよ。
あんたが巡回してる最中も、作業中の兵士に生首掲げさせて写真撮ってる新聞屋いたよ。
あんなやつらを放置しといて、我々にだけ泥をかぶらせようってですか。
まあ私が司令官でもそうするかな。するしかないかな。
そういうもんですかね。
さらに肚の立つ話。南京城内一番乗りは第9師団の連隊だったらしいんですが、かれらは戦功を賞賛され、すぐに杭州の掃討戦へと向かったそうです。
我々第16師団は南京に留まり、まだまだお掃除続けろとのこと。
武勲を追加するチャンスはありません。むしろ、大虐殺の責任を最終的に押しつけられる役回り。
ケサゴさんが心から、上司におべっか遣う師団長だったら、あるいは逆だったかもしれませんが、やっぱり上層部からは快く思われていない人なのかな、と察せられなくもない。
正直者は、出世できない世の倣い。
三人会は、いつしか壮絶なヤケ酒会となっていました。
最高に、有意義な一夜でした。
日本軍が、どれだけ腐った組織かということを、心底あらためてよく理解できたんですから。
ぜんぶ暴露してやるからな。おぼえてろ。