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伊豆の、長岡へ行って参りました。
宇垣大臣の別荘へ、招待されましたのであります。
なんでも震災からしばらく、陸軍次官として不眠不休の日々を過ごされていたときに腰を悪くされて、当時の犬養逓信大臣から長岡温泉を薦められたのだそうです。
爾来、通ううちにすっかり快くなり、遂に今年、犬養氏の周旋で、長岡に別荘を買われたと。
いろいろな方が御招待されていると思われますが、私にもお誘いがありまして。ではこの日に伺いますと、日取りを決めて。
緊張しながら行って参りました。
その日は私しか招かれておらず、大臣と半日、二人きりでした。
最初はどうなることかと思いましたが、大臣のお人柄をますます深く感じられる、善き一日となりました。
「南部君たちから聞いてますよ。あなたがたは大層評判がいい。私も、紹介した甲斐がある。ほんと、よくやっていただいて、感謝に堪えません」
もったいないお言葉です。大臣へはなんとお礼を言ってよいか。
「ああ大臣はやめてください。六月にはおそらく、今の内閣は倒れます」
なんと。いえそれは。たしかに衆院解散、総選挙は決まりましたがそんな。
「入閣時からわかっておったんです。この内閣は短命だと。だってそうでしょう、素人ばかりを寄せ集めた超然内閣。理想は高く上品だが、戦闘力には欠ける。次の選挙では、根こそぎ持っていかれますよ」
いやしかしそれでも大臣には留任していただきたいと……
「それは私が決めることではありませんし、また田中さんが選ばれるかもしれない。でも私も陸軍省へ戻りますから、軍の監督には携わりますよ。戦車隊は、近いうち創設させます」
なんとも心強いお言葉です。涙が出ます。
「戦車を早く実用化することこそが、支那を、ひいては日本を救う道なのです」
支那を、救う?
「宮本さんは、支那を、どう見ておられますかな?」
は。どうと言われましても。……まあ、混沌としておりますわな。いまの中華民国も、北京と上海にふたつの政府があって、それをとりまく軍閥も、いくつもいくつもあって……
「日本にも昔、南北朝という時代がありました。天皇の正統なる血脈が二つに分かれてしまったのですな。日本では六十年ほどの分裂を経て無事ひとつに戻りましたが、支那はいま、欧州列強諸国によってズタズタに引き裂かれている中でその状態を迎えています。このまま無事ではすみますまい。支那は遠くないうち、完全にこの世から消えてなくなります。あとに残るは白人たちによる分割。そして次の標的はもちろん、我国です」
ゴクリ。
「支那の体たらくを座して見過ごしていては、大変なことになります。かれらへ資金提供しているだけでは、いつまでも解決へは至りません。我々が立ち上がり、支那に橋頭堡を築くのです。これ以上の、白人たちによる植民地化を食い止め、やつらの目を覚まさせるのです。そのためには、戦車と航空機が必要です。そのための、まずは、戦車です」
な、な、なるほどで、あります。
「どうか、その志をもって、ご協力を願います。私も、身を粉にして、日本を守ります」
身の縮まる思いでした。私はただ、会社と従業員を守りたいというくらいの考えしかなかったですが、大臣は真に日本を、世界を見ておられる。ただただ、恥じ入るばかりです。
堅い話は、そのくらいでした。
近くの店でお蕎麦をいただき、川で軽く釣りをして、温泉に入り、夕方、おいとまいたしました。
駅で鯛めしを買い、電車に揺られながら、考えております。
大きな戦車も、造らんとあかんやろか。