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奉天から先は、満鉄です。
単線から複線になり、同じ車輌なのに揺れが驚くほどおさまります。ちょっと誇らしい。
兵隊を満載した列車を、工兵隊が動かします。
時刻表に忠実な満鉄路線のダイヤにすら割って入り、必要がない限り止まりません。
保定から大連まで、丸四日間の旅程。
すし詰めの兵たちは立ったまま眠り、時折、中継駅に着くと外へ出て、排泄と、伸びをします。
各駅で地元の国防婦人会の皆さんが待ち構え、甘味やらお手紙やら入った慰問袋を、がむしゃらに手渡してくれます。
国を挙げてのイベントなんだなあ、戦争って。
オリンピックと違うのは、リアルタイムな実況が許されないことくらいですかね。負けたら国賊と罵られるのは、同じですもんね。
到一さんと私たちは、満洲で点呼と補給を二日で済ませた後、船で南京へ向かいます。
上海はまだ戦闘中ですが、その脇をすり抜けて、揚子江を遡上します。
すでに日本軍の戦死者は、1万人を超えているそうです。
てことは中国人を10万人以上殺してるという解釈でいいですか。
支那は三ヶ月で片付ける、というフレーズを最後に、この流行語も廃れたようです。
かくなる上は一気に首都を陥としましょう。なるほどね。
あまりにも計画の立て方が粗雑ですね。
南京かあ。私たちが最初に出会った街ですよね、到一さん。ちょうど10年、経ちましたね。
「あの頃は人口30万だったのが、今は80万だそうだ。首都になってからは城内外にもどんどん建物がつくられて、全然みちがえるほどだというぞ」
じゃあ昔の土地勘は活かせませんね。
佐々木少将は最新の地図を持っておられますか?
「お前になら、見せておいた方が、むしろ、よかろうな。作戦用の地図だが、これだ」
ほほお。
……え、これだけですか?
10万分の1、かな。城内はグレー一色ですね。
紫金山に、玄武湖に、下関港にと。門が二十ほどあって、と。
城外の要塞が、十ヶ所くらい。佐々木支隊は、北東から攻める、と。
城内地図……なんて、なさそうですね。ここには。
方面司令部には、さすがに……あればいいけど。なさそう、かな。
まして、本国に、東京の参謀本部に、どこまで現地の情報が蓄えられているのかなあと、想像するだに恐ろしい。
2・26の包囲網がいくつ入るかな、くらいの規模の城塞都市ですよ南京は。
城内へ入ってからが大変なことくらいは覚悟しておきたいんですが、かつては支那通の第一人者だった到一さんですらが、城を囲んで門を破るところまでしか想定してなさそうなのは、解せません。
たかが旅団長。
作戦の全体像まで教えられてはいないでしょう。
しかし、生き残りたいなら、自分が命じられた業務だけではなく、その先の、上層部の方針ですとか取引先の心の中まで想像できなくては、ただの飼い殺しで終わるまでですよ。
少なくともこの作戦、どこがゴールなのだろうか、くらいの疑問は持っていただきたいものなんですけどねえ。
蒋介石が両手を上げて降伏、これからは日帝の意のままに慎ましくひれ伏しますと言う。そんなエンディングをただ、夢見てますか?見てそうだなあ。
7000万の日本人が、耳を塞いだまま、日本語で、そんな念仏を唱えてそうだなあ。内地でも外地でも。
井の中の蛙は、永遠に井戸の中で生きててほしいです。
外に出るなら、それなりの準備をしてから出ましょう。
準備とは、まず、知ることです。
空の青さと、おのれの小っぽけさを。